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「軽井沢の奇跡」と福井の医師が「ほっちのロッヂ」でめざす新しい医療

軽井沢の不思議な力、医療的ケア児の可能性、その人らしく生きられる医療のあり方とは

芳野まい 東京成徳大学経営学部准教授

 長野県軽井沢。江戸時代、中山道の宿場町だったこの町は、明治以降、政治や経済、文化の重要人物が休暇を過ごしたり、重要な決定を下したりする“特別な場所”になった。昭和の高度成長以降は、大衆消費文化の発展とともに、庶民の憧れのリゾートになり、コロナ前には年間800万人以上の観光客が訪れていた。時代とともに相貌を変えてきたこの町は、日本の歴史を映す「鏡」でもある。

 山間の小さな町である軽井沢はなぜ、人を引きつけてきたのか。連載「軽井沢の視点~大軽井沢経済圏という挑戦」の第3回は、福井県から軽井沢町に移り住み、林の中に建てた診療所「ほっちのロッヂ」で、暮らしを大切にする医療の実現に挑む紅谷浩之さんに、軽井沢の不思議な力、医療的ケア児の可能性、それぞれの人がその人らしく生きられる医療のあり方などについて、診療所にあるアトリエで、ゆったりと語っていただきました。

(構成 論座編集部・吉田貴文)

連載「軽井沢の視点~大軽井沢経済圏という挑戦」のこれまでの記事は「こちら」からお読みいただけます。

拡大緑のなかに溶け込むように建つほっちのロッヂの診療所=長野県北佐久郡軽井沢町発地

紅谷浩之(べにや・ひろゆき) 医療法人社団オレンジ理事長
拡大
1976年、福井市生まれ。福井医科大学(現・福井大学)医学部卒業。福井県立病院勤務など経て2011年、在宅医療専門の「オレンジホームケアクリニック」開設。医療的ケア児の活動拠点「オレンジキッズケアラボ」や軽井沢町の診療所「ほっちのロッヂ」など、多くのプロジェクトを展開する。

拡大診療所に併設するアトリエで対談する紅谷浩之さん(左)と芳野まいさん=長野県北佐久郡軽井沢町発地、ほっちのロッヂ

自然との距離の近さを感じる軽井沢

――窓から見える緑がまぶしいですね。

紅谷 もともと里山だったところに診療所を建てましたからね。福井市から軽井沢町に来てつくづく感じるのは、自然との距離の近さです。緑もそうですが、土の存在を足で実感できる。福井も田舎ですけど、市内で仕事してれば、土を踏むなんてまれかもしれない。軽井沢だと毎日のように踏む。不思議とゆったりした気持ちになります。

――ここ「ほっちのロッヂ」が軽井沢のケアの拠点として開業したのは2020年の4月です。それまで紅谷さんは福井市で在宅医療のお医者さんをされていました。遠く離れた軽井沢町とどうして縁ができたのでしょうか?

紅谷 軽井沢との最初のご縁は、キッズケアラボで年に一度、訪れるようになったことですね。

――初めて軽井沢で紅谷先生とお目にかかったのは、まさに軽井沢キッズケアラボをやっていらっしゃったときでしたね。

紅谷 始めて2年目。2016年です。

★軽井沢キッズケアラボ

 重い障害や病気で医療的ケア(人工呼吸器、胃ろう、吸引、経管栄養などの使用)が必要な子どもたちとその家族に、軽井沢でリゾート体験をしてもらおうと、2015年からはじまったプロジェクト。一般社団法人Orange Kids'Care Lab.の主催で、紅谷さんは代表理事の一人。

 2019年までの5年間、夏休みに全国から軽井沢に遊びに来る子どもたちやその家族が利用できる滞在拠点を開設。観光や創作活動、乗馬体験など、軽井沢の自然を満喫できる体験を企画したほか、子どもたちの未来を考える「キッズケアサミット」やコンサートなどのイベントを開催した。

 コロナ禍で2020年から2年間は休止したが、2022年に再開。夏休み限定の滞在から、年間を通して軽井沢に滞在ができるようにリニューアルした。外来や訪問診療、訪問看護などの医療の提供や共生型デイサービス(児童発達支援、放課後等デイサービス)などの福祉事業を展開する「ほっちのロッヂ」とも連携し、より安心して軽井沢で過ごせるようになった。

