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白川優子が見てきた戦争~血と涙と叫び声にまみれながら、未来を奪われていく市民たち

終戦後も消えない深い傷と絶望、追い打ちをかける「無関心」

白川優子 国境なき医師団 手術室看護師

見るも無残な患者が次々と運ばれてくる

 私が初めて紛争地に派遣されたのは2012年、現在も戦争が続いているイエメンだった。

 足が震え動けなくなるほどに怖かったのは、空爆の振動でも銃撃の音でもない。その空爆や銃撃で被害に遭った患者さんたちを目の当たりにした時だ。紛争地の病院では、人間の、人間とは思えない無残な姿があった。人々の、手から足から、腹部から、頭部から、顔面から血液がしたたり、骨が砕け、内臓が飛び出している。

 人間とは、こんな姿になってしまうのか。先日まで日本でお洒落や恋愛を楽しんでいた私は、これが戦争というものなのだと、教科書からも報道からも得ることのなかった世界に向き合うことになった。

 私たち外科チームは、紛争地の手術室で患者の身体に突き刺さった破片の一つ一つを取り除き、お腹の中の銃弾を取り出し、砕け散り突き出した骨の固定をし、潰れてしまった手足の切断を行う。空爆や銃撃の音が続く限り、手術室に終わりはない。

 妊婦さんや乳幼児を含む、老若男女がそこには運ばれてくる。攻撃を指令する者、爆撃のスイッチを操る者は、現場でこんなにも多くの血が流れ、叫び声や涙、恐怖にまみれている惨状を想像できているだろうか。自分がこんな姿になったら、愛する家族にふりかかったら、という想像力があれば、戦争など起きることはないのだと思うのであるが、しかし実際にはこの地球上では戦争がなくなるどころか、21世紀に入っても新しい戦争が起きている。

モスルに設けられたテント病院の救急室=2016年、国境なき医師団提供拡大モスルに設けられたテント病院の救急室=2016年、国境なき医師団提供

命が助かっても、帰る家がない

 紛争地の病院に収容され命が助かれば、それは素晴らしいことかも知れない。しかし次に、助かればそれだけで良いのだろうか、という問いにぶつかる。救われた命にはその先があり、完治までの長い道のりと、破壊された社会での日常が待っている。その現実に襲われる現地の人々を目の当たりにすると、医療現場で緊急援助することしかできない私たちの中で無念さが募る。

 医療の基本的な役割とは、患者さんが家に戻って「今まで通り」または「それに限りなく近い生活」が送れるよう、包括的なサポートを行うことである。病気や怪我に対する治療そのものだけではなく、例えば理学療法、食事療法、心理サポート、社会福祉士を交えた社会的サポート、保健指導など、多角的なアプローチを加えることが含まれる。

 ところが、そもそも紛争地では帰る家がない患者さんが多くいる。自宅を破壊されているか、もしくは危なくて戻れないという現実を抱えているからである。さらに、

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筆者

白川優子

白川優子(しらかわ・ゆうこ) 国境なき医師団 手術室看護師

1973年埼玉県出身。高校卒業後、坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学、卒業後は埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7年間看護師として勤務。2006年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後約4年間、メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年よりMSFに参加し、スリランカ、パキスタン、シリア、イエメンなどで活動に参加してきた。現在はMSF日本事務局にて海外派遣スタッフの採用を担当。最新刊は『紛争地のポートレート 「国境なき医師団」看護師が出会った人々』。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです