生きるということは確実に死に向かうことです
2022年09月12日
35歳でJリーグFC岐阜の社長を務めるなど、恵まれた人生を送ってきた恩田聖敬さんは、ALSを発症したことによって視野や価値観や人生観が途方もなくひろがったといいます。恩田さんの連載「健常者+ALS患者の視座から社会を見たら」の2回目です。
さまざまな体験を共有する場となることが、論座のシンカ(進化や深化)のひとつの方向性ではないかと考えています。読者のみなさまも、お互いの体験を共有しながら、ともに論じあいませんか。ご感想やご要望がありましたら、info-ronza@asahi.com までメールをお送りください。お待ちしています。
喋(しゃべ)れないことに加えて身振り手振りも全く出来ないのがALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気です。私の見た目は人工呼吸器をはじめとして色々なチューブを介して機械とつながっています。日常生活はベッド、移動・外出は車椅子必須です。立つことも歩くことも出来ません。傍(はた)から見たら重病人そのものです。
人は見た目で判断する生き物です。かつての私もそうでした。故に話しかけられる際に「話す内容理解出来ますか?」とか「耳は聞こえますか?」などのような前置きが必ずと言っていいほどあります。医療従事者でさえご老人にするように耳元で大声で叫ぶことがあります。私ではなくヘルパーさんに向かって話す方が大半です。しかしこれらの見た目の感覚は一切誤解です!
ALSという病気は一部認知症を併発することはあるようですが、一般的には五感や思考や記憶には障害はありません。よって目は見えますし、耳も聞こえますし、触られたらわかります。話している内容も当然理解出来ます。つまり目の前で起こっているコミュニケーションの受信は100%出来ているということです。けれどもそれを理解していらっしゃる方はほんの一握りです。
ALSは希少疾患の中ではかなり有名だと思いますが、結局知られているのは名前だけで症状はほぼ理解されていません。ALSでさえこの有り様なので他の希少疾患の方は症状を理解してもらうのに本当にご苦労されていると思います。周りの人も症状を知らなければ配慮しようがないので、大変な思いをされていると懸念します。
話を戻します。私の高校以降に出会った友人・知人・同僚で私のことを『寡黙』と言う人はおそらく誰一人居ません。前回語った私の恵まれた人生は『喋る』ことによって実現しました。徹底的にコミュニケーションを取ることで私はやりたいことができていました。また私は言ったことには必ず責任を持って率先垂範してきました。けれども今はコミュニケーションの受信は100%出来ていて発信文章も頭の中では出来上がっているのに外に出せない状態です。正確には外に出すのに途方もなく時間がかかります。
みなさんが想像しやすいように例えてみます。今から話すのは禁止です。その代わりに5秒に1文字伝えられるルールとします。例えば「おはようございます」、9文字なので45秒かかります。喋ったら
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