ネットメディア成功のカギは「ニュース」の再定義と差別化、マネタイズ〈連載第4回〉
ライブドアの一部門だったPJニュースの失敗の本質はここにある
小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長
市民メディアの芽生えからパブリック・ジャーナリズムへ
ここで市民メディア、PJニュースの失敗についての分析を進めたい。
ちなみにPJとはパブリック・ジャーナリスト(市民記者)の略である。地域社会が抱える問題に一般市民が主体的に関与するパブリック・ジャーナリズムは1990年代初頭の米国で台頭した。当時は新聞社など報道メディアのジャーナリストをコミュニティの積極的な参加者として位置づけ、新聞をコミュニティの問題を議論するための市民フォーラム化することを目指した。これはジャーナリズムを利用した社会関係資本の強化策として理解されていた(Rosen, 2001; Perry, 2003)。
その後、この潮流が急速な民主化とIT化が進行する韓国に飛び火した。オーマイ・ニュースが創刊され、市民が直接参加するパブリック・ジャーナリズムへと進化したのである(呉, 2005)。パブリック・ジャーナリズムと市民メディアはIT革命による地域の活性化と市民の政治参加のツールとして世界各地で活用されるようになった。
国内報道メディア業界の規模は短期的には一定である。そこにWSJ日本版という価格面とブランド面での競争力があるグローバル報道メディアが参入する。これが錯乱要因となり、国内報道メディア業界内の競争強度が上昇する。ここで各報道メディアは差別化などを進めることによって、業界内のポジショニングを再定義することに迫られる。
このうち、地域の生活情報などに編集方針に力点をシフトする報道メディアが出現する。人材面や資金面で劣後するPJニュースといった市民メディアは、この業態変化に大きな影響を受ける。この局面での適応力がそのまま、市民メディアの成否に直結する。
PJニュースは創刊当初は
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