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すべては越前がにから始まった!福井県・軽井沢町連携が目指すもの~地方創生の新しい形

中村保博・福井県副知事と鈴木幹一・信州大学特任教授が明かす異色の連携の狙いとは

吉田貴文 論座編集部

 福井県と長野県軽井沢町が3月17日、連携協定を結びました。経済や観光、文化などで交流を深め、地域の振興につなげるといいます。規模も財政も産業構造も異なる北陸の一県と長野の山間の町はなぜ、連携することになったのか? そこには人のつながりが生んだ時空を超えたストーリーと、地方創生の新たな形を目指すビジョンがありました。福井県の中村保博副知事と軽井沢・東京で二拠点生活をする仕掛け人の鈴木幹一・信州大学特任教授が語ります。
(※連載「軽井沢の視点~大軽井沢経済圏という挑戦」番外編です)

中村保博副知事(右)と鈴木幹一・信州大学特任教授=2022年3月18日、福井県庁(写真撮影:吉田貴文)

中村保博(なかむら・やすひろ) 福井県副知事
1957年生まれ。金沢大学卒。80年に福井県庁に入り、総務部企画幹、議会事務局長、農林水産部長、政策幹などを歴任し、2019年8月から現職。
鈴木幹一(すずき・かんいち) 信州大学社会基盤研究所特任教授、福井県立大学客員教授兼地域経済研究所客員研究員
1957年生まれ。読売広告社本社営業統括補佐、エステー取締役などを経て現職。日本ワーケーション協会特別顧問、軽井沢しらかば会会長なども務める。

福井と軽井沢には歴史的なつながりがあった

――福井県と長野県軽井沢町が3月17日、連携協定を結びました。富裕層の人たちの別荘地として知られる軽井沢町と福井県がなぜ、県をまたいで連携するのか、不思議な気がしますが……。

中村 福井県民にとって軽井沢は、高級別荘地であり、高原の町であり、まさに憧れの場所です。地図で見ると遠く見えますが、現在東京から隣の石川県金沢まで開業している北陸新幹線が2024年に福井県まで延びると、約2時間で着けます。非日常のための2時間の移動はそれほどストレスにはなりません。気軽に行き来できる場所になるということが、連携を検討することになった第一の理由です。

――とはいえ、北陸の一県と長野県の高原リゾートとの間にはあまり共通点がないようにも思います。何がきっかけで連携という選択肢がでてきたのでしょうか。

中村 これは鈴木さんの力が大きかったですね。鈴木さんは軽井沢に別荘をお持ちなのですが、福井のことをすっかり気に入っていただいて、軽井沢と福井県との歴史的な結びつきをいろいろ“発掘”されました。それによって、これまで縁遠いと感じていた軽井沢を身近に感じるようになったんです。

――軽井沢と福井とのつながりとは、たとえばどういうことでしょうか。

鈴木 江戸時代、福井の松平藩主が「参勤交代」で北国街道から中山道を通って江戸に行ったという歴史があり、宿場があった軽井沢には何度も宿泊しています。明治になると軽井沢には外国人が避暑地として住むようになり、その後、日本人も別荘を建てるのですが、日本人で初めて別荘を建てたのが福井県福井市出身の八田裕二郎(当時海軍大佐、のち軽井沢会の前身の軽井沢避暑団初代理事、衆議院議員でした)、明治半ばに日本人設計による初めての西洋建築ホテルの三笠ホテルの建築主は岩倉具視の側近だった小浜藩主の山本直成の子どもである直良(福井県美浜町出身)です。

八田別荘(写真提供:鈴木幹一)
旧三笠ホテル(写真提供:一般社団法人軽井沢観光協会)

 再来年に北陸新幹線が福井県まで延伸すれば、軽井沢と福井は直接つながるのですが、江戸時代も街道でつながっていて、殿様が何度も泊まっていた。一見、何の関係もなさそうな二つの自治体、実は歴史的に縁が深かった。今回の提携には、必然とも言える運命的なものを感じています。

バーベキューで出会ったすごい方々

――軽井沢を身近に感じるようになった中村さんは視察にも行かれたのですか。

中村 そうですね。初めて伺ったのは、副知事になる前の政策幹だった頃です。もう4年も前になりますか……。鈴木さんの案内で最初に訪ねた時は、ためらいもありましたね。

――ためらい、ですか。

中村 軽井沢の高級別荘地を訪ねるなんて、それまで考えたこともなかったですから。一体どんなところなのかとおっかなびっくりでした。鈴木さんは私をバーベキューに連れて行き、皆さんに紹介するわけです。その顔ぶれがすごい。テレビで見聞きしたことのある会社の会長さんや大学の教授、ITなど若手の経営者が、ラフな格好でシャンパンを飲みながら、そこにいる。

 別荘にお住まいの人たちの間で、これほどの交流があると知ったのは初めてでした。ありがたかったのは、そういう方々が私をオープンに受け入れてくれたことです。すっかり気分がほぐれ、「じゃあ、せっかくだから、福井のおいしいものをいっぺん食べてください」という感じで話が進みました。

 その後、軽井沢の人たちとどんどん親しくなり、これをやりたい、あれもやりたいとなるなかで、いっそ協定を結んでおいたほうが進めやすいということで、今回の締結に至ったわけです。まず協定を結んで、それから何をやるか決めるのとは真逆の展開です。当面は観光ツアーや、軽井沢の農産物直販施設「軽井沢発地市庭」で福井の海産物販売などをしますが、楽しい企画が双方から出てきそうな気がするので、非常に期待をしています。

――この連載「軽井沢の視点~大軽井沢経済圏という挑戦」をはじめて、軽井沢がいかにクオリティの高いコミュニティ力、ネットワーク力を持っているかを実感しています。それは軽井沢の “資産”とも言えるべきものだと思います。まさに、そうした資産に触れるところから、連携への動きが始まったわけですね。

鈴木 はい。そして、このコミュニティ力やネットワーク力こそが、福井県にとって非常に役立つのです。

福井県と軽井沢町との連携協定締結式。左から、向井武志(軽井沢町生涯学習課長)、中山茂(軽井沢町観光経済課長)、藤巻進(軽井沢町長)、杉本達治(福井県知事)、鈴木幹一(信州大学社会基盤研究所特任教授)=2022年3月17日、福井県庁(写真提供:鈴木幹一)

東京への浸透は“二段階作戦”で

――どういうことですか?

鈴木 福井県は工芸品や農産物、水産物などを、巨大な市場である東京に売りたいのですが、いきなり東京で売ろうとしても、巨大な砂漠に水を撒くようなもので、簡単にはいきません。

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