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【反響】障がい者が社会を進化させる~「してあげる」ではなく「学ぶ」視点を

「わたしはもう一度生まれた~脳塞栓症にかかった人類学者の新たな研究テーマ」の反響

石黒由佳 医師

 「論座」ということばに私が思い浮かべるのは、いろりを囲んで座り、語りあい、論じあう光景です。ゆったりと時間が流れるその場には、相手を「論破する」「言い負かす」ような論じ方は似合いません。互いの言葉に耳を傾け、相手を知ろう、なにがしかのことを学ぼうとする。そんな建設的な議論の場を、論座でもつくっていけたらと考えています。
 そのための試みとして、論座で公開した論考に対する反響のうち、編集部員が心を動かされた文章や優れた論を、ご本人の了解を得たうえでご紹介していきます。
 こちらは、三谷雅純さんの連載「〈障害者〉と創る未来の景色」の初回「わたしはもう一度生まれた~脳塞栓症にかかった人類学者の新たな研究テーマ」(5月29日公開)や、三谷さんの論考を紹介する私のコラムに対して、内科医の石黒由佳さんが寄せてくださったものです。
 読者のみなさまも、論の座に座り、論じあいませんか。info-ronza@asahi.com にメールでいただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。

「論座」編集長 松下秀雄

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自己表現を疎外されている娘の代弁者として

拡大石黒由佳さん
 私は重度の知的障がいをもつ娘を育てつつ、地域の診療所に勤務する内科医です。私自身は障がい当事者ではありませんが、自己表現を阻害されている娘の代弁者として投稿させてもらいます。

 今から18年前に私はスイスから来日したある小児科医から「障がいとは?障がい者の役割」をテーマとした講義を聴く機会がありました。

 その頃、娘は2歳で著しく発達が遅れつつあり、健常の子どもたちとは違う様子であることに対して、私は親として「障がい」をどのように受け止め、理解していくのかを逡巡する日々でした。

取り上げられる障がいは変遷し、それに社会が対応する

 講義の中で私を驚かせたのは以下のような内容でした。

 『時代のその時々で取り上げられる障がいが変遷していく-たとえば、1970年頃ではダウン症のような古典的な障がい、1980年頃にはADHD、その後は自閉症、アスペルガー症候群などの自閉症スペクトラム、高次機能障害といった具合に。そして、そうして話題になった障がいに社会が対応していくことで、社会そのものが進化していく~つまり、障がい者が社会を育てる教師なのだ』というような要旨でした。

 その時、初めてそうした視点に出会って、そういうものかな?という感じの受け止めでしたが、その後、自分の子どもを育てつつ、また仕事上でもいろいろな困難をもった方と出会う機会もあり、そうした視点の意味を自分なりに問い続けてきました。そして、さまざまな体験をするほど、その視点の深さに感嘆するほかなくなりました。今はそうした視点をできるだけ多くの人と共有したいという思いでおります。

「生きる」ために何が大切なのか、娘から教えてもらって

 障がいがあることで生きづらさがある方たちを支援する人たちは、その方の思いを受けとめ、その人らしく生きることができるように手を貸すために、いろいろと考えたり、行動したりすることになります。そうした結果、社会がよくなるだけでなく、自分自身が人間として成長するという喜びを体験的に知ることになるのです。

 また知的障がいのある人たちは、重度な人ほど純心でそうした方に関わることで、自身が癒やされる経験をする人も多いようです。社会で心が傷ついた人が癒やされるような体験をすることもあります。

 私自身は世間一般のペースとはかけ離れた娘とともに生きることで、世間的な快楽を味わうことはないけれども、世の中の濁流と少し離れたところで、人間が「生きる」ために何が大切なのかを娘からとつとつと教えてもらいながら、自分の生きる方向性を見定めているという感じがします。

 日本では多くの方は謙虚で、障がいのある人のことをよく知らないので、自分は関わることができないと考えられるようですが、自分が何かをしてあげる存在ではなく、そこで何かを学ぶ体験をするのだというように考え方を変えると、障がい者との関わり方が変わってこないでしょうか?

 誰もがが障がい者と関わり、体験を共有する機会が広がれば、現代社会が求めるダイバーシティというものをダイレクトに学ぶことができると思います。

 「障がい者が社会を進化させる」という視点をみんなで共有することで、全ての人に優しいしなやかで強靱な社会に日本がかわっていけるといいなと願っています。

 【三谷雅純さんの応答】

 「論座」編集長の松下秀雄さんが書いておられる「論の座に座り、論じあう」という提案、わたしも賛成です。ここでは「【反響】「障がいのある人にしかできないこと」を謙虚に認める~そこから生まれる関係」をお書きになった石黒由佳さんの論に応答してみます。

 〈障害者〉(石黒さんは「障がい者」とお書きです)が社会を育てるという視点、わたしも大賛成です。〈障害者〉という表記法は、「世の中に『障害者』と呼ぶべき人はいない。いるのは独自の才能を持ったさまざまな人だけだ」ということを表現しようと考えて編み出した、わたし独自の表現です。ですから「健常者」も、実はご自身の「障害」に気付いていないだけで、わたし流に呼ぶなら「非障害者」なのです。だって、けがや病気の経験がない方はおられないし、高齢になれば自ずと何らかの「障害」は持たれるのですから。

 石黒さんの「世の中の濁流と少し離れたところで、人間が『生きる』ために何が大切なのかを娘からとつとつと教えてもらいながら、自分の生きる方向性を見定めている」生活、素敵だと思いました。実は気付いていないだけで、このことは、わたしを含めてすべての人に通じるのかもしれません。

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拡大三谷雅純さん。〈障害者〉になってもフィールドに出るとおもわず笑顔になる。インドネシアのスマトラ島南岸で撮影(三谷さん提供)

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