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誤入金4630万円事件の被告には、刑罰ではなく残債務返済の機会を与えるべきだ

電子計算機使用詐欺罪での起訴は無謀に過ぎる

松宮孝明 立命館大学教授

 山口県阿武町で4630万円が誤って1人に振り込まれた問題で、山口地検は6月8日、T氏(以下、「被告人」)を電子計算機使用詐欺の罪で起訴したと報じられている。あわせて、警察は、300万円を不法に得た疑いで再逮捕したとのことである。

 しかし、すでに甲南大学の園田名誉教授が述べているように、この事件を電子計算機使用詐欺罪に問うことは無謀である。

 以下では、その理由をできるだけわかりやすく説明しようと思う。

山口県阿武町が誤入金した4630万円のうち、300万円を別の口座に振り替えた電子計算機使用詐欺容疑で6月8日に再逮捕された翔容疑者。9日、山口地検に送致された=2022年6月9日、山口市小郡下郷の山口南署山口県阿武町が誤入金した4630万円のうち、300万円を別の口座に振り替えた電子計算機使用詐欺容疑で6月8日に再逮捕された翔容疑者。9日、山口地検に送致された=2022年6月9日、山口市小郡下郷の山口南署

「誤振込」とは何か?

 「誤振込」とは、振込依頼人がその口座のある銀行に振込送金を依頼する際に、誤って送金先を間違えたために、意図したのとは異なる受取人に送金された場合、あるいは振込金額ないし振込回数を間違えて過剰な送金をしてしまった場合(「過剰入金」)をいう。

 このほか、入金先や送金額、送金回数を送金側銀行(仕向銀行)ないし受送金側銀行(被仕向銀行)の内部でのミスによって間違えた場合がある(「誤記帳」)。両者をあわせて「広義の誤振込」と呼んでもよい。通常、振込依頼人のミスによる「誤振込」の場合には、ミスに気づいた振込依頼人が仕向銀行を通じて被仕向銀行に連絡し、被仕向銀行から受取人に入金を戻すことについて了解を得た上で、同額を反対方向に振込送金する手続が取られる。これを「組戻し」という。

 なお、「過剰入金」は、給与の支払い等においてしばしばみられるもので、その多くは、「過剰入金」に気づいた使用者が翌月の給与から「過剰分」を引き去ることで解決されている。

 他方、「誤記帳」の場合には、普通預金規定(ひな型)3条2項に、銀行側が一方的に入金を取り消す権限が取り決められている。通常、預金契約はこのひな型に即して作られている。したがって、この場合には、受取人に「誤記帳」取消の通知はない。

 かつては、「広義の誤振込」では入金による預金債権の成立は無効だとする理解の下で、仕向銀行の係員が44万円を44万ドルと間違えた送金を、それに気づきつつATMで引き出した被告人に窃盗罪を認めた裁判例もあった。

 しかし、本来の「誤振込」については、平成8年4月26日の最高裁判決(以下、「平成8年判決」)が入金を有効とし債権者による預金の差押えを認めて以来、無効を前提とすることはできなくなっている。また、平成12年3月9日の最高裁判決は、被仕向銀行が受取人の承諾を得ずに振込金員を仕向銀行に組み戻した場合には、当該金員相当額の預金債権は消滅しないと述べて、銀行側を敗訴させている。

 今回の阿武町の事件も、この「誤振込」の場合に当たる。

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誤振込の告知の有無と財産犯の成否は無関係

 その中で、平成15年3月12日の最高裁決定(以下、「平成15年決定」)は、身に覚えのない入金に気づきつつその事情を説明せずに銀行の窓口でそのほぼ全額を払い戻した人物に詐欺罪を認めた。ただ、その理屈は、簡単ではない。というのも、本来の「誤振込」では入金は有効であり、受取人は払戻しを請求できるからである。この場合、銀行は払戻しを拒めない。

 ところが、詐欺罪(あるいはATMでの払戻しでは窃盗罪)を認めようとすると、犯罪の対象は銀行が所有する現金になるので、誤振込者ではなく、銀行を被害者とする財産犯を考えるしかない。しかし、その銀行は、今回の事件がそうであったように、誤振込であるとわかっていても、それだけでは払戻しを拒めないのである。したがって、これでは、銀行を被害者とする財産犯は成立しない。

 「組戻し」という処理も、先の説明でわかるように、銀行のための処理ではなく、受取人のために誤振込金員を返還する便宜を図る処理である。したがって、巷では誤解されているのだが、「平成15年決定」は、銀行に「組戻し」の機会を与えることだけを理由として受取人に誤振込の事実を告知する義務があると述べたのではない。そもそもこの告知をしても払戻しは受けられるのであるから、告知の有無で銀行を被害者とする財産犯の成否が左右されるというのはおかしいのである。

 そこで、「平成15年決定」の最高裁調査官解説を読むと、

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