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初代チェアマン川淵三郎氏インタビュー

Jリーグ“次の30年”は「サステナブルに」、あの失言「オシムが」の裏側…

増島みどり スポーツライター

 Jリーグの初代チェアマン、川淵三郎(85=日本トップリーグ連携機構会長、日本サッカー協会相談役)にインタビューを行った5月中旬、ある競技団体で今春就任した新会長が、川淵に、直接助言を受けに来ていた。競技団体や年齢、経歴も関係なく、こうしたリーダーや関係者の来客が絶えないのは、前例のないプロリーグ設立をやり遂げた突破力や、日本のスポーツ界を根本から変える地域密着が、30年を経た今も変わらず支持され、さらに拡大している証だろう。今季、47都道府県中40にJクラブがあり、クラブのない7県でも、三重、奈良、高知には準加盟にあたる「百年構想クラブ」がある。福井、滋賀、和歌山、島根4県のクラブもJリーグを目指す。

(敬称略。インタビューは5月12日、筆者単独)

開幕試合、ペレが「良かった」とハグしてくれた

開幕試合拡大1993年5月15日夜、Jリーグ開幕の第1 戦(ヴェルディ川崎-横浜マリノス)が東京・国立競技場に満員の5万9626人を集めて開かれた

――Jリーグが5月15日で1993年の開幕から30年目に入ります。

川淵 開幕の日、超満員のスタジアムにファンの歓声が響き渡って、シュートを外した時のため息というか悔しそうな様子や、スタジアムが一体となって生み出した熱気は忘れられない。(ゲストで招待したブラジルの)ペレが、試合が終わった後に涙を流して「良かった」とハグしてくれたのは、今も記憶に残っている。

 あの頃、各都道府県に二つとして100チームにしたいと目標を表明したら、「10クラブだってうまく行くか分からないのに、何を言っているんだ?」といった反応で相手にもされなかった。それが今や、J3まで58クラブ……。ホラ、見てみなさいよ、といった思いだね。開幕から何年後かに受けたインタビューで、「(開幕から)10年後に16チームになっていたら満足です」と答えていた。Jクラブで町を活性化する理念が、それを実現して下さった方々の思いや実行力で日本中に浸透した結果の58チームですから、ボクとしてはもう満足以上、大満足です。

 川淵三郎(かわぶち・さぶろう)1936年(昭和11年)、大阪府出身。大阪・三国丘高校からサッカーを始め、早大、古河電工でFWとして活躍した。クラマ―監督のもと64年東京五輪に出場し、引退後は古河電工監督、日本代表監督も歴任。Jリーグ初代チェアマン、2002年から日本サッカー協会会長、国際連盟から出場停止処分を受けた日本バスケットボール協会のガバナンス改革にも当たり、同協会会長に就任。バスケットボールの男子プロ「Bリーグ」も立ち上げた。週1回のジム通いを続け、趣味のゴルフもカートなしで歩くなど、今もスポーツを楽しむ。妻と2女、3人の孫がいる。

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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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