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「エンゼルス売却問題」を知るための四つの視点~大谷翔平の今後は? 

エンゼルスをこよなく愛するオーナー、モレノ氏がなぜ?広がる波紋の裏側

鈴村裕輔 名城大学外国語学部准教授

 米大リーグ・エンゼルスのオーナー、モレノ氏が8月23日(日本時間8月24日)、球団の売却を検討すると発表した。大谷翔平選手のいるエンゼルスが売りに出されるという一報は、日本、アメリカの双方で驚きを持って受け止められた。

 日本での関心が、「新オーナーは『二刀流』を許すか」「大谷は新星エンゼルスに残留するか」といった大谷選手の今後に集まるのは当然だろう。だがその一方で、大リーグファンの間で、「あのモレノが球団を売るなんて、本当か」という驚きが広がっているのも事実だ。

エンゼル・スタジアムで力投するエンゼルス大谷翔平投手=2022年8月3日、米アナハイム

エンゼルスに強い愛着を示すモレノ氏

 過去5年で3球団の所有者が代わるなど、オーナーの変更は日常茶飯の大リーグだが、モレノ氏の場合、意外感があるのは否めない。

 メキシコから米アリゾナ州に移住した両親のもと、11人きょうだいの長男として生まれ、徴兵されてベトナム戦争に従軍した経験を持ち、アリゾナ大学を卒業後は屋外広告業界に身を投じて財を成し、2003年にエンゼルスを買収してメキシコ系米国人初の大リーグ球団オーナーとなったのがアルトゥーロ・モレノ氏だ。

 「オーナーが首を縦に振らなければ、選手のトレードもできない」と言われるほど球団の経営に強く関与するモレノ氏の姿は、エンゼルスへの愛着の強さを示していた。にもかかわらず、なぜ球界関係者も予想しなかった売却計画が表明されたのだろうか。

 本稿では、「エンゼルスへの球場・土地売却を巡る汚職疑惑」「エンゼルスとアナハイム市の関係」「米国のプロスポーツと都市の関係」「モレノ氏の事情」の四つの観点から、売却の背景を検討したい。

破棄されたアナハイム市との合意

 モレノ氏がロサンゼルス・エンゼルスを売却する意向を公表した際、球界関係者は一様に当惑した。有力な球団が大谷翔平選手の獲得に意欲を示しながら、今季の選手の移籍期限までエンゼルス側が交渉に応じなかったことに絡めて、「大谷選手を今回トレードで放出しなかったのは、エンゼルスに残留させることで球団の価値を高めるためだった」と解説する論者も現れた。

 「今から考えれば、あの時のあれは……」というのは、過去の出来事の“意味”を考える際の常とう句だ。大谷選手の移籍問題への言及はその典型と言えよう。これに加え、もう一つ別の「あの時のあれは……」がある。それは、2022年5月に本拠地エンゼル・スタジアムが所在するカリフォルニア州アナハイム市との間で成立していた合意が破棄された一件である。

 2019年、エンゼルスはアナハイム市との間で二つの事項で合意した。「2050年まで本拠地をアナハイム市から移転させない」と「球場と駐車場となっている周辺の土地を、エンゼルスがアナハイム市から3億2千万ドルで買い、再開発する」である。

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球場と周辺土地の売却を巡る汚職疑惑が浮上

 これに対し、地元住民などからエンゼルスへの売却価格が適正でないといった批判の声があがった。さらに当時のハリー・シドゥー市長が、エンゼルス側に市の機密事項を提供する見返りに選挙資金の提供を受けようとしたとして、FBIから捜査を受ける汚職疑惑も起きた。

 これを受けてアナハイム市議会は、市当局とエンゼルスとの間で交わされた土地の売却を破棄することを全会一致で可決するとともに、2050年まで球団が残留するという合意も白紙になったのである。

 1966年開場のエンゼル・スタジアムは、大リーグ30球団の本拠地のうち4番目に古い。改修を重ねて今日に至っているが、構造の古さは隠しようがなく、エンゼルスにすれば、球場と周辺地域を一体的に再開発することは、経営上の最大の懸案事項だった。

