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白川優子が見てきた戦争~血と涙と叫び声にまみれながら、未来を奪われていく市民たち

終戦後も消えない深い傷と絶望、追い打ちをかける「無関心」

白川優子 国境なき医師団 手術室看護師

 国際NGO「国境なき医師団」(MSF)の看護師、白川優子さんは、これまで世界18カ所の紛争地や危険地に赴任してきました。昨夏には、タリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧した直後に南部ヘルマンド州に入り、5週間にわたって医療援助に当たっています。ロシアによるウクライナ侵攻で多くの人々の命と暮らしが理不尽に踏みにじられているいま、何を思うのか。寄稿していただきました。

イラクで見た、精神の荒廃

 戦争はなぜ悪いのか。それは人間の未来を破壊するからだ。戦争はその時、その場だけのできごとではない。勝利宣言に敗北宣言、または和平合意によって戦争が終結しようとも、亡くなってしまった人々の未来は戻ってこない。そして、命を取り留めた人々にとって、これから生きのびなくてはならない未来は過酷なものになる。

 2017年7月、私が派遣されていたイラクのモスルでのこと。政府軍と多国籍軍によるモスル奪還作戦が終結し、モスルが過激派組織「イスラム国」(IS)から解放された。

 半年以上にも及んだ作戦は、空爆や銃撃、砲弾による暴力的なものであったため、戦闘から逃げまどう一般市民たちに多くの犠牲者が出た。MSFでは奪還作戦が始まった当初から複数の医療チームが各地に入り、血を流す負傷者の対応に追われていた。

モスル東部の病院で緊急医療支援に従事する白川優子さん=国境なき医師団提供 拡大モスル東部の病院で緊急医療支援に従事する白川さん=2017年7月、国境なき医師団提供

 奪還作戦が終わると、今度は「血を流していない」人々が病院に運ばれ始めた。灰色一色の無残な廃墟に変わり果てた街。多くの建物は鉄骨がむき出しになり、焼け焦げた車が上下逆さまで放置されている。

 市民はこの破壊された街の現状に向き合わなくてはならなかった。戦後の劣悪な環境で生活を強いられ、幼児やお年寄りから健康が蝕まれていた。まともな調理場がないため、地べたで料理をする女性と、それに手が届いてしまう乳幼児の火傷も増え、MSFでは医療活動の規模を戦時中よりも拡大しながら対応していた。

 ある日、60代の男性が全身熱傷で運ばれてきた。自らガソリンをかぶり、火をつけたのだ。この男性に付き添っていた、姪だという20代の女性が私に話してくれた。叔父もまたモスルでISに支配されていた市民のひとりで、奪還作戦によって無傷で解放された。ところがその後、この叔父の精神が崩れてしまったのだという。

 この男性はかつて、ある企業の経営者として裕福で落ち着いた暮らしを送っていたそうだ。しかし、突然やってきたISの強硬支配が始まり、他の多くのモスル市民と同様、囚われの身となった。3年後、奪還作戦によって彼とその家族は幸いにも無傷で解放されたが、その後目にしたモスルの風景は一変していた。

 冗談のような話ではあるが、私はモスルに到着した当初、「この街の建物の壁は、水玉模様が多いのだなぁ」と思いながら、車中から街の様子を眺めていた。しかしすぐに、それはおびただしい数の銃弾痕であったことに気づき、うっかり口にせずによかったと思ったものだ。

 焼身自殺を図ったこの男性は、「街が壊され、仕事を失い、養わなくてはならない家族を抱え、これからどうやって生きてゆけばよいのか」という言葉を繰り返し、ついにはガソリンを被って自殺を図ったとのことだった。彼だけではない、この時からモスルでは成人男性の自殺が増えたという。これが戦後社会の現実だ。

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筆者

白川優子

白川優子(しらかわ・ゆうこ) 国境なき医師団 手術室看護師

1973年埼玉県出身。高校卒業後、坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学、卒業後は埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として勤務。2006年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後約4年間、メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年よりMSFに参加し、スリランカ、パキスタン、シリア、イエメンなどで活動に参加してきた。現在はMSF日本事務局にて海外派遣スタッフの採用を担当。最新刊は『紛争地のポートレート 「国境なき医師団」看護師が出会った人々』。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです