無二の親友に先だたれた日
[4月29日~5月8日]木内みどり映画祭、憲法記念日市民集会、大工哲弘ライブ……
金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター
連載 漂流キャスター日誌
4月29日(金) 朝の7時過ぎに電話がなった。電話口の声は聞き覚えのある声だった。旭川の中学時代からの親友Mの奥さんの声だった。半分以上泣き声になっていた。悪い予感がすぐに襲ってきた。「さっき朝、4時過ぎにえいちゃんが病院で亡くなりました」。目の前が真っ暗になった。Mの奥さんはその後、電話口でほとんど泣いていた。
Mは北海道旭川市で、僕が1966年から1970年にかけて暮らした時代の、中学1年から高校2年にかけて、人生で最も多感な時期をともにしてきた親友だった。夢中で一緒にビートルズのレコードを聴いた。旭川の町をほっつき歩いた。蜂屋のラーメンを一緒に食べた。中学校の弱っちい柔道部で連戦連敗だった。その友人関係はその後の人生でもずっと続いてきた。欲得や利害関係一切なしの「無償の友情」だけでつきあってきた。旭川に行った時は必ず会って酒を酌み交わした。
4月21日に電話で話をしたばかりだった。こんなに早く逝ってしまうとは。来月22日に北海道に行く用事があるので、その時に病院に面会に行くからガラス越しにでも会おうと約束していたではないか。まいった。頭の中が真っ暗になって、何もかもどうでもいいような気持ちにさえなった。
いてもたってもいられなくなって、僕はあろうことか朝からプールへ行き、ひたすら泳いだ。腕が痛くなるまで泳いだ。ゴーグルのなかに涙がたまってきた。僕はいったい何をやっているのだ。午後、旭川の中学時代の同級生Sさんに電話をする。彼女もまだMの死去を知らなかった。無二の親友がいなくなった。悲しい。

親友M(右)と。2016年、旭川市内のラーメン店にて=筆者提供
14時からウクライナ情勢をめぐるウェビナー。和田春樹氏らが参加していた。何も頭に残らない。何だか頭の中がまだ混乱していて整理がつかないのだった。
夕方以降、あしたの『報道特集』用に、ウクライナの2カ所の小麦農家のご主人にオンラインで話を聞いた。彼らは自分の仕事=農業に強い誇りを持っていた。通訳をしてくれたAさんが、仕事を離れてからの私的な会話のなかで感情を露わに言った。「プーチンとその取り巻きを殺せばいいんです」。張り詰めた空気が世界を覆っている。