2022年04月26日
ANNnews(テレビ朝日系)で公開されたニュース動画(2022/4/8)に、ネット上で困惑の声が溢れた。
千葉県の四街道市で、ランドセルを背負った小学1年生が、婦人警官の指導の下、信号のない交差点で止まってくれた運転手に90度近いお辞儀をしてお礼をさせるというニュースの動画である。
警察としては子供たちがお礼をして運転者とコミュニケーションを取り、「双方を思いやる」ことで事故を防ぐことにつながると考えているという。
JAF(一般社団法人日本自動車連盟)の調べによると、信号機のない横断歩道で車が止まってくれる率が一番高いのは長野県で約7割。全国では8割の車が止まらないというが、長野では子供のときから運転者に頭を下げるのが習慣化されていて、彼らが大人になってドライバーになると車を止めるようになるという見方もある。
確かに礼をするだけで通学の安全性が保たれるのであれば良いことではあるのだが、僕はどうも気持ちの悪さを感じてしまった。
それはネットでも同じようで、賛同的な意見よりも批判的な意見が目立っていた。
なぜ気持ち悪さを感じてしまうのか。
まず1つは信号機のない横断歩道に歩行者がいるときに、車が止まるのは道路交通法で決まっている「規則」であるにもかかわらず、まるで「親切」や「マナー」であるかのように扱われている点である。
当然しなければならない行為にお礼をさせるという気持ち悪さ。
運転者は道路交通法を遵守するという約束の下に免許証を交付されているはずで、その遵守に対して「子供たちのお礼」を必要とするというのは話の筋が違うのではないだろうか。
確かにお礼がマナーの一環だというのは分からなくもない。僕も信号のない交差点で車に止まってもらったときは軽く会釈をしている。
子供に関しても会釈程度で十分なはずで、いちいち渡り終わってから深々と頭を下げて「ありがとうございます」などという、運転者を気持ちよくさせるだけのパフォーマンスを行う必要はない。
車同士の譲り合いでもちょっと手を挙げたり、パッシングしたり、ハザードで合図する程度である。いちいち最敬礼で「ありがとうございます」なんて誰も言わない。
また、運転手が渡り終えた子供たちのお礼を見るためには、よそ見をしなければならない。子供たちの大袈裟なお礼が安全に繋がるとは僕は思えない。
もう1つの気持ちの悪さが「交通弱者側であるはずの小学生が、交通強者側である運転者に礼をすることを警察が指導するというおかしさ」である。
「道交法で決まっているのだから、車が止まるのは当たり前だろう」という指摘に対して「たとえ規則であっても、お互いが気持ちよく道路を使うために、礼をするのはいいことであり、頭ごなしに否定するのはおかしい」という意見もある。
確かにそれにも一理あるが、そうした「お互い様」という見方に欠けている認識がある。
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