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重信房子氏の目に外の世界はどう映っているのだろうか

[5月28日~6月6日]重信房子氏の出所、『ドンバス』、日本メディア学会……

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

5月28日(土) 朝、早く自宅を出て昭島市の東日本成人矯正医療センター(医療刑務所)へ。午前8時前に日本赤軍の元最高幹部・重信房子氏が懲役20年の刑の服役を終えて出所する。これを取材するためだ。いろいろな意味で、これはこの日のニュースであることは間違いない。

 午前6時半過ぎに現場に到着したら、すでにたくさんの報道陣(僕もそのうちの一人だ)が詰めかけていた。ざっと数えて100人は超えているか。カメラを担当する人たちは撮影場所の確保で多少混乱していた。それを救援連絡センターのY氏が整理したりしていた。センターに接している駐車場スペースが一応開放されていて、そこに各社がポジションを確保するべくいろいろと調整が行われていたが、フリーランスのカメラマンや、なかには野次馬的な訪問者もいたりして、完全な統制などできようはずがないのだった。

撮影・筆者昭島市の東日本成人矯正医療センター周辺で=撮影・筆者
撮影・筆者同=撮影・筆者

 午前7時、娘さんの重信メイさんと彼女の友人らを乗せた車が到着した。さらに大谷恭子弁護士を載せた自家用車もやってきた。重信氏の支援者らも30人ほどがすでに到着していた。彼ら彼女らは『WE♡FUSAKO』と書かれた横断幕を持っていた。大谷弁護士が「声明文」のコピーを現場で配布していた。そしてメイさんと大谷弁護士らがセンター内へと入っていった。現場一帯では、医療センターの警備員に加えて、警視庁の署員らがパトカーとともにその場に貼りついていた。

撮影・筆者同=撮影・筆者
撮影・筆者同=撮影・筆者
撮影・筆者同=撮影・筆者
撮影・筆者同=撮影・筆者
撮影・筆者同=撮影・筆者
撮影・筆者同=撮影・筆者
撮影・筆者同=撮影・筆者
撮影・筆者同=撮影・筆者

 午前7時30分、そこから数十メートル離れた道路に「正義行動」と大きく書かれた右翼団体の街宣車が1台やって来る。正門へのアクセスは警視庁の警備によって制止されていた。団体の構成員のひとり(若い女性)が車から降りてきて、一人でこちらの方へと歩いて近づいてきた。警察官が緩やかに正門前に来るのを止めているようにみえた。

 午前7時50分すぎ、刑務所内に入っていったメイさんと大谷弁護士に付き添われて、重信房子氏が車の後部座席に乗って出所してきた。正門前で車を一旦降りて、支援者らにお礼の言葉を述べた。黒い帽子をかぶり、白いマスクをし、アラブの人々がよく身につけるシュマ―グと呼ばれるスカーフを身に着けていた。マスクをした顔からも、やはり外の世界に戻ってこられた安堵のような表情が読み取れた。

出所した重信房子氏(右)と娘の重信メイさん=撮影・初沢亜利出所した重信房子氏(中央)と娘のメイさん(左)=撮影・初沢亜利
=撮影・初沢亜利撮影・初沢亜利
撮影・初沢亜利撮影・初沢亜利

 その瞬間だ。それまでおとなしくしていた右翼団体の街宣車が突然、大音量でがなり始めた。おそらく出所するタイミングを見計らっていたのだろう。「人を殺しておいて、たった20年で、がんの治療に専念するだとか、不届き者じゃねえか。日本から出ていけ~」。あまりにも音量が大きすぎて、出所してきた重信氏が支援者らに話しかけていた言葉がほとんど聞こえなかった。街宣車の大音量はその後も継続して発せられていた。警察は別にそれを止めるでもない様子だった。

 重信氏ら一行は、正門近くにある公共施設の公園へと車で移動し、そこで報道陣の前で簡単な記者会見を行った。自分たちのやってきたことで多くの無辜(むこ)の人にご迷惑をおかけしたことをお詫びします、体力は続かないかもしれないが、今後はまず治療に専念したいと思います、などと所感が述べられた。

 その後「幹事社の朝日です」という口火で報道陣から質問が飛んだ。考えてみれば、なぜ「幹事社」という単語がここで出てくるのか、不可解な慣習のなせる業なのだが、ここは遠慮なくどんどん質問するべき時ではないかと思い直し、挙手したらあたった。長い歳月を経ての出所の実感を聞いてみた。すると重信氏は、「一方的な情報を信じないで欲しい」旨、答えていた。今日は『報道特集』の生放送があるので、早稲田奉仕園で開かれるという支援者らの集会取材は断念し、Kディレクターらとも別れて局へと戻った。

 それにしても今日、昭島に取材していた記者たちの若いこと。彼ら彼女らにとっては、生まれるはるか以前の出来事で、江戸時代以前の戦国時代の出来事のような認識かもしれない。僕らの世代は、ぎりぎりリアルタイムで、日本赤軍の行動をみていた。当時の衝撃もまだ記憶にある。むしろ、今、取材に来ている若い記者の彼ら彼女らが日本赤軍についてどのような認識をもっているのかを知りたいと思ってしまった。いずれにせよ、今日は大騒ぎの一日になった。重信房子氏の目に、外の世界はどのように映っているのだろうか。

