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沖縄本土「復帰」50周年の日に何が

[5月9日~5月18日]武藤一羊氏、「復帰」50周年記念式典……

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

5月9日(月) フィリピンの大統領選挙で、故フェルディナンド・マルコス元大統領の長男フェルディナンド・マルコス・ジュニアが圧勝した。歴史は繰り返す。1度目は悲劇として。2度目は喜劇として、とはよく言ったものだ。

 ウクライナ侵攻以降、全世界の耳目が集まっていたロシアの戦勝記念日。第二次大戦後のソ連時代以降、ロシアでは1年で最大の祝日だ。注目されていたプーチン大統領の演説でも「戦争」という言葉は使われなかった。軍事パレードもほぼ例年通り。何だか拍子抜けと感じた人々は、おそらく何かを「期待」していたのではないか。いかにもニュースになりそうなことを。

ボノがウクライナのキーウ地下鉄構内でサプライズ・ライブ 筆者提供ボノがウクライナのキーウ地下鉄構内でサプライズ・ライブ=筆者提供
 ウクライナ危機は、言論状況の逃げようもない「水準」を露わにしている。最も人々に影響を与えている言説は、テレビのワイドショーでの芸人さんたちの呟きだったりする。ハバーマスやジジェク、アタリといった知識人たちの論考、文学者アレクシエーヴィチの言葉ではない。ウクライナ侵攻以降、誰がどこで何を言ったかをきちんと覚えておこう。

 U2のボノが8日にウクライナのキーウの地下鉄構内を訪れて、ミニ・コンサートを開いた映像が届いている。

 午後、沖縄「復帰」50周年特集の取材で、武藤一羊氏にインタビュー。90歳とはとても思えない。1971年10月19日、本土「復帰」前のいわゆる「沖縄国会」で佐藤栄作首相の演説中に起きた「国会爆竹事件」に関するコメントをとるためだ。

インタビュー中の武藤一羊氏インタビュー中の武藤一羊氏=撮影・筆者
 武藤氏は、米軍のディエゴ・ガルシア基地の例をあげて、多数の人々が住んでいる沖縄は、住民対策が厄介なので「施政権」だけは返還しよう、けれども基地機能はきっちり維持しよう、というのが1972年の沖縄「返還」だったと。沖縄はアメリカにとっての「軍事植民地」、日本にとっての「国内植民地」だと一刀両断する武藤氏の明晰ぶりにたじたじ。「国会爆竹事件」を起こした「沖縄青年同盟」の青年たちは、今の世界で言えば、いわばグレタ・トゥーンベリさんだとの指摘にも驚く。時代に呼ばれた人々。「国会爆竹事件」は、日本の「恥部」を暴いた行為だったと。何と柔らかい想像力か。

インタビュー中の武藤一羊氏 仲里効氏(元沖青同) 本村紀夫氏(同) 筆者撮影インタビュー中の仲里効氏(元沖縄青年同盟)=撮影・筆者
インタビュー中の武藤一羊氏 仲里効氏(元沖青同) 本村紀夫氏(同) 筆者撮影インタビュー中の本村紀夫氏(元沖縄青年同盟)=撮影・筆者

 16時半から早稲田大学のゼミ授業。プーチンの戦勝記念日演説を読み解く試みを参加者全員でやってみる。

 18時からメディア学会の部会オンライン会議。沖縄企画の素材プレビュー。ひと昔前に「沖縄の人、来店お断り」と書かれた貼り紙をした飲食店を写した写真を僕はかつてみたことがあるのだが、どこで見たのかが思い出せない。素材検索をしてもらったが、出てこない。困ったなあ。

ウチナーグチ=沖縄言葉で法廷を再現

5月10日(火) 朝、がんばってプールに行き、泳ぐ。最近太り気味だ。ストレスがたまると過食になる。すると太る。すると腰が痛くなる。すると泳ぎたくなる。プールのループ。プールで顔見知りになった方から、朗報。「来月から土日も朝9時からプール開くみたいですよ」。

