「わたしはもう一度生まれた~脳塞栓症にかかった人類学者の新たな研究テーマ」の反響
添付の写真は花巻に住んでいる青年達です。先日お母さんのFacebookにアップされていました。見ただけでキュンと幸せな気持ちになります。
二人ともアンジェルマン症候群といって、重度障がいの青年達です。重度障がいなので、何もできないのかというと、そんなことはなくて、こんな素敵な顔をして、まわりの人たちを幸せな気持ちにさせてくれます。私たちには絶対にできないことです。彼らにしかできないことなのです。そのことを謙虚に認めることから、彼らとの新しい関係が生まれます。
こんな笑顔をする人は街の宝だと思います。社会の中で一番大切にしたい人たちです。
施設にはこんな笑顔をする人はたくさんいるはずです。そんな笑顔を見つけた時、
「あ、今日もいい笑顔だね。」
って笑顔で言える関係を作ること。それが虐待をなくす、一番大事なことだと思います。そして楽しいことがあった時は、一緒にこんな笑顔になる。楽しいことを彼らと共有するのです。
彼らと一緒に本心で笑えるようになった時、失った「人の心」が戻ってきます。重度障がいの人たちが、失った「人の心」を取り戻してくれるのです。
「人の心」を失っているのは施設だけではありません。虐待、いじめは社会全体を覆っています。その社会を救うのはやっぱり障がいのある人達ではないかと思うのです。彼らのそばに謙虚に立つこと。そうすることで、私たちは「人の心」を取り戻すことができるのではないか。そんな風に思うのです。
【三谷雅純さんの応答】
「論座」編集長・松下秀雄さんの「論の座に座り、論じあう」という提案にそって、わたしも論の輪に入れていただきます。「【反響】「障がいのある人にしかできないこと」を謙虚に認める~そこから生まれる関係」をお書きになった高崎明さんの論に応答してみます。
わたしは人類学者ですので、人のすることを「なぜ、そんなことをするのだろう」と考えながら見るクセがあります。それは良いことも悪いことも含めてです。「良いことも悪いことも含めて」人間のやることには、それなりの理由があるはずです。わたしは理由を明らかにできなければ、何かが起こったときの対応もできないような気がしています。
例えば「ぷかぷか」のある神奈川県では障害者施設で多数の殺人が起きた「津久井やまゆり園事件」が有名です。「やまゆり園事件」を「世の中の常識を理解できない人が起こした事件」と片付けてしまうのは簡単です。しかし、わたしは「なぜやまゆり園事件を起こしたのだろう」「起こした理由は何だったのだろう」と考えてしまうのです。もちろん簡単に分かることではありません。高崎さんは「障がいのある人達と『フラットに付き合う』『ふつうにつきあう』」ことができていないからだとおっしゃるのかもしれませんが、わたしはその回答の先にある「フラットに付き合う」「ふつうにつきあう」ことのできない人たちに見えている「世界」が具体的に分からなければ、これから起こるかもしれないことに対応できない気がするのです。
「(「人の心」を失っている)社会を救うのはやっぱり障がいのある人達ではないかと思うのです」というご意見、わたしもそう思います。大賛成です。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?