必要なのは「家族という名の介護者」ではなく「家族という名の理解者」
2022年08月21日
ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者である恩田聖敬さんの連載「健常者+ALS患者の視座から社会を見たら」が始まります。35歳でJリーグFC岐阜の社長を務めるなど、恵まれた人生を送ってきた恩田さんは、ALSを発症したことによって視野や価値観や人生観が途方もなくひろがったといいます。
発症前には見えなかった何が見えるようになったのか。どう価値観や人生観が変わったのか。その体験に触れることで、私たちの視野もひろがるのではないでしょうか。
さまざまな体験を共有する場となることが、論座のシンカ(進化や深化)のひとつの方向性ではないかと考えています。読者のみなさまも、お互いの体験を共有しながら、ともに論じあいませんか。info-ronza@asahi.com にメールでいただければ幸いです。(「論座」編集長・松下秀雄)
読者の皆様はじめまして。ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の恩田聖敬(さとし)と申します。
この名前の漢字でさとしと読むのは日本で私だけと自負しております。皆様、どうか名前だけでも覚えてください。またもし何処かに聖敬(さとし)さんがいれば必ず一報ください(笑)
私はこの原稿を口で書いています。iPhoneやiPadのスイッチコントロール機能と咀嚼筋を駆使して、iPadを自由自在に操っています。メール、ブログ、SNS、ネットで買い物、なんでも出来ます。私はALSによって腕を含めた全身がほぼ動きません。この身体でスイッチコントロール可能な箇所はどこか? そこで目をつけたのが咀嚼筋でした。私、噛む動作は比較的出来るのです。
因みにこのスイッチコントロール機能は、皆様のiPhoneやiPadに標準搭載されています。知らなかったですよね? アメリカでは、障害者の操作に配慮した機能がないと、行政が使用するものとして入札に参加出来ないそうです。こんなこと健常者の世界に居たら知る由もありません。
私は35歳でALSを発症して障害者の世界に否応無く引き込まれました。それによって私の視野とか価値観とか人生観は途方もなく拡がりました。健常者と障害者の世界を両方体験した当事者だからこそ出来る話をしたいと思います。どうぞ最後までお付き合いください。
まずは軽く生い立ちです。私は1978年岐阜県山県郡高富町(現在の山県市)に恩田家の次男として生まれました。最寄りの自動販売機まで徒歩20分、コンビニだと45分はかかる正真正銘の田舎です。恩田家は少なくとも200年以上はそこに住んでおり、当然のように家屋敷、蔵、山、田畑を所有しております。長男は家を継ぐ宿命にあります。幸い兄が宿命を受けてくれたので、私は勝手気ままに生きて来られました。
ALSになる前の人生を振り返ると、とにかく自由にやりたいことしかやってきませんでした。親にも先生にも恵まれ、生きづらさを感じることは全くと言っていいほどありませんでした。目の前の興味に任せて好きなことだけしてきました。
高校に行き、合唱と親友との出会いがさらに好き放題に拍車をかけます。例えば進学校なのに高校3年10月まで部活をしたり、そこから死ぬほど勉強して運を掴んで京大に現役合格したり、京大合唱団の学生指揮者を務め学業との両立は無理と判断して半年授業に行かず留年したり、京大大学院航空宇宙工学を修めるも名もないベンチャー企業に就職したり、現場叩き上げで5年で取締役になり順風満帆なビジネスパーソンライフを東京で送るも全てのキャリアを捨ててJリーグFC岐阜に行ったりと、とにかく社会一般の常識に捉われないで自分の意思を尊重する生き方をして来ました。
そしてその生き方に誰にも文句を言わせないために、常に死ぬほど努力して来ました。150%で生きて来ました。努力で人生なんとでもなると信じていました。これが健常者時代の私です。
ちなみに私が始末に悪いのは、自分のやりたいことに人を巻き込むことです。妻を筆頭に私は数多くの出会った人の人生を変えた自信があります。訳の分からない自信ですが、ほとんどの人は良い方向に変わったと思ってくれていると思います。本当に恵まれていました。
私はタバコ吸わない、お酒飲めない、健康診断は常にA判定と健康そのものでした。しかしその日は突然やって来ました。
2014年、FC岐阜のチームドクターである整形外科医に右手の違和感を診てもらうと、精密検査を勧められ検査入院しました。そして検査結果はALSでした。FC岐阜社長就任から僅か1カ月、しかも告知の日はラモス瑠偉監督と岐阜県知事とFC岐阜後援会長との初めての会食が晩にセッティングされていました。日本で一番慌ただしく告知を受けた1人だと思います。
主治医は「あなたは何も悪くない。ただ運が悪かっただけです」と極めて率直な同じ人間目線の言葉を発しました。この医療従事者らしくない発言に私は少しだけ救われた気がしました。
今まであまりに恵まれすぎた人生だったから、これでおあいこかなと思っていました。気丈にしていたのではありません。ALSの説明に人工呼吸器をつければ死なない、思考や記憶は失われないとあったからです。私はある意味告知の瞬間からALSを受容し、人工呼吸器をつけて生きる決意を固めていました。思考も記憶も失われないということは、私の努力して切り拓いた人生経験値も消えないということです。
私はなんとかなる! なんとかする!