 その後『報道特集』の定例会議。オンライン参加。沖縄企画の素材のプレビュー。

 16時過ぎから沖縄国際大学の授業。オンラインで。沖縄に来たウクライナからの避難者に対して何が具体的にできるのかを考えてもらうグループ討議。先日、わざわざ沖国大に来ていただいたディアーナ・メドヴィードワさんへのせめてものお礼に何ができるのか。他人事で終わらせないことが必要だと思うゆえの授業。沖国大の浦本寛史先生に聞いてみると、学生たちがかなり熱心に話し合っていたという。だから学校という場所は面白い。

 夜22時すぎに、自民党本部前の路上でハンガーストライキを続けている元山仁士郎さんに会いに行く。思ったより元気だったが、相当にキツい、だろうなと思う。15日の「復帰」50周年の日は沖縄にいるそうだ。沖縄でもまた会おう。

ハンガーストライキ中の元山仁士郎さんハンガーストライキ中の元山仁士郎さん=撮影・筆者

5月11日(水) 朝、NHK・BSのワールドニュースをみていたら、ウクライナ公共放送が、戦場で戦う父親に向けた子どもたちのメッセージを集めてまとめて流すニュースをやっていた。その後にロシア国営テレビの『べスチ』の内容の一部を放送していた。ロシア軍に従軍している記者が、ウクライナ側を一貫して「ネオナチ」と呼び続けていた。パラレル・ワールド。ピューリッツァー賞に「ウクライナのジャーナリストたち」が選出されたことの意味をきちんと考えるべし。

 朝から中野区内にある法廷セットのスタジオで、沖縄企画の法廷部分の再現シーンを撮る。嬉しいことにカメラマンは気心の知れたMだ。当初は、イメージ映像的なことを考えていたが、Wディレクターが手配した出演者の皆さんが、再現シーンの内容にとても興味をもってくれたようで、ウチナーグチ=沖縄言葉を含めて実際に発話して演じていただく方向になった。このことが大いに良い方向へと回っていくきっかけとなった。あっという間の2時間半だった。すばらしい。

 女性の出演者は、何と先日、東府中で行われた大工哲弘さんのライブ会場で働いていた方だった。その方が「ウチナーグチ」指導までやってくださった。沖縄の言葉を禁じ、標準語を使いなさいと命じ、被告全員、弁護人、傍聴人らをほぼ全員退廷させた事実の政治性を考えることが企画のメインテーマのひとつなので、きわめて重要なパートなのだった。

沖縄「復帰」50周年企画を編集作業

5月12日(木) 局で沖縄「復帰」50周年企画の編集。15時半から神保町での打ち合わせにオンライン参加。やっぱり僕のような世代はオンラインより実際に会って話をする方向にどうしても魅かれてしまう。実際、その方が豊かで贅沢なオプションなのだが、コロナ禍で加速化されたオンライン化、ヴァーチャル化の流れは不可逆的なものとなりつつある。

 沖縄企画用に使う写真映像をさがすのに苦労する。特に「沖縄の人、入店お断り」という貼り紙の写真。その昔、僕が見た記憶は鮮明だ。それほどショックを受けた記憶があるので。いろいろなソースにあたってみたが結局見つからず。どこでみたのだろうか。

5月13日(金) 午前、日本外国特派員協会でハンガーストライキ中の元山仁士郎さんの会見。本当によくやっている。体力的にはギリギリだろうに。その後、局で、沖縄「復帰」50周年企画の編集作業。何とか仕上げて夜の最終プレビューには間に合う。

外国特派員協会で会見する元山さん日本外国特派員協会で会見する元山仁士郎さん=撮影・筆者

5月14日(土) 朝9時40分の便で那覇へ。那覇は雨が降ったりやんだり。本土「復帰」50周年の記念式典会場前からの生中継。17時30分から『報道特集』の本番。VTRの中身は、「国会爆竹事件」が問いかけるもの。今の日本の中では、おそらく「異物」感、満載なのではないかと想像する。佐古ディレクターが中継担当をやってくれた。ADのK君も一緒に動いてくれた。ありがたい。RBC琉球放送の簡易中継は時折強い雨の降る中、ほぼ完ぺきにできた。RBCのスタッフの皆さんに感謝。

