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沖縄はどこへ復帰しようとしたのか? かなったか?~大田昌秀元知事の言葉をひもとく

「反日」「売国」が飛び交う時代、沖縄と「本土」に橋を架ける言論を私は紡げるか?

松下秀雄 「論座」編集長

ガラッと変わった米軍の態度~「島ぐるみ闘争」へ

 ところが、中国に共産党政権ができ、朝鮮戦争が始まってから、沖縄の住民に対する態度がガラッと変わりました。米軍は基地を拡大するために、農家の土地を『銃剣とブルドーザー』で強制的に取り上げた。農民は土地がないと生きていけない。だから、ものすごくみじめな生活をしたんです。

 米軍は当初、「9坪でコーラ1本ぶん」といわれるわずかな使用料で土地を借り上げようとしたが、契約に応じた人は少なかった。そこで、ブルドーザーで家屋や農作物を押しつぶし、あるいは銃剣を突きつけて、強制的に立ち退かせた。それは農民にとって、生活の糧を奪われることを意味した。

 米側は10数年ぶんの土地代を一括払いするといってきました。それでは沖縄の土地を米軍に売ることに等しいし、一括払いだと土地代が値上がりしてもそのぶんをもらえなくなる。それで『島ぐるみ闘争』という、沖縄の歴史にかつてない大衆闘争が起きました。『沖縄のガンジー』と呼ばれている阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)さんらが取り上げられた土地に座り込んで、ここはわれわれの土地だ、アメリカ人はアメリカに帰りなさいと、非暴力で徹底的に抵抗したわけです。

拡大反戦平和資料館と阿波根昌鴻さん=1996年10月、沖縄県伊江村

適用されない憲法、「人間解放」のための復帰運動

 戦争が終わり、復帰するまでの27年間、沖縄には日本国憲法も、アメリカの憲法も適用されなかった。権利を保障されない人たちは「島ぐるみ闘争」のように、財産権や、教育を受ける権利や、主席を選挙で選ぶ権利など、様々な権利を手にするために闘った。

 憲法が適用されなかったぶん、われわれは米軍と闘い、憲法の内実を一つひとつ勝ち取ってきました。沖縄ほど、憲法を大事にしているところはありません。

 同時に、復帰運動を繰り広げる。大田さんは著書『沖縄差別と平和憲法』に、「憲法の適用こそが最優先に勝ち取るべき課題だとして、熱烈に憲法の実質的適用を追求してきたのである。県民がひたむきに取り組んだ日本復帰運動において、『平和憲法の下に帰る』というスローガンを掲げたのも、その一つの現れであった」「復帰運動それ自体、沖縄の人々が外国軍隊の支配下で奪われていた人間としての権利を勝ち取ろうとする、いわば『人間解放の運動』だった」と記している。

「平和憲法の下への復帰」というスローガンの含意

 平和憲法というと、まず思い出すのは9条だろう。大田さんは初めて憲法に触れ、前文や9条を読んだ時のことをこう語った。

 あまりにも多くの学友を亡くして、何のために生きているのか、戦争後たえず問いかけていました。人間不信に陥ってだらだら暮らしている時に、密航船で憲法が伝えられ、それを読んだ時に生き返る感じがした。鉛筆で書き写し、初めて生きる意味を感じたほど感動したわけですよ。何も私ひとりではなく、多くの人がそういう感じをもったと思う。

 ただ、沖縄の人たちが求めた平和憲法とは、9条と前文だけを指すわけではない。戦争や米軍統治下で奪われ、踏みにじられた人権や自治権もひっくるめて手に入れたいという期待が、「平和憲法の下への復帰」にかけられたのである。

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筆者

松下秀雄

松下秀雄(まつした・ひでお) 「論座」編集長

1964年、大阪生まれ。89年、朝日新聞社に入社。政治部で首相官邸、与党、野党、外務省、財務省などを担当し、デスクや論説委員、編集委員を経て、2020年4月から言論サイト「論座」副編集長、10月から編集長。女性や若者、様々なマイノリティーの政治参加や、憲法、憲法改正国民投票などに関心をもち、取材・執筆している。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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