 一度は合意した球場と周辺土地の購入が無効となったことで、モレノ氏が長期的な見通しをもって経営にあたることが難しくなり、球団の売却を決意したとしても不思議ではない。

エンゼル・スタジアムの外周=2021年9月22日、米アナハイム

異例とも言える頻繁な球団名変更

 それでも、2003年以来、多額の私財を投じて球団を育ててきたモレノ氏が、合意が破綻されただけで経営への意欲を失うだろうか。ここで注目したいのが、エンゼルスとアナハイム市の関係だ。

 エンゼルスは1961年の発足。1966年に本拠地をロサンゼルス市からアナハイム市に移した。そして、現在に至るまで、球団名が4回変更されている。

(1) ロサンゼルス・エンゼルス(1961-1965年)
(2) カリフォルニア・エンゼルス(1965-1996年) *本拠地移転
(3) アナハイム・エンゼルス(1997-2004年)
(4) ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム(2005-2015年)
(5) ロサンゼルス・エンゼルス(2016年から現在に至る)

 1876年にナショナル・リーグが発足し、現在の大リーグの原型が形作られた頃は、球団が名称を頻繁に変えることは珍しくなかった。例えば、大リーグを代表する球団の1つであるロサンゼルス・ドジャースは、1884年にブルックリン・アトランティクスとして誕生してから、1932年にブルックリン・ドジャースの名称を採用するまで、9回改名している。

 しかし、1950年代以降の大リーグでは、本拠地を移転する場合を除き、球団名を変更する事例は限られる。アナハイム市への移転以降も改名を繰り返したエンゼルスは異例と言えるだろう。そして、この事実がアナハイム市のぎこちない関係を示唆しているのである。

球団名はどう変えられたのか?

 1961年に新球団が名称をロサンゼルス・エンゼルスとしたのは、ロサンゼルス(los Angeles)というスペイン語に由来する都市名にエンゼルス(Angels)という英語の愛称を組み合わせることで、ヒスパニック系の多い土地柄を示しつつ、 “Los Angeles”と“Angels”と脚韻を踏むという、趣向を凝らした結果だった。

 マイナー・リーグAAA級のパシフィック・コースト・リーグに所属していた発足当初は、ロサンゼルス市の中心街にほど近いリグレー・フィールドやドジャースの本拠地ドジャー・スタジアムを間借りしていたものの、観客数は低迷した。

 理由は明らかだ。ドジャー・スタジアムを所有するドジャースは球界屈指の人気球団で、同じロサンゼルス市を本拠にすると、球団の集客力に限界があったのである。そのため、新球場を建設した1966年を機に、本拠地をロサンゼルス市の南東約50キロ、サンタ・アナ河畔にあるアナハイム市に移す。

 当時のアナハイム市の人口は約15万人で、小都市に分類されていた。ただ、「歌うカウボーイ」として知られる球団の初代オーナー、ジーン・オートリーと球団幹部は、「アナハイム市の地域球団」ではなく「カリフォルニア州全域から観客を集める」という方針に基づき、球団名は州名に由来するカリフォルニア・エンゼルスとする。

 次に球団名が変更されたのは、ウォルト・ディズニー・カンパニーが経営に参画した1997年。オートリーが掲げた「カリフォルニア州の球団」という方針を改め、アナハイム市に密着する球団であることを強調するため、アナハイム・エンゼルスとなった。

 2003年にモレノ氏が球団を買収した後もこの名称は維持されたものの、当時は約30万人と中規模の都市であったアナハイム市の名前を冠することは「地方球団」の印象を強め、集客力の一層の向上にはつながらないという懸念があった。

 そこで、モレノ氏は「エンゼルスはロサンゼルス大都市圏の約1300万人の球団である」として、2005年に名称をロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとした。「アナハイムにあるロサンゼルス・エンゼルス」という変則的な名前になったのは、「市当局の同意なく球団名を変えることは認められない」というアナハイム市側の強い反対があったためだ。

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