薄雲鈴代(うすぐも・すずよ) ライター
京都府生まれ。立命館大学在学中から「文珍のアクセス塾」(毎日放送)などに出演、映画雑誌「浪漫工房」のライターとして三船敏郎、勝新太郎、津川雅彦らに取材し執筆。京都在住で日本文化、京の歳時記についての記事多数。京都外国語専門学校で「京都学」を教える。著書に『歩いて検定京都学』『姫君たちの京都案内-『源氏物語』と恋の舞台』『ゆかりの地をたずねて 新撰組 旅のハンドブック』。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
コロナ禍に耐え今年は藤森祭が復活、駈馬神事は5月5日
競馬ファンにとっては、桜花賞、皐月賞につづいてクラシックG1レースの真っただ中にある。毎週末、胸躍らせ目が離せない、風薫る5月である。
その競馬ファンたちが足しげく詣でる神社が京都にある。競馬の神さまが祀(まつ)られ、勝運がつくという藤森(ふじのもり)神社である。
毎月5日に行われる願駈(がんかけ)祭では、競馬ファンが奉納した馬券を焼納し勝馬の祈願をする。さらに藤森祭に行われる5月5日の駈馬神事では古式にならい、境内を疾走する馬上で、乗り子がアクロバットさながらの馬術を披露する。
そして11月の駪駪祭(しんしんさい)では、馬主、騎手をはじめ競馬関係者が競走馬の無事を祈願し、午刻(うまのこく)まさしく正午に神事が行われる。
古来、藤の花は神の依代(よりしろ)であったという。その藤が群生していた地に鎮座するのが藤森神社である。神功皇后(じんぐうこうごう)によって創建、戦勝の軍旗を奉納したと伝わる古社だ。
本殿中央(中座)には、素盞鳴命(すさのおのみこと)、別雷命(わけいかずちのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇(おうじんてんのう)、仁徳天皇(にんとくてんのう)、神功皇后、武内宿禰(たけのうちのすくね)の7柱、東殿(東座)に舎人親王(とねりしんのう)と天武天皇(てんむてんのう)の2柱、西殿(西座)には早良親王(さわらしんのう)、伊豫親王(いよしんのう)、井上内親王(いがみないしんのう)の3柱と、パワーみなぎる錚々(そうそう)たる神々が祀られている。
春の大祭である藤森祭(5月1~5日)は、菖蒲(しょうぶ)の節句発祥の祭といわれる。菖蒲は、武勇を重んじるという意味の「尚武(しょうぶ)」の言霊で、「勝負」に通じるので、勝運を呼ぶ神として古くから信仰が厚い。歴史に名を残す武将たちが先勝祈願に詣でた社で、それゆえ家々に飾る五月人形(武者人形)には藤森の神が宿るという。
とりわけ駈馬(かけうま)神事は勇壮で、781年から続く伝統行事(京都市の無形民俗文化財)だ。早良親王が陸奥(むつ)の反乱征討に赴く際、藤森神社に祈誓(きせい)出陣した故事になぞらえている。南門から拝殿に向かって馬が全速力で駆け抜けるその馬上で、乗り子が逆立ちや後ろ向きに騎乗したり、一字書きをしたりと7種類の妙技が次々に演じられ迫力満点。
遡(さかのぼ)ること室町時代の武官や、江戸時代には伏見奉行所の武士や町衆らも、この駈馬神事で馬術武芸を競い合ったという。藤森が、「馬の社」といわれる由縁である。
コロナ禍にあって、昨年までは関係者のみで神事が行われていたが、祭を自粛するということは、伝承の技が途絶えることにもなりかねない。代々乗り子を継がれている駈馬保存会の氏子の方々にとっても苦難なことだったと慮(おもんぱか)る。
ようやく今年は晴れて藤森祭が行われる(駈馬神事は5月5日11:30と13:30の2回奉納される)。
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