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戦争の記憶が眠る「群馬の森」に、朝鮮人犠牲者追悼碑を見に行った

設置継続を認めない高裁判決、最高裁は見直しを

中沢けい 小説家、法政大学文学部日本文学科教授

空威張りに見える「歴史戦」なる言葉

 かつてはネットスラングとして聞いた「歴史戦」なる言葉だが安倍晋三氏をはじめとし自民党国会議員の発言として聞くことが近頃増えた。「韓国が日本を貶めるために歴史の歪曲捏造を行う行為との戦い」という程度の意味とすればいいだろうか。従軍慰安婦問題、朝鮮人徴用工などを巡って「歴史戦」と言うことばがしきりに使われる。

 植民地主義時代に築かれた加害と被害の関係を清算し、対等な隣国としての関係を結び直そうという動きが安倍晋三氏と筆頭とした右派議員には「日本を貶める」「反日的な」動きと受け取られている。

 日本の右傾化と呼ばれる現象だが、私はこんなネットスラングで語られる現象を「右傾化」と呼びたくない気持ちがある。ネットスラング発祥の単語には古風な俗語で対応したい。右傾化なら右旋回だが、今、見ている現象は「夜郎自大化」で、存在そのものが怠惰な気分の中にどっぷりと沈み込んでいるような印象を拭えない。

 2004年に群馬県立公園「群馬の森」に設置された朝鮮人犠牲者追悼碑が2014年に県から土地使用を取り消された件も前述の「右傾化」が引き起こした紛争だ。

「群馬の森」にある朝鮮人犠牲者追悼碑=群馬県高崎市

 毎年4月に行われていた追悼碑の前での追悼集会での出席者の発言が、県立公園内では認められていない政治活動を当たるとして、群馬県は公園の土地使用を更新しないことを決めた。この決定に対して追悼碑を管理する市民団体は県の決定を不服として処分の取り消しを求め前橋地裁に訴訟を起こした。

 前橋地裁は群馬県の処分取り消しを認めたが、群馬県側が高裁へ控訴し、2021年8月、東京高裁は一審判決を破棄、群馬県の不許可処分を認めた。これを受け市民団体は最高裁に上告、高裁判決の見直しを求めている。

 市民団体が設置した追悼碑はどういう場所にあったのだろうと「群馬の森」へ4月30日に出かけてみた。

連休の一日、群馬県へ

 高崎駅でタクシーを拾い青々とした麦畑の中を20分ほど走る。麦畑の果てに見える山が白く雪をかぶっていた。前日は冷たい雨が降っていたが、山は雪で、谷川岳や浅間山は連休へ入ってから雪化粧することになったと、タクシーの運転手さんから聞いた。

 県立公園である「群馬の森」は入場無料。入口は栃の木が並木を作っている。円錐状に伸びる栃の花の盛りだ。入口の守衛所で「追悼碑のあった場所はどのあたりか分かりますか」と尋ねてみると守衛さんが「追悼碑ならまだありますよ。公園の奥のほうですから、ずっと奥へと進めばいいんです」と丁寧に教えてくれた。

 園内に入るとすぐに芝生広場があり左に近代美術館と歴史博物館があるので、その前を通り過ぎたら左の道をたどって行けばすぐに分かりますと、パンフレットの地図に印をつけてもらった。芝生広場では前の日に冷たい雨が降る中で群馬交響楽団の演奏会が開かれたという話になり「なかなかいいものでしたよ」と守衛さんが言う。冷たい雨の中でも演奏会は盛況だったようだ。

高さ4.5メートルのブロンズ像「巨きな馬」。奥に群馬県立の近代美術館と歴史博物館が並ぶ=群馬県高崎市、筆者撮影
 明るい芝生広場を抜け、休館中の群馬県立近代美術館前のエミール=アントワーヌ・ブールデル作「巨きな馬」ブロンズ像を眺めながら森の中へ入って行く。

 鬱蒼(うっそう)とした森だった。

 芝生広場の明るさと森の暗さがコントラストをなしている。守衛所でもらったパンフレットにはシラカシ、クヌギ、オニグルミ、エノキ、コナラなどの樹木が紹介されていたが、目立つのは堂々とした幹を持つクロマツであり、高々と伸びたスギだった。

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