[3月17日~3月19日]ルカシェンコ大統領、ビリニュス、成田空港から生中継……
2022年04月03日
3月17日(木) 朝早く目が覚めた。東京のデスクと連絡。地震の被害は思ったよりも少ないとのことだがまだ予断を許さない。ゼレンスキー大統領がアメリカ議会でのオンライン演説で、<9・11>と<パールハーバー>を引き合いに出してウクライナ支援を訴えたそうだ。彼は本質的に「演者」なのだろう。朝食をとって、ホテルをチェックアウト。
午前8時にホテルを出発する。Pさんに来ていただき、お別れの挨拶をする。PさんにはきのうのPCR検査の結果の書類を取りに行ってくださって、全員陰性だった。本当にお世話になった。午前8時半には独立宮殿前に到着したが早すぎて、出迎えの外務省Aが現れたのは約束通り午前9時。今日の彼女の服装は昨日のミニスカとは打って変わってフォーマルな黒のパンツに高価そうなジャケットを着こんでいた。大統領が来るためか、きのうよりも一層ピリピリしている。
所持品検査もきのうより厳重だ。実際にインタビュールームに移動する前、大統領の秘書官(女性)と報道官(男性)が挨拶に来た。大統領府のプレス担当Iもいる。そこでまたギリギリの段階で昨日とは違うことを言ってきた。部屋のキャパシティが限られているので、部屋に入れるのは金平とカメラマンと通訳だけだと。突然何を言っているのか。ギリギリの段階で押し返して何とかKディレクターだけは部屋に入れるようにした。Sディレクターは大統領担当の記者たちが詰めているプレスルームで音声だけをリアルタイムで聴ける部屋で取材してもらうことになった。ええい。あとは出たとこ勝負だと腹がすわった。
何と直前になってプレス担当のIが、大統領の入室時にはここに立っていろと場所を指示してくる。おいおいおい。とにかく固く守ろうと思っていたことは、不要な笑顔を決して見せないことだった。日本人の悪い癖は、初対面の相手(とりわけ外国人)に対して不可解な笑みをみせることだ。笑った瞬間にその顔は切り取られ、流通する。一定のイメージが形成される。それだけは避けようと思った。
大統領は午前10時30分きっちりに部屋へ入ってきた。予想外だったのは先方から近寄ってきていきなり握手を求めてきたことだ。瞬間迷ったが短く握手をしてすぐに着席した。そこからインタビュー本番がいきなり始まった。去年の初秋からSさんらと何度も協議を重ねてきたルカシェンコ大統領とのインタビューが実現した。しかもロシアによるウクライナ侵攻直後のこの喫緊のタイミングで。
2020年の大統領選挙後の民主化を求める市民デモへの弾圧、ジャーナリストへの攻撃、政敵の実質的な国外追放というベラルーシの国内事情をウォッチしながら、ノーベル文学賞受賞者のスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの事実上のドイツ亡命などの動きをみながら、プランを何度も放り出したくなるような困難が次々と襲ってきたが、今から考えるとそれらは、無知と小さな利己がもたらしたもので、より大きな公共的利益=利他への希望が結実したものだと思う。
ルカシェンコ大統領とのインタビューの中身は、Kディレクターと『報道特集』の尽力で全編(通訳者の部分を除いたノーカット版)がYouTubeにアップされているので、ここで言及することは控えておこう。是非とも動画を参照されたい。
自分自身としてやれるだけのことはやったつもりだが、自分のロシア語能力がもう少しまともであれば、直接やりあえたのだったが。ただ通訳のMさんはギリギリのニュアンスまで伝えてくれたように思う。その証拠に先方は何度か興奮していた。プーチン大統領が決して使わない「戦争」(война)という言葉まで興奮のあまり使っていた。暗にアメリカの言いなりになっている日本のありようを揶揄したつもりになって、ベラルーシの立場に理解を求めていた。
街録で逮捕覚悟で答えてくれたベラルーシの市民たちの思いを直接、大統領にぶつけることができた。彼の答えは
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