 局に戻ると、さまざまな<協議事項>なるものが待ち構えていて、ひとつひとつ解決していくしかない流れとなっていた。意見や見解の違いが、切迫しているオンエア時間までの短いあいだに結論を求められるという制限のもとだ。議論が深められ、真の解決策へと至らない。こういうことをこれまで何度繰り返してきたことか。理不尽なことは常に内側からやって来る。

 そう言えば、沖縄の玉城デニー知事が今日出馬表明をしたが、全国ニュースでは扱われていなかったかな。対立候補は、佐喜眞淳・前宜野湾市長と決まっており、9月の県知事選挙は、この2人の実質的な一騎打ちとなる形が固まった。夜、赤坂でXと飲食。土曜日の夜の赤坂はしんみりと静まり返っていた。

2018年に2022年2月24日を予告していた映画『ドンバス』

5月29日(日) ストレスが極限に達して、朝プールへ行き泳ぐ。このままひたすら泳いでいてもいいなと思うくらい。反撃せよ。そして自分が利他的存在として出来得ることを考えよ。

ドンバスの映画ポスターより映画『ドンバス』のポスターより=撮影・筆者
 カンヌ映画祭で早川千絵監督の『PLAN 75』がカメラドール特別表彰を受けたとのこと。すばらしい。

 前から見たいと思っていて、新田義貴さんからも薦められていたセルゲイ・ロズニッツア監督の『ドンバス』をみる。これが期待に違わずものすごい映画だった。現在進行形のディストピア映画とでもいうか。すでに2018年の段階で2022年2月24日を予告していたロズニッツア。それだけでなく、プーチンの思想を形成する大ユーラシア主義の狂気を描き切っている。この映画の最終シーンのロングの遥か彼方に広がる製鉄所の光景をみて背筋の凍る思いをした。

5月30日(月) あのテルアビブ空港事件から今日でちょうど50年となる。思い立っていつもとは違うプールに出かけた。ゆったりと泳いだ。

 某政党が実施したという参議院選挙での投票行動調査によれば、自民圧勝の勢い、維新が第2党との暫定的な結果が出ているが、実際はどのようになるのかも全くわからない。ただこのような事前調査を定常的に複数回にわたって行える財力をもつ政党は、もはや与党第1党以外にはないというのが実情のようだ。マスメディアには何度も定点観測を行えるだけの財力はもはやない(NHKだけは別だけれど)。

 16時30分から早稲田大学のゼミ。ウクライナ第二の都市ハルキウの現地取材に入ったTBSアキバ記者の現地リポートを見た上でのディスカッション。APやロイターから買う映像ではなく、自前で取材することの重み。取り残された住民たちが防弾チョッキを着ていないのに記者が防弾チョッキを着ていることの意味。ウクライナ軍の同行ということの意味。インタビューに答えていた老人たちがいずれもロシア語を話していたことの意味、などゼミ生たちから鋭い指摘が飛び、思っていたより実り多い議論ができた。

 その後、新宿に出て、かつてのゼミ生(いや彼ら彼女らも他大学からのモグリだったなあ)のK君、H君、Sらが集まって一緒に歓談。H君の同期同僚のウクライナ人女性が途中から参加して、忌憚のない話で盛り上がった。本音を言い合うことはとても大事だ。「命をかけてでもまもるべきものがある」と彼女は何度も強調していた。

声を上げ続けること

5月31日(火) 朝早い便で沖縄へ。那覇に着いてから宿舎のロビーで『報道特集』の定例会議にオンラインで参加する。

 そのままお昼すぎから今度は日本メディア学会の春季大会でのワークショップの実施についてのオンライン会議。沖縄タイムス社の阿部岳編集委員からの問題提起と、それに対話者として自分が、さらに沖縄から沖国大の大学院生が「Z世代」からの声の発信者として参加する仕組みについて再確認。会場の日本女子大は行ったことがないのだが、男子トイレがある場所が限られているので要注意とのこと。

 その後の沖国大の授業では、かつて自分が『筑紫哲也 NEWS23』にいた時代に制作した『沖縄の基地なんか知らないよ〜東京・渋谷にて』(1998年)をみてもらって、学生たちとディスカッションをした。学生たちは基本的にはとても熱心で反応がいい。

6月1日(水) 沖国大の教室に、いつも持ち歩いている取材ノートを置き忘れてきてしまった。何やってんだか。梅雨の沖縄で今朝は奇跡的に雨があがって陽もさしていたので、思い切ってプールへ行って泳いだ。僕のほかにたった一人が泳いでいただけ。やっぱり少しでも泳ぐと気持ちがいい。プールの監視員の若い兄ちゃんが、「『波の上』に新しくできたホテルにもプールがあって、ここの半分以下で泊まれますよ」と教えてくれた。ほんとかよ。

 夕方に羽田に帰着する。その後、新宿区の隠れ家みたいな場所でI氏。朝日新聞を辞めた元政治部記者・鮫島浩氏の本が

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