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新聞ジャーナリズムは、なぜテレビに駆逐されなかったのか〈連載第5回〉

クロスオーナーシップの共存体制が新規参入を阻んだ既存メディア

小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

 今回から3回にわたり、新規参入を企てる勢力の国内報道メディア業界への影響について、ニュースの個人化と脱中心化という視点から検討していきたい。ここで新規参入勢力とは報道メディア業界以外の業界からの企業を指す。新規参入は既存の財・サービスと同様の形態を取るとは限らない。

 例えば、時事問題を伝達するという目的が合致していれば、その情報経路が文字であろうが映像であろうが、その方法は問われないのである。このため、既存業界にとって想定外の業種や形態などから新規参入が起こる場合が少なくない。そして、新規参入は代替勢力と同様に国内報道メディア業界内の活性化を促すと同時に、競争激化を招き業界全体の長期的な収益性を低下させる(西谷, 2007)。

 国内報道メディア業界の過去の歴史で、最も大きかった錯乱要因はテレビの登場であった。この事例を分析したうえで、ネット・メディアの時代の新規参入勢力の脅威について比較考察を試みたい。

 ここでまず1950年代に起こったテレビ局による国内報道メディア業界への新規参入の影響とその結果について分析していく。テレビの登場は文字情報から映像情報へと変化した報道目的の新規参入として捉える。当時の国内報道メディア業界は新聞社が主流で、官営ラジオ局も存在していた。報道について新聞記事が支配的であった時代に、革命的な情報通信技術の結晶というべきテレビのニュース番組が参入してきた。この状況について競争戦略論という視座から分析していく。

NHK東京テレビが1953年2月1日から、日本テレビ界の先頭を切って本放送を開始した。東京都千代田区内幸町の放送会館第一スタジオで「NHK東京テレビ開局祝賀式」が行われ、この式場風景がそのままテレビ電波にのって送られたNHK東京テレビが1953年2月1日から、日本テレビ界の先頭を切って本放送を開始した。東京都千代田区内幸町の放送会館第一スタジオで「NHK東京テレビ開局祝賀式」が行われ、この式場風景がそのままテレビ電波にのって送られた

「規模の経済」が新規参入への障壁だった日本の新聞社

 国内でテレビ登場当時から、このニュース番組が新聞記事に取って代わると新聞業界には危機感があった。国内のテレビ放送の本格的な開始は今から約70年前の1953年のことだった。テレビ受信機は国内で急速に浸透し、1961年には普及率が62.5%となった。1966年にはカラーテレビが国の統計上に登場し、この年の普及率は白黒テレビで94.4%、カラーテレビで0.3%と合計94.7%とほぼ飽和状態に達していたことが分かる(内閣府,2004)。

 ここで当時、テレビ局という新規参入勢力の脅威に対する国内報道メディア業界の主要業態であった新聞社の耐性強度について「規模の経済」、「財・サービスの差別化」、「スイッチング・コスト」、「流通チャンネルの確保」、そしてその他の要因に分けて考えていきたい(Porter, 1998=1999)。

 第一が「規模の経済」である。報道メディア業界に「規模の経済」が存在する場合、投資額とリスクが増大するために新規の参入は困難になる。規模の経済とは生産規模を拡大したとき、生産量が規模の拡大以上に増大することを指す。

 新聞社の印刷工場や販売網とテレビ局の番組制作施設や送信設備ではそれぞれ報道情報の生産設備が異なるが、いずれも投資額が大きくそれに伴う投資リスクも大きい。新聞社とテレビ局いずれも固定費負担が大きく、損益分岐点が高止まる。だが、この分岐点を超えると利幅が増大し規模の経済が出てくる。

 これは生産コスト面だけでなくメディアを通じた広告効果にも存在する。これはマス・プロダクション(大量生産)とマス・コンサンプション(大量消費)の構造を持つ産業の特徴であり、新聞社やテレビ局といったマス・メディアがその典型例である。

 テレビ局開設には巨額の設備投資が必要であるため、報道メディア業界に参入できる新規参入勢力は限定される。マス・メディア形態を取る報道メディア業界は「規模の経済」が産業的な前提となっており、これが新規参入の障壁となる。

「客観」報道が差別化を阻み、ブランド化に至らず

 第二に「財・サービスの差別化」の程度がある。差別化はブランド化につながり、情報需要者のロイヤリティが高くなる。このため、新規参入勢力に追加的な投資を強いて参入障壁となる。戦後の新聞各社はそれぞれが保守やリベラルといった政治的な志向を持ちつつも、時事問題の客観報道を軸にした編集方針を取ってきた。この中で俊逸な調査報道記事も相当数が存在し、それが差別化の一例といえた。

 だが、読者層を特定しない「中立」や、傍観的になりがちな「客観」を掲げた編集方針では、ブランド化までには至らなかった。これは国内に「高級紙」といわれる新聞が存在しないことからもうかがえる。例えば、米国のニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストは高級紙として認識されている。これらはリベラル指向を強く打ち出し、それを支持する読者層に向けた紙面作りを展開しているからである。これが「公正」や「正義」という編集方針を強く打ち出し、特定の読者層に向けた差別化戦略である。

 また、国内新聞社は記者クラブに集まったプレスリリースによる速報的な記事や、記者会見といった定型取材の記事が多く、報道面での差別化を起こしにくい状況であった。これは記者クラブ制度に組み込まれたテレビ局とて同様であった。

 ただし、テレビ局の報道番組は表現方法で新聞社の報道記事と差別化が可能である。映像は文字よりも表現方法が多彩であり、単位時間当たりの情報供給量が大きい。テレビの報道番組の急速な普及はこうした背景があった。報道記事とは異なる手法によって短時間で集中的に時事問題の伝達を可能にしたテレビの報道番組は一程度の差別化を達成できた。

 とはいえ、

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