「快感・フレーズ」1000万部の漫画家とリーマン6兆円債務清算人はなぜ軽井沢に住むのか?
新條まゆと富川久代が語る軽井沢の光と影と波乱の人生
芳野まい 東京成徳大学経営学部准教授
長野県軽井沢――。江戸時代、中山道の宿場町だったこの町は、明治以降、政治や経済、文化の重要人物が休暇を過ごしたり、重要な決定を下したりする“特別な場所”になった。昭和の高度成長以降は、大衆消費文化の発展とともに、庶民の憧れのリゾートになり、コロナ前には年間800万人以上の観光客が訪れていた。時代とともに相貌を変えてきたこの町は、日本の歴史を映す「鏡」でもある。
山に囲まれた小さな町である軽井沢はなぜ、人を引きつけてきたのか。これからの魅力のある場所であり続けるのか。連載「軽井沢の視点~大軽井沢経済圏という挑戦」の第2回は、『快感・フレーズ』が大ヒット、売れっ子漫画家としての超多忙な生活から決別し、軽井沢に移り住んだ新條まゆさんと、リーマン・ブラザーズ日本法人の代表清算人として、史上最大規模の経営破綻に伴う債権債務処理に10年間奮闘した後、やはりこの町に住むようになった富川久代さんに、軽井沢の魅力と課題、仕事と人生について、本音で語っていただきました。

新條まゆさんの自宅=長野県北佐久郡軽井沢町
冨川 久代(とみかわ ひさよ) 元リーマン・ブラザーズ証券業務部長・代表清算人

富川久代さん
1966年生まれ。大和證券株式会社の後、ドイツ銀行債券業務部長、リーマン・ブラザーズなどの外資系金融会社を経て、イル・モンド・ジャパン株式会社を設立。ハイブランド専門セレクトショップ「CONSTANTINA」開店。NPO法人・チャイルド&アニマルチャリティー協会理事。2022年4月現在 地域に根差した新事業準備中
新條まゆ (しんじょう・まゆ) 漫画家、インテリア会社代表、コンテンツプロデューサー

新條まゆさん
1994年に「あなたの色に染まりたい」で漫画家デビュー。テレビアニメ化もして国内外で大ヒットした「快感・フレーズ」をはじめ、女性を中心に人気を集める。現在は電子書籍ストアにて最新作『虹色の龍は女神を抱く』を配信中。軽井沢のMaison de Coconというインテリア会社経営。様々な分野でプロデューサーとして活躍。
(構成 論座編集部・吉田貴文)

鼎談に参加した(左から)富川久代さん、新條まゆさん、芳野まいさん=長野県北佐久郡軽井沢町
人生を変えたいと思い直感で軽井沢に
――今日は新條さんの軽井沢のお宅にお邪魔しています。広々として素敵なお家ですね。
新條 冬は寒くて暖房代も馬鹿にならないですよ。ただ、気分はのびのびします。
――富川さんはお住まいからここまでどれぐらいですか。
富川 私のマンションからは車で5分ぐらいですね。
――創作の世界やビジネスの最先端で活躍されていたお二人ですが、どうして軽井沢に移住なさったのですか。
富川 外資系金融を中心に約20年キャリアを積んだ後、2008年にリーマン・ブラザーズに転職したのですが、その転職直後にリーマン・ブラザーズは破綻しました。その後,
日本法人の代表清算人として、6兆円の清算業務を10年かけて終えたのを機に2018年、人生を変えたいと思って東京から移住してきました。別荘があったわけでも、知人や友人がいたわけでもなく、直感で軽井沢を選びましたね。
――別荘という選択肢はなかったのですか。
富川 20年前ぐらいに前に軽井沢の別荘を探したことがありましたが、その時は神奈川県葉山町に別荘を持ちました。今回、いよいよ完全に東京から出ようと直感で思い立ち、冬の間に家探しをしてマンションを買いました。
夏の涼しさにひかれて来るうちに……
――新條さんはどういういきさつで軽井沢に?
新條 アシスタントに長野県上田出身の方がいて、家族でよく軽井沢に行っているという話を聞いていました。夏でも涼しいと言うけど、ほんとうにそうか疑問でしたが、実際に来たらほんとうに涼しい。
気持ちがいいので、夏に1カ月間滞在してマンガのネームをつくり、東京に戻る生活を繰り返していたのですが、冷やかしで土地を見ているうちに家を建てたくなり、2017年に東京の自宅を売って軽井沢に家を建て、しばらくは別荘として使っていましたが、2020年に完全移住しました。
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