そう思っていました。
私がALSを受け入れられたのはそこまでの人生が恵まれていたからです。けれども世の中には努力しようがない境遇にいる方や、自由とはかけ離れた生活を強いられている方が確かにいるのです。
私はALSになる前は自分の生きてきた経験のみで価値観や人生観を形成していました。しかし自分と家族がALSによって障害者の世界に当事者として踏み込んだおかげで考えが180度と言って良いほど変わりました。障害者を含めて社会的地位に恵まれない方はまるっきり別世界に住んでいるので、健常者の世界からは見えません。こんなにも人として扱われない世界が存在することに今でも衝撃を受けています。
私は先輩患者の叡智と、障害者になってからの幸運な出会いと、自身と家族のたゆまぬ努力によって、ありがたいことにこのように発信出来る立場を手に入れました。しかし障害者の世界を知ってしまった今、もはや私のみがありがたい立場に居ても、それを幸福な状況とは呼べません。FC岐阜社長の時は岐阜県のために働いていましたが、現在は日本のため世界のために働いています。ある方が、「あなたはALSに選ばれた。なすべきことが何かあるはず!」と私に仰いました。社会に訴えかけるのが私の使命です。
この発信で成し遂げたいのは障害者の世界を含む社会問題の通訳です。ALSになるまで徹底的に視野狭窄で生きてきて、そしてALSになって生き地獄を味わった私だからこそ、皆様にわかりやすく問題を噛み砕いてお伝え出来ると思います。是非世の中にある見えない問題を知り、誰もが居心地の良い社会の実現に向けて、共に考えて頂きたいと思います。
というわけで今回は『家族介護』を取り上げます。
最近、ヤングケアラー問題や老々介護問題などが、騒がれては消えるのを繰り返しています。当事者になって解りましたが、これらは社会による人権剥奪及び殺人に近い行為です。
ALSを発症した当初、妻が私の介護を全て引き受けていました。けれども当然限界が来てヘルパーさんに入ってもらう決断をします。考えてみてください。当時小学校にも上がってない娘と息子の育児をしながら家事と私の介護です。しかも私は育児も家事も何一つ手伝えません。努力したくても何も出来ない、だけど妻の手を借りなければ日常生活さえ送れません。そこにあるのは言葉では言い表せない無力感でした。どんどん肉体も精神も崩壊してゆく妻の姿を私は見ているだけでした。
しかし社会はそんな事情はお構いなしに、さも当然のように家族介護を強要してきます。
例えば行政。ヘルパーさんが入る時間(重度訪問介護支給時間)を増やそうと交渉に行った時、担当者は「夜は奥さんいるから診れますね」と言いました。私はブチ切れてこう言いました。
「だったらあなた代わってください! 朝から晩まで育児・家事・介護に追われ、夜さえも介護に備えて臨戦体制で居ろと? あなたはそんな生活続けられるんですか?」
その後役所の訪問調査があって、廃人と化した妻を調査員が目の当たりにして行政は動き、重度訪問介護は私の希望通り支給されました。
例えば病院。私が気管切開して人工呼吸器をつけた時、吸引が必要になりました。特に気管の吸引は放っておいたら痰が気道を塞ぎ窒息死する可能性があるのです。故に人工呼吸器をつければ原則24時間介護体制が必要になります。吸引はいわゆる医療行為で原則医師や看護師しか行ってはいけません。しかし在宅生活で医師や看護師がいる時間は僅かで、その時間だけの吸引では生きられません。そこで病院は妻に吸引を教えようとしました。
もちろん妻は医師や看護師ではないので妻が吸引をするのは明らかに違法です。けれども家族には「違法性阻却」という考えが適用されます。違法性が却けられる、つまり罪に問われないということです。私はここにも家族介護の悲惨さが潜んでいると思います。家族がやったことは責任問題に発展しません。だから本来医師や看護師しか出来ない専門特殊行為を病院は家族に押しつけて来ます。
その姿勢が見え見えだったので妻は頑なに拒否しました。実はヘルパーさんも同意書を締結したり研修を受けたりすることで吸引は出来るのです。よって我々夫婦は吸引を全てヘルパーさんに任せて、妻は最後まで病院の指導を受けませんでした。
こうして私と妻は、介護は家族がするものという日本社会に蔓延する悪しき風習に全力で抵抗し、現在は同居家族も一切介護に関わらない24時間365日の完全他人介護体制を構築するに至りました。妻もようやく基本的人権を取り戻しました。けれども慢性的なヘルパー不足など悩みが尽きることはありません。我々はただ毎日を生きることに必死なのです。
私は先輩患者からの情報と経営者としての経験があったので、相手が誰であろうが物申せました。しかし一般の人にとって行政や病院の言葉は絶対的に聞こえます。そして家族介護が当たり前と洗脳されるのです。
私は何も家族介護を全否定しているわけではありません。ヘルパーさんはいわば赤の他人です。家に招き入れるのに抵抗感があって当然です。自ら家族介護するのを止めたりはしません。私が強調したいのは一点だけです。
「介護は家族がするものという考えは当たり前じゃない!」
行政も病院も肝に銘じて頂きたいです。逆の立場を想像してみてください。自分の家族に、介護に人生を捧げてくれと言えますかという話なんです。ヤングケアラーも老々介護も自分が介護するのが当たり前と思っているはずです。私は社会が生み出した歪んだ使命感だと思います。他人に頼る選択肢もあるのが当たり前の社会を目指したいです。
最後に私の思う家族の役割です。私が妻にALS発症を打ち明けた時、妻はこう言いました。
「人工呼吸器をつければ死なないんだよね?」
当時今の1000分の1くらいしかALSの知識がない中で、「死んでたまるか」のみが私と妻の共通認識でした。ALSに限らず、障害を持つ時は必ず絶望の淵に叩き落とされます。その絶望の淵から這い上がるのに必要なのは、「家族という名の介護者」ではなく「家族という名の理解者」だと私は思います。
論座では関連するさまざまな記事を公開しています。
こちらもぜひお読みください。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください