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本土「復帰」50年・沖縄慰霊の日に……

[6月16日~6月24日]福島「生業訴訟」判決、宮崎県母親大会、慰霊の日……

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

6月16日(木) 朝、プールへ行き泳ぐ。ひとつひとつの困難から逃げずに立ち向かって行こう。旭川の親友Mが亡くなってから四十九日。お骨はまだ実家に安置されているという。いつかM家を訪れてお参りしなくちゃ。始まったものは必ず終わる。そのことの重みを考え続けている。

 BTSがグループとしての活動を一時休止し、ソロ活動へと専念する意向を示したというニュースが、民放各社の夕方や夜のトップニュースになっていた。今はそういう時代なのだ。共同幻想の体現者としてのBTSっていうことか。

 あした、マイク・モチヅキ氏へのインタビューが急遽設定された。日本の防衛費増強をアメリカはどう見ているか、という観点から見解を求めるのだという。アメリカのジャパン・ハンドラーたちの大勢の見方とはおそらく相当に異なる答えが返ってくるのだろう。

 19時から九段下でM。持つべきものは信頼できる後輩。

6月17日(金) 朝、9時からマイク・モチヅキ氏とのオンラインでのインタビュー。とても充実した中身だった。彼の生い立ち(母親が日本人)から来る平和への希求・思いがよく伝わってきた。インタビューは英語で行われたのだが、途中、モチヅキ氏が日本語を使った場面が1カ所だけあった。「センシュボウエイ」(専守防衛)。この言葉を彼の方から持ち出してきたのだ。

 14時すぎに見知らぬ番号から携帯に電話が入った。警視庁・竹の塚署会計課からの電話だった。何だろう。何とクレジットカードの入った財布の落とし物が届いているという。えええっ? ほとんどあきらめていた落とし物が届けられていた。

無事に届いていたクレジットカード入りの財布(筆者無事に届いていたクレジットカード入りの財布=撮影・筆者
 さっそく受け取りに行く。タクシーのなかに落ちていたのだという。おかしいなあ。紛失に気づいてすぐに、乗ったタクシー会社に片っ端から問い合わせたが、みつからなかったのだが。電話のあとに届けられたのだろうか。

 本当に信じられないことだが、この国では落ちていた財布をちゃんと届けてくれる人がいるのだ。小さな善意がまだ生きている。本当に嬉しい。中に入っていたクレジットカード2枚とデビットカード1枚、銀行のキャッシュカード1枚など全部無事だった。届けてくれた運転手さんにお礼をしなければ。

 そのまま、日本教育会館で開かれているいわゆる「生業訴訟」の最高裁判決報告集会に取材に出かける。福島第一原発事故で、故郷を奪われ避難した住民らが、国を相手取って損害賠償を求めていた集団訴訟だ。

 今日、最高裁は、日本の裁判史上に間違いなく「汚点」として記録されるであろうひどい判決を下した。まあ敢えて短く言えば、福島第一原発の事故は、国が仮に津波対策を東電に取らせていたとしても、それを上回る想定外の津波が来たんだから、国に賠償責任なんかない、と。かくして国策民営の形で進められた日本の原発の過去最悪の事故の責任は、国は一切負う必要がない、と最高裁がお墨付きを与えたのだ。

 報告集会で、原告のひとりは「ブルドーザーで押しつぶされたような気持ちです」と語っていた。また原告団の弁護士のひとりは「司法が行政から全く独立していないことを満天下に晒した恥ずべき判決」と怒りを露わにしていた。

「生業訴訟」最高裁判決後の報告集会にて「生業訴訟」最高裁判決後の報告集会=撮影・筆者
同

 最高裁第二小法廷の4人の裁判官のうち1人(三浦守裁判官=元大阪高検検事長)は国の責任を認める反対意見を述べた。あとの3人(菅野博之裁判官=元大阪高裁長官、草野耕一裁判官=元弁護士、岡村和美裁判官=元消費者庁官)はそろって国の責任を認めなかった。最高裁の判事は内閣によって任命される。どういう人物が選ばれるかによって、最高裁の判断が大きく左右されることがあるのが実情だ。アメリカのトランプ政権下で、保守派の判事が相次いで任命されたことで、その後の銃規制や中絶の合憲性に対する判断が大きく変わってきている事情は、日本にとっても他人事ではない。

 ちなみにこの最高裁第二小法廷の4人の裁判官は、全員が安倍内閣のもとで任命された人々である。前の最高裁判事には、同じく安倍内閣時代に任命された木澤克之氏という人物がいたが、彼は学校法人加計学園の監事を務めている(2022年6月17日現在)。李下に冠をたださず、という格言はもはや死語か。安倍元首相の最大のスキャンダルのひとつであった加計学園問題を想起すると、多くの人が釈然としない思いを抱くのではないか。

 もうひとつ注視しなければならないのは、最高裁判事についている調査官という人々の動向だ。彼らの実務が判事の判断に決定的な影響を及ぼしている実情は、多くの法曹関係者が指摘しているところだ。最高裁事務総局が、これらの調査官らの動きを「統制」していることはないのかどうか。具体的な事実を突きつけるような報道がそろそろ表れてもいいのではないか、と僕は思っている。

「生業訴訟」最高裁判決を報じる翌日の東京新聞「生業訴訟」最高裁判決を報じる翌日の東京新聞=撮影・筆者

宮崎県母親大会、地域には地域の力がある

6月18日(土) もろもろのことどもへの釈然としない思いを減らすために、朝早くプールへ行って泳ぐ。『報道特集』の生放送。前半の特集が、いわゆる経済政策の「骨太方針」の中にある防衛費増額をめぐる検証、後半が佐古忠彦ディレクターの「沖縄と核」。後半の特集は佐古ディレクターがこだわる沖縄の戦後史と核兵器配備の関係をめぐって。とても22分の枠では入りきらないほどの濃縮度だった。

