再び降りてしまった「見えないカーテン」
2022年04月08日
3月27日、南仏モンペリエで開催されていたフィギュアスケートの2022年世界選手権が無事に終了した。日本は坂本花織と宇野昌磨が金メダルを獲得し、2014年以来8年ぶりに男女シングル優勝を果たした。さらに鍵山優真が2年連続の銀メダル、三浦璃来&木原龍一が日本ペアとして初の銀メダル獲得という素晴らしい結果を出した。
この大会は日本のスケート史に残る記念すべき大会であったと同時に、今後のスケート界の歴史にも残る異常な状況下での開催でもあった。
北京オリンピック終了直後に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵略によって、ISU(国際スケート連盟)はロシアとベラルーシの本大会への参加を禁じることを決定。ベラルーシはともかくも、世界トップレベルのロシアの選手がいない世界選手権は、一体どのようなものなのか、現場に行くまで想像がつかなかった。
だが終わってみると、報道関係者たちの間からは「やっぱりロシアの選手がいないと物足りない」という声はどこからも聞こえなかった。筆者自身も自分でも不思議なほど、やはりロシアの選手が見たかったという気持ちは湧き上がってこなかった。
「ロシア人がいないと、空気が違う。この大会全体が平和で、我々みんながスケートのコミュニティの仲間なんだ、という気が自然にするんです」
ある欧州のコーチが、小声でそう漏らした。正直に言うと、心の中でそれに同意している自分がいた。
締め出されたロシアの関係者たちは、「ロシア選手のいない世界選手権など、世界選手権ではない」と、怒りの声をあげていた。それでも、もういい、もうたくさんです、と言いたくなるほど、ロシア関連の不快なニュースにほとほと心が疲れていることを実感した。
筆者はこれまで、アンチロシアだったことは一度もない。1993年にフィギュアスケートの取材を開始してから、ロシアの多くの名選手たちの演技に心を奪われ、ロシアの名コーチたちからスケートの素晴らしさを教えてもらってきた。ロシアのスケートに対する貢献と伝統に、真摯な敬意を抱いてきた。
それどころか、カナダ、アメリカの記者たちがしばしばロシアに対する敵意と不信感を剥き出しにすることに反感もおぼえていた。冷戦が終わってソ連が崩壊し、「鉄のカーテン」は開かれた。大勢のロシアのコーチたちがアメリカに拠点を移したし、選手たちも片言の英語を駆使して取材に応じるようにもなっていた。
たまたまロシアに生まれたのは彼らの責任ではない。それなのに、どうして一部の北米のメディアはいつまでもロシア人に猜疑の眼差しを向けているのか。
自分は日本人として西側にも東側にもフェアな記事を書くように努力をしてきたつもりだし、ロシアの選手もコーチも、筆者にはいつも好意的で、取材にも協力的だった。
だがこの2ヶ月足らずの間に、29年間にわたって築き上げてきたロシアのスケート関係者への尊敬の念、敬愛の思いが、ガタガタと音をたてて崩れていった。まるで自分たちとロシアの間に、見えないけれど決して越えることのできない透明な鉄のカーテンが再び降りてきたかのようだった。
北京オリンピックでカミラ・ワリエワのドーピング検査陽性結果の報道がされたときは、頭を殴られたような衝撃を受けた。結局のところ、ロシアの関係者には決して心を許さず、ずっと懐疑的な目を向けてきた北米のメディアが正しかったということなのか。
次々と女子チャンピオンを生み出してきたエテリ・トゥトベリーゼのチームの完成品と言われた15歳の少女が陽性になったのは、彼女単独のケースではないと考えるのが自然だろう。ロシアはどうやって次々と強い女子選手を育てているのかと世界中が注目してきたが、違法ドラッグがその答えだったとしたら全くシャレにならない。
2014年のソチオリンピック後、国家主導の組織的ドーピング違反が行われていたことが判明した際にも、フィギュアスケーターの中では処罰の対象になった選手は出なかった。
だが今となっては、これまでのロシアのトップ選手のうち一体何人がクリーンで、何人が違法ドラッグの力を借りてトレーニングをしてきていたのか。一人一人の顔を思い浮かべて考えずにはいられない。
この先二度と、ロシアの選手を以前と同じ目で見ることはできないだろう。
一方プーチン大統領によるウクライナへの軍事侵攻は、社会にもたらした被害、破壊的影響力においてドーピング事件とは比べられないほど規模が大きい。日々の凄惨な現地の報道を目にして、やりきれない怒りと悲しさをおぼえる。
だがロシアの選手たちがプーチン支持を表明したのは、そこまで驚きではなかった。
アメリカに在住している筆者は、
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