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ライブドア「BLOGOS」の終焉が物語るメディアの盛衰〈連載第10回〉

報道メディアの生き残りのカギは「編集」

小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(方丈記)

 この一節のように未来永劫や百世不磨などない。今回は外部要因によって衰退あるいは敗退した報道メディア界の新規参入勢力の変遷について見ていきたい。1990年代のIT革命から今日まで、国内報道メディア界には米国のような激動は見当たらない。ただし、その徴候は見て取れる。

 国内報道メディア界への新規参入をもくろみ、堀江貴文氏が率いるインターネット関連のライブドア社と、その継続企業であるLINE社はこれまで、ポータルサイトをベースとしたライブドア・ニュースとPJニュース、個人の日記などを公開する簡易ホームページの一種であるブログをベースとしたBLOGOS、そしてソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)をベースとしたLINEニュースをそれぞれ展開してきた。

 これらを事例にメディア形態の遷移という視点から報道メディア界の構造的な特徴を探っていきたい。

連載「市民メディア白書」の初回~第9回はこちら

 2022年5月31日、一時期ネット上の言論空間を一世風靡したメディアがその幕を閉じた。ライブドア社が有価証券報告書の虚偽記載事件、いわゆる「ライブドア事件」を起こしたのが2006年であった。事件以降にライブドア社が放った起死回生策の一つがBLOGOSであった。BLOGOSの功績はマス・メディアには取り上げられない言論人を発掘し、その声をネット上で広く伝えたことにある。以下がサービス終了の告知である。

 2009年10月5日にサイトオープンして以来、多くの皆様にご愛読いただいておりましたBLOGOSですが、2022年5月31日をもってサービスを終了させていただくことになりました。BLOGOSは多様な意見を左右の隔たりなく同列に並べることをモットーに、提言型ニュースサイトとして運営してまいりましたが、12年の間多くのオピニオンを発信するなかで、ニュースサイトとして一定の役割を果たせたのではないかと考えております。(BLOGOS, 2022)

 BLOGOSのような著名な言論・報道メディアがなぜ終焉を迎えるに至ったのか。PJニュースとBLOGOSは市民参加型であるパブリック・ジャーナリズムの一類型として報道メディア界に登場して退場した。いずれのメディア環境が異なり、これによって報道メディアとしての特徴にも違いが生じる。この視点から分析を試みたい。

 まず、ポータルサイト・ベースのライブドア・ニュースとPJニュースが誕生する揺籃となったメディア環境について考察したい。

Postmodern Studio/shutterstockPostmodern Studio/shutterstock

マス・メディア的だったライブドアPJニュース

 1995年、Microsoft社が基本ソフト(OS)、「Windows 95」をリリースすると、世界中のメディア環境が一転した。このOSは感覚的な操作を可能にしたユーザー・インターフェイス(UI)を搭載し、一部の知識のある者に限られていたパソコンやインターネットを社会全体に開放することを意味した。

 また、1997年に9.2%ほどであったインターネットの国内人口普及率は、2002年には54.5%と過半数を超えた。翌2003年には62.3%まで急拡大し、世帯のブロードバンド利用率が6割を超えたのである(総務省, 2005)。

 インターネットとパソコンの普及率が急拡大中の2003年に、ライブドア・ニュースとPJニュースが開始された。当事のメディア機器はパソコンと携帯電話が主流で、ソーシャル・メディアやスマートフォンと共に育ったZ世代誕生以前の時代であった。

 ライブドア・ニュースとPJニュースの記事は国内外のマス・メディア出身の編集者によって編集されていたため、マス・メディアの記事形態をおおむね踏襲していた。また、その編集方針によって掲載の是非を判断するため、マス・メディアほどの厳格さは欠くものの、一定のゲートキーピング機能を有していた。

 これらの記事がマス・メディアの報道記事と同列に並べられてライブドア社のポータルサイトに掲載され、不特定多数に伝達されていた。こうしてみると、いずれの報道メディアを目指したライブドア・ニュースもPJニュースも、マス・メディア的なジャーナリズムの延長線上にあったといえよう。

 この時期、韓国発のオーマイ・ニュースや元朝日新聞記者によるJan Janなどの市民メディアが誕生し、これらは新たなジャーナリズムの予兆として、新聞などのマス・メディアにも取り上げられた。ただ、話題性はあったものの、いずれも収益力がほとんど無かった。スタート当初から記事配信でのマネタイズ方法を欠いているため、常に組織の継続可能性への疑問がついて回った。

 一方、この時期はネット上の誹謗中傷に対する法的な規制が未整備であった。独自の主張色の濃い市民記者の記事は、「2ちゃんねる」といったネットの巨大掲示板での誹謗中傷の的となり、「炎上」するケースもしばしば発生した。これが実名で投稿する市民記者の懸念材料となり、PJニュースへの投稿数が減少した。このため、PJニュース内部でも編集作業が慎重になっていった。

