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安倍晋三氏の「国葬」に反対します~功罪を検証する機会まで葬るな

国葬は「民主主義を守り抜く」ことにつながらない

田中駿介 東京大学大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻

 安倍晋三氏が殺された。もちろん、殺されていい命など存在しない。政治を変革するためなのか、個人的な恨みを晴らすためなのかはともかく、その手段として殺人行為が用いられる社会を筆者は決して望まない。

 岸田文雄首相は、7月14日の記者会見において、安倍氏の「国葬」を行う方針を示した。会見において岸田首相は、「憲政史上最長の8年8カ月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力をもって、厳しい内外情勢に直面する我が国のために、内閣総理大臣の重責を担った」安倍氏の国葬を営むことを通じて、「わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」と強調した。

 しかし、安倍氏の「国葬」を行うことの一体どこが民主主義に資するのだろうか。甚だ疑問だと言わざるを得ない。「国葬」はむしろ、安倍氏が行ってきたことに対する批判を封じ、自由な言論を基礎とする民主主義を損なうおそれがある。

 安倍晋三氏に対する「国葬」に反対の意を表したい。

半世紀ぶりの、法的根拠なき「国葬」

 そもそも、総理大臣経験者の「国葬」には明文の法的根拠がない。戦前には、国葬令に基づき岩倉具視、伊藤博文、西園寺公望、山本五十六ら二十人の国葬があった。しかし国葬令は、新憲法施行の際に、「現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」の第1条の規定によって1947年12月31日で失効している。

葬儀委員長佐藤栄作首相の先導で式壇に向かって静かに進む吉田茂首相の遺骨と遺族ら。戦後初の国葬で皇太子ご夫妻、外国使節ら約5700人が参列して東京・千代田区の日本武道館で行われた=1967年10月31日

 戦後、首相経験者の「国葬」が執り行われた事例は、吉田茂以外に存在しない。法律に規定がないまま1967年に行われた吉田の「国葬」に対しては、疑問を呈する声が相次いだ。たとえば、当時日本社会党の書記長であった山本幸一は、「社会党は意思表示はしない」としたうえで次のような個人的見解を述べている。

 国葬ということは戦後初めてのことだし、国葬にするならまず国会の議決を求めるべきだ。緊急の場合は議院運営委員会の議決でもよいと思う。いずれにしろ閣議決定だけで決めることは適当でないと思う。(注1)

 また、以下は、労働組合の全国的中央組織であった総評の岩井章事務局長の談話である。

 吉田茂氏がなくなったことについて国民の中で哀悼の意を表するものがあっても、それは各人の自由だが、国葬という法令にもない形式で国民全体を強制的に喪に服させることは行過ぎであり、賛成できない。(注2)

 このように、労働組合や野党からは、法令に則らない「国葬」について疑義を呈する声が相次いだ。その結果、吉田の死後は「国葬」は行われておらず、1975年の佐藤栄作の内閣・自民党・国民有志による「国民葬」、1988年の三木武夫の内閣・衆議院合同葬などを除き、内閣・自民党合同葬の形態が慣例化した。

吉田茂元首相の国葬で、弔砲の発砲の準備をする防衛庁儀仗隊=1967年10月31日、東京都千代田区の北の丸公園
吉田茂元首相の国葬で、内堀をぐるっと取り巻いた一般参列者=1967年10月31日、東京・皇居前

どれだけの「血税」が使われるのか

 「国葬」になると、全額の経費が血税から

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