 あしたの宮崎での講演のために「ロシア兵士の母の会」の現況について調べたところ、この組織自体が内部分裂も含む厳しい歴史を辿ってきたことを知り、プーチンを引き留める動きとして今後も動向を調べなければならないと確信する。

6月19日(日) 朝の便で宮崎市へ。12時40分、定刻で宮崎空港着。本当に久しぶりの宮崎県訪問だ。以前からお声がけいただいていた宮崎県母親大会での講演のためだ。

宮崎県母親大会のチラシ宮崎県母親大会のチラシ
 会場の佐土原総合文化センターまでタクシーで移動。この文化センターは木造を一部取り入れたなかなか趣のある建物だった。隣にある図書館も立派だ。会場に実際に足を運んでくださった方々が予想していたよりもずっと多くて驚いた。僕はとにかくウクライナ侵攻以降のことがらを駆け足で話をしたが、時間が足りないほどだった。聴衆の熱気がこちらまで伝わってきて感謝したいくらいだった。地域には地域の力がある。

 その後、宿にチェックインしてから、今日の主催者の方々との交流会に参加した。言葉にならないほどの善意に触れられて、とにかく感謝。こちらはやるべきことをきちんとやるのだ、との思いが募った。宮崎県の弁護士・成見幸子さんが今回の会の主催者の中心の一人になっておられた。司法修習24期の方だとお聞きした。この時期の弁護士さんたちは、「司法の危機」の時代を身をもって知っている気骨のある方々が多いように僕は勝手に思っている。

6月20日(月) 朝の便で宮崎から羽田に戻る。メイクを担当していて最近退職されたTさんとランチ。TBS局舎内で、写真家・杉本博司のことを話せた唯一の人だった。大阪に戻るということだった。お疲れ様でした。

 午後、早稲田大学のゼミ。今年のTBSドキュメンタリー映画祭で上映された佐井大紀監督の『日の丸~それは今なのかもしれない~』をみる。映画版の方が地上波テレビ『解放区』で放送されたバージョンよりも、より突っ張っているな、というのが率直な感想。いいぞ、いいぞと拍手を送りたくなる。ゼミ生たちも受け取り方はさまざまだが、かなり刺激を受けて想像力を膨らませているようだった。

学生たちと「ヒストリート」へ、沖縄現代史を知る

6月21日(火) 早朝の便で沖縄へ。朝、宿舎のロビーで『報道特集』の定例会議にオンラインで参加。今日は、日本記者クラブで参議院選挙の党首討論会が予定されているのだが、この盛り上がりのなさはいかがなものかと思う。何だか国政選挙というシステム自体に対する絶望感、アパシーが拡がっているとでも言うか。

ヒストリートへ向かう沖国大のマイクロバスヒストリートへ向かう沖縄国際大学のマイクロバス=撮影・筆者
 12時30分に、沖縄国際大学からマイクロバスが沖縄市の中心部に向けて出発する。「ヒストリート」(沖縄市戦後文化資料展示館)へのフィールドワーク授業の一環。何と34名が参加してくれた。マイクロバスの定員が20人で、残りの学生たちはマイカーで乗り合わせて現地に集合。

「ヒストリート」(沖縄市戦後文化資料展示館)「ヒストリート」(沖縄市戦後文化資料展示館)=撮影・筆者
 ヒストリートは沖縄市が運営している資料館で、なかなか展示が充実している。4年前に現在の嘉手納基地の真ん前のコザゲート通りの建物に移転してきた。

 このフィールドワークの発案は、授業に参加している学生たちの側からあった。僕も下見に行くまではよく知らなかったが、学生たちの方も、沖縄の現代史を知って、何だか新鮮な気持ちになっているように見受けられた。ヒストリートの2名の職員の方から2班に分かれた学生グループにそれぞれレクチュアをしていただいた。

ヒストリートの現地実習会場にてヒストリートの現地実習会場=撮影・筆者
ヒストリートの現地実習会場にて

 コザという地名がもともとアメリカ由来とは知らなかった。また奄美大島ルーツの人が多いとか、キング牧師が暗殺された時にコザで黒人兵らによる追悼デモがあったという話など、知れば知るほど僕自身も興味が沸いてきた。

同「ヒストリート」の展示=撮影・筆者
同
同
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 写真がたくさん展示されていたが、女優のジェーン・フォンダがベトナム戦争当時に沖縄を訪問して、コザで反戦劇を上演した際の写真があった。撮影者をみると、吉岡攻さんだった。この時のフィルムが琉球放送(RBC)に保管されていたのをかつて見たことがある。

同
同

 富山の病院から電話。16時半からメディア学会の打ち合わせ。19時半から、N、W氏と歓談、そこへ急遽22時半から神保町界隈の緊急会合、Zoomで。理不尽な展開に怒りと失望が広がる。

沖縄慰霊の日、「何が哀悼の誠をささげる、ですか」

6月22日(水) 参議院選挙の公示。神保町界隈の件。13時からZoomで会議。解決に至らず。

 沖縄県庁および参議院選挙の取材。沖縄選挙区は、選挙としてはかなり大変なことになるのではないかという予感があったが、取材を進めるとその予感を裏付けるいくつもの事例にぶち当たった。

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