医療的ケア児は外で遊ぶと成長する

――どうして軽井沢でキッズケアラボをやろうと思われたんですか。

紅谷 在宅医療に取り組むなかで、人工呼吸器や胃ろうなどを着けた医療的ケア児に出会いました。彼、彼女らはほとんどの時間を家か病院で過ごします。そこには子どもに必要な友だちもいないし、遊ぶ機会もない。それで友だちと遊べる「第三の居場所」をつくってあげたいと思い、2012年、福井市にオレンジキッズラボという施設をつくりました。呼吸器を着けて行ける保育園、学童クラブというイメージです。

 驚いたのは、寝たきりだったり、病気のせいで成長が止まっていると思われていた子どもたちが、「第三の場所」で友だちと会ったり、一緒に遊んだりすると、どんどん成長していったことです。福井県内の海や山にも連れていきましたが、病気で喋(しゃべ)れないといわれた子が喋れるようになったり、寝たきりだった子が歩いたり、医学の常識を超えるケースが次々と出てきた。

――すごいですね。

紅谷 病気だから安全な場所でケアするという発想が、子どもたちの成長の芽を摘んでいたのです、そうこうするうちに「福井県以外のところにも行きたい」という希望が出てきました。

 あるとき長野県小諸市で在宅医療について講演をして、軽井沢病院のドクターと話す機会がありました。「人生の終末期を自然の中で過ごしたいという人がいる。リゾートホスピスという発想もあるのではないか」と尋ねると、「軽井沢に来ると調子がよくなる人がいるんだよ」とおっしゃる。

 軽井沢はかつて、「屋根のない病院」と言われていました。標高1000メートルで気圧も安定していることが身体にいいらしい。気圧の変化で体調を崩しがちな医療的ケア児にとってもいい場所ではないかとひらめいたんです。

 ちょうど北陸新幹線が金沢まで開業した年(2015年)でした。それまで福井から軽井沢に行こうとすると、東京回りで6時間半かかった。それが金沢経由で3時間で行ける。医療的ケア児だって行けるじゃないか。開業して初めての夏休みに連れ行ってあげようと心を決めました。

いい距離感で受け入れられてもらえる居心地の良さ

拡大紅谷浩之さん

――軽井沢まで連れてくることに不安はなかったですか。

紅谷 こだわったのは、旅行にはしないということでした。旅行というのは、1泊2日や2泊3日に予定をギュッと詰め込んで、多少寝不足でも走り抜けるという風になりがちです。それは避けたかった。

 親戚のおばあちゃん家に遊びに来たような、自分たちにとっては非日常なんだけど、そこに住む人にとっては日常の時間が流れる世界で、ゆっくり過ごしてもらいたかった。1カ月ずっと施設は開けておくので、気が向いた時にゆっくり来てくださいというかたちにしました。

――軽井沢の印象ははどうでしたか。

紅谷 今まで行った場所と違う気がしました。どの町でも、人工呼吸器をつける子を見るとちょっとびっくりする人がいますが、軽井沢にはいないんです。呼吸器をつけて散歩する子どもたちが町に溶け込む。カフェに入ると自然に声をかけられる。お願いしたわけじゃないのに、バギーを運ぶ手助けもしてくれる。

 町全体で受け入れてもらっている感じ。かといって、過度にベタベタするわけでもない居心地の良さを感じました。ボランティアに来てくれる地元の方もいい距離感で関わってくれて、子どもたちと一緒に皆が変化していく感じを、1年目から持ちました。こうした空気感こそが、キッズケアラボを今まで続けられた最大の理由だと思います。

――この空気感って何なんでしょうね。

紅谷 外から来たり、新しく住んだりする人たちを、受け入れ続けてきた軽井沢ならではのモノかもしれませんね。僕らも最初は「どうしてだろう」と疑問だったんですけど、年を追うごとに、これが「軽井沢の力」だ、と思うようになりました。

 「ほっちのロッヂ」を始めてこちらに住むようになって、軽井沢にはほんとうにいろんな方がおられると感じます。福井や東京の街中と比べても、たとえば外国人や車いすの人たちと会う頻度が多い気がする。それが多様性を緩やかに受け入れる感覚を育んだのではないでしょうか。

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筆者

芳野まい

芳野まい(よしの・まい) 東京成徳大学経営学部准教授

東京大学教養学部教養学科フランス科卒。フランス政府給費留学生として渡仏。東京成徳大学経営学部准教授。信州大学社会基盤研究所特任准教授。一般社団法人安藤美術館理事。一般財団法人ベターホーム協会理事。NHKラジオフランス語講座「まいにちフランス語」(「ファッションをひもとき、時を読む」「ガストロノミー・フランセーズ 食を語り、愛を語る」)講師。軽井沢との縁は深く、とくにアペリティフとサロン文化の歴史について研究している。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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