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「表現の不自由展 東京2022」を見に行く

[3月27日~4月2日]モスクワ大生、表現の不自由展、ETV特集……

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

テレビカメラマンと記者・ディレクターとの関係は……

3月29日(火) ストレスがたまっていて、久しぶりにプールへ行き泳ぐ。その後、『報道特集』の定例会議をオンラインで。午後、モスクワの旧知と久しぶりに電話で話をする。通常の国際電話なので、思っていることの半分も言えない。ただ、何となくお互いこの状況を理解しあっているように思うのだ。

=撮影・筆者拡大Fさんが撮影したスペインのフラメンコダンサー、アントニオ・ガデス(左)とギタリストのパコ・デ・ルシア=筆者提供
 夜、新宿。EspaにいたFさんから古い写真をいただく。何とそこに写っていたのは、来日した際のアントニオ・ガデスとパコ・デ・ルシアの2人だ。Fさんが何気なく撮ったスナップショットだとか。

3月30日(水) まだまだストレスが抜けず、プールへ行き、がっつり泳ぐ。プールの後、サウナに入っていたら、BGMで流れていたサティがやたらに心にしみてまいった。岩波『世界』のウクライナ取材に関する原稿の最終校正。「毎日新聞」のコラム原稿。

 日本記者クラブでの記者会見をオンラインで視聴・参加する。開沼博、関谷直也両氏の会見。いわゆる福島の「風評被害」をめぐって、学者たちの間には対立・亀裂、饒舌と沈黙がある。すべての学者たちに問いたいのは、国・省庁や、事故原因の当事者である東京電力とあなたとの距離の置き方についてである。時間をかけてでも、この点は曖昧にしてはならないと思っている。

 夕方から下目黒でTBS報道局取材部の福田由貴夫カメラマンのお通夜。3月25日の夜、急逝された。まだ若かった。彼が闘病していたことは知っていたが、あまりにも唐突なことで衝撃を受けた。無念だ。葬儀場にはたくさんの知った顔が集まっていた。泣いている人も少なからずいた。

沖縄で、在りし日の福田カメラマン(左)と拡大沖縄で、在りし日の福田由貴夫カメラマン(左)と筆者(中央)=筆者提供
 テレビ報道の場合、カメラマンと記者・ディレクターとの関係というのは、いわば夫婦みたいなものだ。あう、あわないは、当然ある。でも何だか温かい部分でつながってしまうと、別れられない。福田カメラマンとは、出張取材先の沖縄の酒場で、文字通り抱き合って何かをわいわい論じ合っていた記憶が鮮烈に残っている。その時に一緒にいた元ディレクターのSが会場にいた。熱い思いを共有していた時代があった。急逝した福田カメラマンも、Sも、その後波乱万丈の運命が待ち受けていた。僕らはそういう人種だ。その後、久しぶりにSと弔い酒を飲んだ。

筆者

金平茂紀

金平茂紀(かねひら・しげのり) TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

TBS報道局記者・キャスター・ディレクター。1953年、北海道生まれ。東京大学文学部卒。1977年、TBSに入社、報道局社会部記者を経て、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長、コロンビア大学客員研究員などを経て、2010年より「報道特集」キャスター。2004年、ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)、『抗うニュースキャスター』(かもがわ出版)、『漂流キャスター日誌』(七つ森書館)、『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(講談社)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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