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これは「言論封殺」か、それとも「社会に対する復讐」か

〜安倍元首相銃撃事件を受けて〜

前田哲兵 弁護士

素材ID 20220708ONLA0029A演説する安倍晋三元首相=2022年7月8日午前、奈良市
 安倍晋三元首相が銃撃を受け、急逝した。

 時には、その政治的に頑(かたくな)な姿勢が批判されることもあった。他方において、妻である安倍昭恵さんについて語る時の彼は、柔和な顔をした優しい人に見えた。不思議な二面性のある政治家だった。

 私の恩師にあたる弁護士が、安倍元首相と面会した際のことを振り返って、「とても広い見識があった。何人もの政治家に会ってきたが、あれほど勉強熱心な政治家には会ったことがない」と言っていたことがある。

 自らの理想と信念に燃え、まさに寸暇を惜しんでこの国の政治に取り組んでいたのだろう。

素材ID	20220710OPHO0043A安倍元首相を追悼する献花台=2022年7月10日、奈良市
 もちろん主張や立場の違いはある。しかし今は、一国民として、謹んで哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げたい。

著名人の死に感じるもの

 個人的にも、これほどショッキングな事件は記憶にない。

 著名人の死というのは、時に、知人の訃報(ふほう)に触れる感覚に近いものがある。

 安倍元首相ともなれば、毎日のようにテレビ画面を通じて観(み)ていた。自宅のテレビという親密な空間において日々観ていた彼は、私にとって、誤解をおそれずに申し上げるならば「よく知っている遠い親戚のおじさん」のような存在になっていたのかもしれない。お会いしたことはないが、ある意味、それほど身近な存在になっていたのだ。

 その彼が、銃撃されるというショッキングな映像を繰り返し観てしまい、少なからぬ精神的ダメージを受けている。多くの人も同様だろう。どうか自らの、そして周囲の精神的なケアに努めてほしい。

 本稿は、書くかどうか、とても悩んだ。

 故人を前にしてできることは、静かに喪に服することだけであり、私なんぞが、何かそれらしい意見をすることに意味があるとは思えず、むしろ不適切であるようにすら思えた。何より、現状では情報が限られすぎている。

 しかし、どうしても眠ることができずに迎えた日曜日(2022年7月10日)の夜明け前、現時点において感じているこの事件に対する違和感を文章にしてみることにも、なにがしかの意味があるのではないかと思い、そして今、本稿を書いている。

これは「言論封殺」なのか?

 7月8日の事件を受けて、翌9日、日経新聞は「絶対に許されぬ民主主義への凶行」、毎日新聞は「民主主義の破壊許さない」、産経新聞は「卑劣なテロを糾弾する 計り知れぬ大きな損失だ」、朝日新聞は「民主主義の破壊許さぬ」と題した社説を発表し、読売新聞は「卑劣な言論封殺 許されぬ」と犯行を糾弾した。

 同日の毎日新聞のインタビュー記事では、ジャーナリストの江川紹子氏が「安倍氏だけを狙って口を封じたことは確かです。暴力による言論の封殺は民主主義の根幹を揺るがすもので、許されません」と述べ、同じくジャーナリストの安田浩一氏は「テロ行為で政治的な言説を封じるのは断じて許せません」と述べた。

素材ID	20220708OPHO0063ASPらに確保された山上徹也容疑者=2022年7月8日午前11時30分、奈良市

 共通している点は、この事件を、安倍元首相の主義主張や立場を受け入れることができない「ある種の政治犯」のようなものとして捉え、「民主主義に対する挑戦」「言論封殺」という文脈で捉えようとしていることだ。

 しかし、本当にそうなのだろうか。それは、この事件の背景に隠れた真相を見誤ることにならないか。

「結果」と「原因」の区別

 たしかに、本件は、選挙期間中に演説をしていた政治家(しかも歴代最長任期の元首相である)を狙った犯行である。

 基本的人権の中でも、表現の自由はもともと最重要の人権とされているが、その中でも、選挙期間中のそれは、民主制の過程に直接的に資するものであるため、さらに重要といえる。

 本件は、その主体を、暴力によって無きものにしたのであるから、たしかに「表現の自由に対する重大な侵害」であり、「言論封殺」といえる。

 また、選挙は民主主義の根幹であるといえるため、選挙活動中の政治家を攻撃したという点において、「民主主義に対する攻撃」という側面もたしかにある。

 ただ、そのような捉え方は、侵害された「結果」(=被害)のみを見ているといえる。もちろん、そのような見方が誤っているというわけではないが、それはいわば「被害者側からの視点」であり、それだけでは事件の一面しか捉えることができない。

 加害者である山上容疑者の動機・目的、つまり「事件の原因」は、全く別のところにあったのではないか。

当初、無差別殺人のように思えた

 事件の一報を受け、当時の限られた情報の中で、私は言い知れぬ違和感・気味の悪さを覚えていた。それは「用意周到な計画性があるように思えて、実は計画性がないようにも思える」という違和感だった。

 当日の報道によれば、山上徹也容疑者の自宅からは、複数の手製の銃器が見つかったという。犯行に用いられた銃も手製のようであった。仮に事実なら、用意周到に計画された犯行ということになる。

素材ID	20220708OPHO0152A山上容疑者の自宅からの押収品を持つ捜査員=2022年7月8日午後、奈良市

 他方において、安倍元総理が犯行現場となった奈良県に遊説することは、事件前日(7日)の夕方に決まったという。そして、山上容疑者の自宅は、その遊説先からほど近いところにあった。

 そうすると、「山上容疑者は、たまたま安倍元首相が自宅近くに遊説に来たために、犯行の標的にしたのではないか」という疑念が浮かんだ。その場合、これはある種の無差別殺人であるということになる。

支離滅裂な動機

 しかしその後、事件翌日の9日には、山上容疑者は、安倍元首相の遊説先をつけ回しており、犯行前日には、安倍元首相の岡山県の遊説先も訪れていたという報道が流れた。

 仮に事実なら、これは無差別殺人ではなく、やはり安倍元首相を狙った計画的な犯行ということになりそうだ。

 ただ、9日時点での報道によれば、山上容疑者の動機は、「特定の宗教団体に恨みがあった。そのトップを狙おうとしたが難しかった。安倍元首相がその団体と関係があると思ったので、安倍元首相を狙った」とされている。

 本当に山上容疑者がそのように供述しているのだとすれば、私はそこに「こじつけ」のようなものを感じる。安倍元首相は、山上容疑者が何らかの不満をぶつけるための「こじつけ」にされてしまったのではないか。

 実は、ターゲットは安倍元首相でなくても、誰でもよかったのではないか。

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