[4月29日~5月8日]木内みどり映画祭、憲法記念日市民集会、大工哲弘ライブ……
2022年05月30日
4月29日(金) 朝の7時過ぎに電話がなった。電話口の声は聞き覚えのある声だった。旭川の中学時代からの親友Mの奥さんの声だった。半分以上泣き声になっていた。悪い予感がすぐに襲ってきた。「さっき朝、4時過ぎにえいちゃんが病院で亡くなりました」。目の前が真っ暗になった。Mの奥さんはその後、電話口でほとんど泣いていた。
Mは北海道旭川市で、僕が1966年から1970年にかけて暮らした時代の、中学1年から高校2年にかけて、人生で最も多感な時期をともにしてきた親友だった。夢中で一緒にビートルズのレコードを聴いた。旭川の町をほっつき歩いた。蜂屋のラーメンを一緒に食べた。中学校の弱っちい柔道部で連戦連敗だった。その友人関係はその後の人生でもずっと続いてきた。欲得や利害関係一切なしの「無償の友情」だけでつきあってきた。旭川に行った時は必ず会って酒を酌み交わした。
4月21日に電話で話をしたばかりだった。こんなに早く逝ってしまうとは。来月22日に北海道に行く用事があるので、その時に病院に面会に行くからガラス越しにでも会おうと約束していたではないか。まいった。頭の中が真っ暗になって、何もかもどうでもいいような気持ちにさえなった。
いてもたってもいられなくなって、僕はあろうことか朝からプールへ行き、ひたすら泳いだ。腕が痛くなるまで泳いだ。ゴーグルのなかに涙がたまってきた。僕はいったい何をやっているのだ。午後、旭川の中学時代の同級生Sさんに電話をする。彼女もまだMの死去を知らなかった。無二の親友がいなくなった。悲しい。
14時からウクライナ情勢をめぐるウェビナー。和田春樹氏らが参加していた。何も頭に残らない。何だか頭の中がまだ混乱していて整理がつかないのだった。
夕方以降、あしたの『報道特集』用に、ウクライナの2カ所の小麦農家のご主人にオンラインで話を聞いた。彼らは自分の仕事=農業に強い誇りを持っていた。通訳をしてくれたAさんが、仕事を離れてからの私的な会話のなかで感情を露わに言った。「プーチンとその取り巻きを殺せばいいんです」。張り詰めた空気が世界を覆っている。
4月30日(土) 『報道特集』の生放送。前半の特集が「ウクライナ戦争で世界の資源価格高騰」。後半の特集が佐古忠彦ディレクター取材の日本軍特攻作戦に加わった隊員たちの思い。国家と個。これを見ながら僕は、ずっとウクライナのことを考えていた。特攻というのは、自らの命を自らで殺すこと。国家から強制された死の構造。
生きなければダメだと思う。人間は弱い。殺すな! というメッセージが今ほど切実に迫ってくることはない。裏千家の前家元・千玄室氏(彼も特攻の生き残りだった)の言葉の重さに圧倒された。「日本の国体を汚されないように、汚されないように。こればかりでした。日本の国を誇り高い国だと思わせる。ちっともそういうことはない。高揚ばかり考えて。精神的な高揚より大事なのは、人間性ですよ」。こんなことを言えるなんて、大変な人格者だと思う。オンエア後、新宿へ。
5月1日(日) 朝、プールへ行きひたすら泳ぐ。毎日新聞のコラム記事。知床の観光船沈没について。
旭川のMの亡骸が焼き場に移されている直前にようやく連絡がつく。茫然として言葉にならず。お見送りできなかった。えいちゃん。ごめんな。今度、ひとりで旭川に行くからさ。その時に、えいちゃんが大好きだったあのぎんねこの名物の焼き鳥(新子焼き)、買っていくからさ。
5月2日(月) 海保が斜里町の観光船運航会社を家宅捜索。携帯Wi-Fiの調子が悪く近所の業者に行くが、埒があかない。それどころかこちらが求めていた部品の交換ではなく、新規の契約を迫られそうになる。S社というところは経営姿勢がちょっとあこぎではないか。あしたの京都の宿がみつからず、まいった。どこもかしこも満室なのだった。
16時半から早稲田のゼミ授業。特攻ストーリーをめぐって活発な討論。早稲田の客員教授を始めた年(2013年)のゼミの1期生のOが聴講にきていた。その後、新宿へ。明日の憲法記念日の講演の移動がきびしいことになりそうなので早めに帰宅。
迂闊なことに、僕はNHK・Eテレのロシア語講座が、3月一杯で終了していたことを、今の今まで知らなかった。歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は笑劇として。
5月3日(火) 今日は憲法記念日。ロシアによるウクライナ侵攻以降、憲法をめぐる国内環境がかなり変わってきたように思う。
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