メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

「帰国事業」裁判で北朝鮮政府を訴え敗訴、それでも原告は「一歩前進」

「主権免除」の壁を一部突破、判決は「地上の楽園」宣伝の虚偽性を認定

北野隆一 朝日新聞編集委員

「初めて北朝鮮政府が被告となった」裁判

 3月23日、原告弁護団が「日本の法廷で初めて、北朝鮮政府が被告となった」と述べた訴訟の判決が東京地裁で言い渡された。五十嵐章裕裁判長は、原告の請求をいずれも退けた。原告は敗訴の結果に落胆し、「大声で号泣したい気持ちです」と嘆いた。支援者のなかからは敗訴を残念としながらも「判決は一歩前進だ」と評価する声も出た。

 裁判を起こしたのは、東京都在住の川崎栄子さん(79)ら男女5人。いずれも1960~70年代に、在日朝鮮人らを対象にした「帰国事業」(帰国運動や帰還事業、北送などともいわれた)によって朝鮮に渡り、2001~03年に北朝鮮を脱出(脱北)した脱北者だ。被告は「朝鮮民主主義人民共和国」で、代表者は「国務委員会委員長 金正恩」。北朝鮮政府を相手取り、総額5億円の損害賠償を求めた訴訟だった。

 川崎さんは判決が言い渡された後、原告席で顔を突っ伏したまま、しばらく動かなかった。そのときの心情について、判決後の記者会見で私が尋ねると、川崎さんは「大泣きしたい気持ちです」と憔悴した表情で答えた。

 川崎さんは脱北後も、北朝鮮に残してきた家族と連絡をとり、日本から荷物を送っていた。しかしコロナ禍のため、2019年を最後に連絡が途絶えたまま、荷物も送れず電話もできない状態が続いている。「今日、勝訴していたら、自分の家族と再会できる道が開けるんじゃないかと期待していた。その道が遠のいてしまった」と嘆き、記者会見場でも顔を伏せた。

 原告5人のうち、判決に立ち会ったのは川崎さんと、斎藤博子さん(80)、石川学さん(63)の3人。斎藤さんは足が弱って歩くのがつらそうだった。また榊原洋子さん(72)と高政美さん(61)の2人は出廷できなかった。支援者らが出席して開かれた判決報告集会で、川崎さんは「命には限りがある。今日の判決には5人のうち3人しか参加できなかった。結果を一刻も早く出さなければ、間に合いません」と強調した。

判決を受けての記者会見でうつむく原告の川崎栄子さん(中央)と斎藤博子さん(右)、福田健治弁護士=2022年3月23日、東京・霞が関、筆者撮影判決を受けての記者会見でうつむく原告の川崎栄子さん(中央)と斎藤博子さん(右)、福田健治弁護士=2022年3月23日、東京・霞が関、筆者撮影

 原告代理人の福田健治弁護士は、判決の結果に「非常に不当だし納得いかない」として、原告5人全員が控訴の意向であることを明らかにした。そのうえで、「北朝鮮による人権侵害を日本の裁判所が裁くことができるということを示した」とも述べた。

 原告にとっては、結論だけを見れば請求がすべて退けられた判決ではあった。ただし、すべての請求が門前払いの「却下」とされたのではなく、訴えの内容を審理したうえで請求を退ける「棄却」とされた部分があったことには、原告弁護団も注目している。

 被告が一切出廷しないまま審理された裁判で、東京地裁判決は何を認め、何を退けたのか。

>>関連記事はこちら

北朝鮮政府の出国制限は日本の裁判所の管轄権を否定

 原告が「北朝鮮による不法行為」と主張した一連の行為について東京地裁は二つに分け、それぞれについて訴えの当否を検討した。

 原告の主張のうち、北朝鮮が朝鮮総連を通じて、北朝鮮を「すべての権利が保障された地上の楽園」であるとの「虚偽の宣伝」により北朝鮮への渡航を勧誘したとする行為を「勧誘行為」と分類。また、北朝鮮に渡った原告らを北朝鮮内に留め置いた行為を「留置行為」とした。

 原告は「勧誘行為」と「留置行為」は「一体の継続的不法行為」だと主張した。これに対し判決は、勧誘行為が日本で行われた「帰国の意思決定を仕向ける行為」であるのに対し、留置行為は「北朝鮮に帰国した原告らを継続的に北朝鮮内に留め置いて原告らの出国の自由に制限を加えるもの」と定義。二つの行為は「時期、場所、態様及び目的を異にしており、一連一体の不法行為とみることはできない」と判示し、「別個の行為」として分離した。

 さらに判決は、日本の裁判所が管轄権をもって不法行為を裁くことができるのは、加害行為が行われた場所(加害行為地)や結果が発生した場所(結果発生地)が日本国内にあることが必要だとする判例を前提として提示した。

 そのうえで、北朝鮮が「帰国事業による帰国者に限らず、国民一般の出国を原則として禁止していた」ことに着目。「留置行為」については、「被告(北朝鮮)が自国民一般に対して行った出国制限の一環」と認定し、加害行為地、結果発生地がいずれも北朝鮮であるとして日本の裁判所の管轄権を否定。訴え自体を「不適法」として却下した。

 川崎さんが脱北して以降、北朝鮮に残した子どもたちと面会交流できなくなっていることについても判決は、管轄権がないとして訴えを却下した。川崎さんが判決に落胆したのは、自身が家族と引き離されたままになっていることについて、東京地裁が訴えの内容に立ち入ることなく、法律論だけで門前払いとしたことへの失望が大きかったようだ。

 とはいえ、判決が原告の請求をすべて却下したのではなかった。

・・・ログインして読む
(残り:約2663文字/本文:約4716文字)