 ただ、人的・時間的・資金的な制約があり、記事の内容や編集の精度において未熟な課題面を克服できず、「マスコミ記事の劣化版」といった評価が下されるに至った。こうなると尖った記事も少なくなり、人気や注目度も下降線をたどることになったのである。そして2006年のライブドア事件以降、PJニュースは2008年にライブドアからスピンオフした。

ライブドア事件の家宅捜索をうけ、会見する堀江貴文社長(当時)。ライブドア・ニュースの1部門だったPJニュースも「内部」から事件を報じた=2006年1月17日、東京・六本木のライブドア本社でライブドア事件の家宅捜索をうけ、会見する堀江貴文社長(当時)。ライブドア・ニュースの1部門だったPJニュースも「内部」から事件を報じた=2006年1月17日、東京・六本木のライブドア本社で

 PJニュースの失敗は記者研修や編集体制、資金調達やマネタイズ方法といった組織内部的な要因が大きかったが、これらはコントロール可能な課題であろう。一方で、ホームページからブログというメディア形態の変化という不可抗力的な外部要因もあった。

 この頃から、芸能人や筆力のある個人はブログを活用して情報発信し、人気を呈する時代に突入した。人気ブロガーを指す「アルファ・ブロガー」という用語も使われ出した。この時期にネット上の個人の情報発信はホームページからブログへと移行した。ライブドア時代から編集長だった筆者がPJニュースを引き継いで運営したが独自の収入源が拡がらなかったと同時に、ライブドア社が提供するコンテンツでBLOGOSの人気が上回った。

 そして、広告収入も無く、ライブドアとの契約も打ち切りとなり、2012年にサービスを終了した。ポータルサイト・ベースで、既存のジャーナリズムの体裁を引きずったPJニュースは、時代の要請に合致しなくなっていたのである。

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個人的表現のブログブームに乗ったBLOGOS

 簡易版のウェブサイトという位置づけのブログはパソコンやコンピューター言語の知識が乏しくとも投稿が可能である。国内でこれは2004年頃から急速に普及しだし、2009年にはブログの月間ページビュー(PV)の総計は約205億回に達した。芸能人やスポーツ選手、政治家などもブログを開設するなど、情報発信におけるネット・メディアの利用を大幅に拡大させた。

 2008 年度の国内のブログ市場規模は約160億円、その経済効果は 1961億円と試算された(総務省, 2009)。ブログ市場が急成長していた2009年に、個人のブログ記事を寄せ集めた言論・報道メディア、BLOGOSが創刊したのであった。

 BLOGOSの特徴はまずマス・メディアに寄稿、あるいは紹介された著名人のブログや、ネット上で話題になっている無名ブロガーのブログをBLOGOS編集部員が発掘し、それらに掲載されている一定の記事を、編集や校正を挟まずにBLOGOSに転載する形式を取っていた。内容の審査基準は話題性が主たる要因であった。記事はマス・メディアの定型的な文章表現とは異なり、個人的な表現が主体であった。しかも、ファクト・チェックもほぼ皆無であった。

 ライブドア社はBLOGOSを「提言型ニュースサイト」と位置づけていたが、内実は報道メディアというよりも、言論メディアという色彩が濃いものであった。編集部がBLOGOSに意図していたのは報道メディアではなく、安価かつ手間をかけずに容易に展開でき、なおかつ人気を博す公共的な言論空間であった。

 BLOGOSを市民メディアとして見立てた場合、文責は寄稿者に委ねられたため、編集部の編集・校正機能はPJニュースよりも後退した。PJニュースでは組織的なジャーナリズムよりも、個人的なジャーナリズムを指向したが、BLOGOSではこの傾向がより一層強くなったのである。当時、情報収集をする組織を示す「アグリゲーター」や、ネット上で一定の価値ある情報を収集する専門家という意味での「キュレーター」という用語が盛んに流通していた。

2010年11月30日、「BLOGOS」1周年を記念してシンポジウムが開かれた。(左から)司会の大谷広太編集長、経済学者の池田信夫氏、ジャーナリストの田原総一朗氏、の蜷川真夫会長(肩書は当時)2010年11月30日、「BLOGOS」1周年を記念してシンポジウムが開かれた。(左から)司会の大谷広太編集長、経済学者の池田信夫氏、ジャーナリストの田原総一朗氏、の蜷川真夫会長(いずれも肩書は当時)

 一部のメディア評論家やマーケティング関係者からはこれからの時代、価値あるコンテンツを生み出すメディア表現者よりも、それらを集めるアグリゲーターやキュレーターが重要な役割を担うと喧伝された(佐々木, 2011)。

 今となっては、

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