2022年05月30日
5月20日、ニューヨークのカーネギーホールでエフゲニー・キーシンのピアノリサイタルが開催された。世界の一流の演奏家が招聘されるカーネギーホール主催コンサートシリーズの中でも、10歳からコンサート活動を行って神童として知られてきたキーシンは別格。50歳になった現在でもその人気は衰えず、毎回チケット発売と同時にほぼ売り切れになる。筆者も昨年(2021年)夏の発売開始の日、朝からスマホにはりついてどうにかチケットを手に入れた。
ニューヨークではオミクロン変異株BA.2.12.1の感染が拡大しているが、幸いキャンセルもなく予定通り開催された。会場に入る時には2度のワクチンとブースター接種の証明書の提示が必要で、もちろん中ではマスク着用は必須。それでも席は完売で会場の座席は隙間なく埋まった。
ロシアのウクライナ侵略戦争が始まってから、指揮者ワレリー・ゲルギエフを筆頭とした、プーチン政権に近いロシア人アーティストたちの公演のキャンセルが相次いだ。キーシンもモスクワで生まれ、ロシアで教育を受けているロシア人だが、キャンセルはもちろん、会場の前で抗議運動をする人もいなかった。
それもそのはず。キーシンは自分のインスタグラムやインタビューなどを通して、非常に強い言葉でこのロシアの侵略戦争を批判し、さらに西側諸国のこれまでのプーチン政権への手ぬるい対応を非難してきているのだ。
キーシンはモスクワのユダヤ系の家庭に育ち、現在はロシア、英国、イスラエルの国籍を持っていて、チェコのプラハで妻と暮らしている。
筆者はキーシンに対して何となく、子供の頃からピアノだけをやってきた、浮世離れをした天才肌の芸術家という勝手な印象を持っていた。だから彼が発表した、政治家顔負けの実に説得力のある反戦メッセージを読んで驚いた。少し長いがその一部を抜粋してみる。
「もし西側の自由諸国が8年前(2014年)、クリミア併合後にプーチン政権に対して現在と同じ制裁を適用していれば、今のウクライナでの戦争はなかっただろう。そして2008年、プーチンのグルジア(ジョージア)侵攻と南オセチアの事実上の併合に対して、欧米がそのような制裁を適用していれば、プーチンは5年半後にクリミアを併合しなかっただろうし、もしかしたらその時にはもう政権を失っていたかもしれない。さらに言えば、1999年から2000年にかけて、チェチェンでの大虐殺に対して西側諸国が今回のような制裁を加えていれば、グルジアやウクライナへの侵攻は間違いなくなかっただろう」
さらにキーシンは、そもそもロシアが国連安全保障理事会の議席を与えられたことについて、厳しく言葉を続けた。
「プーチンは、ウクライナ侵攻の直前にロシアのテレビで放映された演説で、『1990年代のロシアが極めて開放的であったにもかかわらず、欧米はロシアに対して非常に不公平であった』と主張した。プーチン本人がそう言ったことは、驚きではない。彼の性格は良く知っている。だが現実はその正反対であることは明らかだ。西側は冷戦の勝者のように振る舞ってこなかった。だからこそ、いま私たちはさまざまな問題や悲劇に見舞われている。ソ連が消滅した後、なぜロシアが国連安全保障理事会の議席を引き継いだのか。カナダやオーストラリア、日本のような民主主義国が引き継ぐべきではなかったのか」
そして最後に、こう締めくくっている。
「今、私が言えることは、勇敢なウクライナの人々がこの戦争に勝利し、侵略者と殺人者を彼らの国から追い出すために出来る限りの手助けをしなければ、歴史はあなたを許さないだろう、ということです」
実はキーシンが政治的なメッセージを発したのはこれが初めてではない。
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