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市民による日韓交流を体現した「T・K生」池明観さん

「追悼の集い」で語られた、軍事独裁政権下の「韓国からの通信」執筆秘話

北野隆一 朝日新聞編集委員

秘密裏に持ち出された資料で毎月「通信」を執筆

 日本滞在中、「T・K生」としての秘密の執筆活動については、名乗り出た後に池さんが「世界」への寄稿やインタビュー、著書で振り返っている。「ソウルからの発信と書かれていたが、実は東京の私のアパートで書かれたもの」だったと告白。匿名にしたのは「韓国の軍事支配体制の監視の目が日本においても光っていた」からであり「韓国に残っている私の家族を守るため」だったと説明している。

光州事件。バスを挟んで軍と向き合うデモ隊=1980年5月、韓国・光州、東亜日報提供拡大光州事件。バスを挟んで軍と向き合うデモ隊=1980年5月、韓国・光州、東亜日報提供
 「韓国からの通信」には、朴正熙大統領暗殺、光州事件、ラングーン事件など韓国の政治情勢が次々と盛り込まれた。

 インターネットもeメールもない時代。郵便物は開封・検閲され、電話は盗聴されてしまう。資料は、危険を冒して韓国入りした日本人や米国人、ドイツ人、カナダ人などの外国人宣教師らにより秘密裏に韓国から持ち出され、欧米や日韓のキリスト教関係者の国際的なネットワークを経て、日本の池さんのもとへ届けられた。韓国内の民主化運動団体の声明文や、集会や大学でまかれたビラなどだった。

 池さんは隅谷三喜男・東京女子大学長(当時)らの尽力で東京女子大教授となり、和田春樹・東大名誉教授ら日韓の大学教授やキリスト教関係者、とくに呉在植(オ・ジェシク)氏ら、日本などの各国にいる在外韓国人や在日コリアンの支援を受けた。

 「追悼の集い」でも、関西で交流した在日韓国基督教会館の李清一(イ・チョンイル)名誉館長や、沖縄で交流した高里鈴代・元那覇市議らが、各地を訪れた際の池さんの姿をそれぞれ語った。ピアニストの崔善愛(チェ・ソンエ)さんは、北九州で父の崔昌華(チォエ・チャンホア)牧師が池さんと交流した思い出を語り、ショパン「別れの曲」を演奏した。

公衆電話から短時間の通話、受け渡しは駅のホーム

 1978年から6年半、「世界」編集部で池さんとの資料や原稿のやりとりを担当した山口万里子さんも「追悼の集い」で当時を回想した。

 池さんは韓国から届いた資料をもとに原稿をまとめる「アンカーマン」の役目。200字詰め原稿用紙50~70枚の原稿を毎回、一晩で一気に書き上げた。原稿ができると、公衆電話で山口さんに連絡してきた。盗聴の恐れもあり、会話は必要最小限。「あ、どうも」とあいさつして「30分後に」とか「何時に」「すぐに」とだけ言うとすぐ切れた。

「追悼の集い」で語る元「世界」編集部員の山口万里子さん=2022年5月14日、東京都文京区拡大「追悼の集い」で語る元「世界」編集部員の山口万里子さん=2022年5月14日、東京都文京区

 受け渡し場所は、池さんが早稲田に住んでいたときは江戸川橋。京王線明大前駅近くに移ってからは駅のホーム。原稿は書店の紙袋や日本基督教団事務局の封筒に入っていたという。

 山口さんらは原稿を受け取ると、印刷所に持ち込み、別の原稿用紙に書き写した。池さんの筆跡と文章のくせを直し、筆者が特定できないようにするためだった。「世界」編集部では「先生」とだけ呼び、実名で呼ばないようにしていた。

 「世界」は韓国では禁書扱いを受けていたが、さまざまなルートで韓国にひそかに持ち込まれ、多くの人々に読まれた。韓国当局が筆者の「T・K生」を必死に捜すなか、池さんは尾行をかわしながら連載を続けた。

 池さんは以下のように語っていたという。

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筆者

北野隆一

北野隆一(きたの・りゅういち) 朝日新聞編集委員

1967年生まれ。北朝鮮拉致問題やハンセン病、水俣病、皇室などを取材。新潟、宮崎・延岡、北九州、熊本に赴任し、東京社会部デスクを経験。単著に『朝日新聞の慰安婦報道と裁判』。共著に『私たちは学術会議の任命拒否問題に抗議する』『フェイクと憎悪 歪むメディアと民主主義』『祈りの旅 天皇皇后、被災地への想い』『徹底検証 日本の右傾化』など。【ツイッター】@R_KitanoR

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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