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「子どもの死」「難病」「障害」を安易に取り上げ、情緒で押し流す道徳教科書が多すぎる

結論を押しつける授業自体が暴力となりかねないことを自覚しよう

西郷南海子 教育学者

「子どもの死」を教材化する事例

 日本文教出版『生きる力』(6年生)を手に取って開くと、まず出てくるのがパラリンピック誘致で活躍した女性の物語だ。がんの一種である骨肉腫で足を切断し、それでもスポーツをすることをあきらめず、障害者スポーツの普及に尽力しているという内容である。果たして障害者スポーツをどのような角度からとらえるべきなのか、東京五輪の最中にも問題提起されたが、そういった観点は授業に盛り込まれるのだろうか。

綾野まさる『いのちのあさがお―コウスケくんのおくりもの』拡大綾野まさる『いのちのあさがお―コウスケくんのおくりもの』
 本稿で主に検討したいのは、その次に登場する物語である。

 「せいいっぱい生きる」と題して、「命のアサガオ」という闘病記が掲載されている。そこでは、白血病を患い、そして亡くなった6歳の子どもの名前が本名で記されているが、ここでは匿名でKくんと記したい。わずか4ページの短い「物語」では、彼が実際にどのように病と向き合ったのか十分に伝わらないため、今回はその教科書としての記述を批判していくことになるが、それは決してご本人やご遺族の生き方を批判しているのではないからである。では、その問題点を見ていくとしよう。

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筆者

西郷南海子

西郷南海子(さいごうみなこ) 教育学者

1987年生まれ。日本学術振興会特別研究員(PD)。神奈川県鎌倉市育ち、京都市在住。京都大学に通いながら3人の子どもを出産し、博士号(教育学)を取得。現在、地元の公立小学校のPTA会長4期目。単著に『デューイと「生活としての芸術」―戦間期アメリカの教育哲学と実践』(京都大学学術出版会)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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