長塚圭史さんとの対談に危うく遅れそうになった
[6月25日~7月1日]神奈川芸術劇場、『PLAN 75』、ヘルツォーク……
金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター
沖縄の現代史が共有・伝承されていない
6月28日(火) 頂点に達しつつあるストレスを幾分かでも解消するために朝、プールへ駈け込み泳ぐ。『報道特集』の定例会議にオンラインで参加してから、再びプールに戻り追加で泳ぐ。今週は、物価高を扱わない選択肢はないのかもしれないな。とにかく自由につくることだ。
午後4時すぎから沖縄国際大学の授業。今回は沖縄には行けず、オンラインで。今年、沖縄本土「復帰」50年をめぐるテレビ報道は、あるようでいてなかなか良質のものは数が限られている。すぐに思い浮かぶのは、NHK沖縄の渡辺考氏がつくった『どこにもないテレビ』、同じくNHK・Eテレ『ETV特集』で放送された『君が見つめたあの日のあとに〜高校生の沖縄復帰50年〜』(初回放送日: 2022年5月14日)あたりだ。
後者の作品を授業参加者と一緒にみてディスカッションを試みた。吉岡攻氏の作品だ。コザ暴動を扱った作品と同様にきわめて署名性の強い作品だ。写真家として返還前の沖縄の写真を撮り続けていた吉岡氏ならではの作品だ。写真というメディアは強い。時を定着させる。記録の力は動画以上のものがある。動画は流れてしまうのだ。1968年の読谷高校の校庭での生徒たちの公開討論会の写真などは強烈に迫ってくるものがある。被写体となっていた彼ら彼女らの真剣な表情。美しい。彼ら彼女らの50年後を吉岡氏が愚直に訪ね歩く。そこから沖縄の戦後史が浮かび上がってくるような構成になっていた。

NHK・Eテレ「ETV特集」のサイトより
沖国大の学生たちに、当時の高校生たちの姿がどのように映ったのかを知りたかった。学生たちの反応はとてもよかった。けれども反応の多くは、「こんなことがあったことは知らなかった」というもので、いかに沖縄の現代史が共有・伝承されていないかを逆に突きつけられた。本土「復帰」とは、何かを忘れさせる、消し去る過程でもあったということか。