 『報道特集』の中継後、旧知の沖縄のジャーナリストたちと交流。あしたの「復帰」50周年の準備で皆さん大変ななか、Aさんがやって来てくれた。

「お祝い」の日と「過剰警備」

5月15日(日) 沖縄の本土「復帰」50年の日。地元紙「琉球新報」の紙面が振るっていた。50年前の5月15日と全く同じ1面トップの大見出し「変わらぬ基地 続く苦悩」とあった。50年前の縦見出しが「いま 祖国に帰る」で、それから50年後の今日の縦見出しは「いま 日本に問う」だ。この卓越した編集センス。それが新聞全体を包み込むように1面と最終面で掲載された特別紙面なのだった。コンビニでこの琉球新報が結構売り切れていた。

復帰50年を迎えた普天間飛行場には、オスプレイが並んで駐機されていた=2022年5月15日午後、沖縄県宜野湾市復帰50年を迎えた普天間飛行場。オスプレイが並んで駐機されていた=2022年5月15日、沖縄県宜野湾市

 やはり今日も50年前と同じく雨模様。時折かなり強く降る。東京から『報道特集』のWディレクターも朝の便で沖縄入りした。おもろまちのビジネスホテルで合流して式典会場へ。会場の宜野湾市の沖縄コンベンションセンターに至るまでは、さすがに昨日と比べて警備が厳重になっていた。式典は沖縄会場・東京会場・皇居の3元中継で行われる。

復帰50周年記念式典会場にて沖縄「復帰」50周年記念式典会場にて=撮影・筆者
同=撮影・筆者同=撮影・筆者

 2部構成、すべて段取り通り、粛々と行われていた。沖縄の会場内には招待ベースで沖縄県内の住民代表や行政関係者、米軍関係も含めて「関係者」が参列していた。最大の特徴は、岸田首相ひとりだけが東京からやってきて、壇上にいたことである。首相がいることで、沖縄会場がメインであることを示す象徴的なアクションとなっているのだ。東京会場には2権の長=衆議院議長、参議院議長、最高裁長官が、さらに駐日アメリカ大使エマニュエル氏らがいた。皇居には、天皇皇后両陛下が(画面上に登場された際に、なぜかバックに『威風堂々』の曲が流れていた)。

同=撮影・筆者同=撮影・筆者
同=撮影・筆者同=撮影・筆者

 僕らは、沖縄の会場であたふたと記者登録の手続きを済ませ、所持品X線検査、体温測定等を経て、会場内に入っていった。報道記者席は3階に設けられている。そこへ行くと、最前列席にガムテープが貼られていて、どうも使用できないようだった。

同=撮影・筆者同=撮影・筆者
 県知事や首相らのスピーチを聴いていたが、きわめて抑制された内容で強いメッセージという感じがしなかった。やはり基調は「お祝い」のように思えた。ただエマニュエル駐日大使の挨拶だけは、現下のウクライナ情勢に触れて、日米同盟の一層の強化を訴えるストレートなものだった。そのための沖縄の役割に感謝をあらわすととれる内容で、「復帰」50周年の内実を、ある意味で、リアルに示していたのかもしれない。

 首相の会場入りとほぼ同時に、首相の同行記者たちがどっと入場して来て、さきほどガムテープが貼られていた最前列の席のテープが県職員によって剝がされて、そこに同行記者が一斉に坐り始めた。なるほど、そういうことだったのね。

同=撮影・筆者同=撮影・筆者
同=撮影・筆者同=撮影・筆者

 会場の外の動きが、とりわけ元山さんのハンガーストライキのことが気になっていたので、途中退席して会場外に出た。何やら国道を挟んだ向こう側が騒然としていた。

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