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子どものスポーツに「児童労働」という視点を

行き過ぎた指導や練習から子どもを守る流れを日本から作ろう

野口好恵 元国際労働機関(ILO)職員、児童労働法律専門家

 「小学生の柔道個人戦の全国大会廃止」という今春のニュースに、欧州暮らしが30年余りになる私は我が意を得る思いがした。

 全日本柔道連盟の山下泰裕会長の「日本スポーツ界では、スポーツは若い人がやるもの、勝ち負けが大事、きつく苦しいもの、というイメージが強い。それを打破していかないといけない。スポーツは楽しいもの、自らやるもの、人生を豊かにするものになっていってほしい」という言葉(朝日新聞デジタル2022年3月30日)に、大いに共感を覚える。実はその頃は、第5回児童労働撤廃世界会議(2022年5月、南アフリカ・ダーバン)での発表をめざして「スポーツにおける児童労働」白書 を準備する真っ最中だった。

 この白書の内容とあわせ、子どもとスポーツについて最近の国際的な動きを紹介したい。

5月の世界会議で初の白書を発表

 「スポーツが児童労働?」と違和感を持たれる方も多いだろう。もちろん、典型的な児童労働といえば、主に途上国で子どもたちがモノを作るために働かされている状態が頭に浮かぶ。

 国際社会はもう100年以上、児童労働の撤廃を目指してきた。例えば国際労働機関(ILO)で最初の児童労働関連条約は1919年、ILO創設の年に採択されている。工業における最低年齢を定めたものだ。最近では、「最悪の形態の児童労働に関する182号条約」 (1999年)が、ILO全加盟国による批准という空前絶後の快挙を達成した。

 2000年からは、統計手法を用いた世界推計も発表され、大多数は農業、それも家族に交じって働いていると分かった。約20年で半数に近く減らしたものの、今でも1億5千万人以上が児童労働についていると言われる。

ガーナのカカオ生産地で働く子どもたち=ACE提供 拡大ガーナのカカオ生産地で働く子どもたち=ACE提供

 世界が2030年までの達成を目指している「持続可能な開発目標(SDGs)」では、「すべて形態の児童労働を2025年までに撤廃」(指標8.7)が掲げられている。冒頭に記した第5回世界会議は、その実現は程遠いという危機感のもとで初めてアフリカで開かれた。数あるサイドイベントの一つが、「スポーツにおける児童労働」白書の発表だった。

 この白書は、特にエリートスポーツに従事する子どもたち、またはその途上にある子どもたちの状況が、児童労働に類似しているという指摘に焦点を当てている。ここでエリートスポーツとは、High-performance and professional sportつまり、国際的トップレベルの競技やプロとして行うスポーツを指す。議論を裏付ける証拠は、関連する文献の詳細な分析と、様々な専門家グループとの一連の協議から得られたものだ。

スポーツのマイナス面を直視する

 健康的で年齢に合ったスポーツが、子どもたちの生活に大きな利益をもたらす。この「良さ」を信じるあまり、スポーツのマイナス面を考慮することには根強い抵抗がある。一方、エリートスポーツは今や莫大なお金が動く世界的な産業となっている。

 この業界にとって、優れたアスリートの存在が不可欠なのだが、選手としてのキャリアは非常に短い傾向にあるため、意欲と才能のある子どもアスリートを送り出す仕組みが重宝されることになる。そこでは一つのスポーツに早くから特化し、長時間の集中的トレーニングを行い、高いレベルの競技会に繰り返し参加するようになる。

 子どもたちをアスリートとして育てたい大人たちの中には、子どもたちの活躍に生活がかかる者もいる。子ども自身だけでなく他者の利益(将来の利益も含む)のために子どもがスポーツに参加している場合、「仕事(Work)」と同視できるというのが本白書の主張だ。

 もちろん、子ども(18歳未満)のする仕事すべてが「撤廃すべき児童労働」に該当するわけではない。児童労働撤廃のために雇用最低年齢(日本では15歳)を法令で定めることはILO条約上の要請だが、例外もある。例えば

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筆者

野口好恵

野口好恵(のぐち・よしえ) 元国際労働機関(ILO)職員、児童労働法律専門家

東京大学法学部卒、 ジュネーブ大学開発問題研究所(Institut Universitaire d’Etudes du Développement)で修士。日本の人事院に7年間在職後、1986年に渡欧して2019年まで通算30年ほどILO本部に勤務。主に国際労働条約・勧告を担当した。1999年の「最悪の形態の児童労働に関する基準」作成に事務局から参加。ILO児童労働撤廃国際プログラム(IPEC)には法律専門家として10年以上勤務した。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです