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五輪スポンサー新聞社は、疑惑渦中の高橋治之氏をどう報じてきたのか〈第1回〉

大会組織委や電通との利害関係が筆を鈍らせたことはなかったか

小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

 2021年夏に開催された東京五輪競技大会(以下、東京五輪)のスポンサー選定をめぐり、東京地検特捜部は2022年8月17日、東京五輪大会組織委員会(以下、大会組織委)の高橋治之元理事を受託収賄容疑で逮捕した(9月6日に再逮捕)。

 東京五輪をめぐっては、朝日新聞を含む新聞社4社がオフィシャルパートナー、2社がオフィシャルサポーターに就いた。報道機関が大会組織委のスポンサーになることはこれまでなかった(聖火リレーなど一部イベントのみへの協賛は除き)。各社は「言論機関としての報道は一線を画します」(朝日)、「報道機関としての独立性を欠いたことも一切なく、今後もない」(読売)などと説明したが、招致をめぐる過去の疑惑や、国際オリンピック委員会(IOC)と組織委の裏側、五輪がはらむ様々な問題を、きちんと伝えてきたのだろうか。

 組織委の中枢にいた電通出身の高橋容疑者の逮捕を機に、東京五輪とスポンサー新聞社の問題を6回連載で検証する。

電通と利害を共にした新聞社

 五輪やサッカー・ワールドカップ(W杯)など世界的なスポーツ・イベントに長く関わってきた高橋氏は電通の元専務で、全国紙や週刊誌、夕刊紙といった国内主要メディアでも「スポーツ・ビジネスのドン」とあがめ、そして恐れてきた1,2,3,4

 五輪担当記者であれば、大会組織委と電通の深い関係を知らぬ者はいない。大会組織委の中枢には電通からの多くの出向者が占め、大会組織委のマーケティングは電通に一任されていた5。「ぼったくり男爵」といわれるトーマス・バッハ氏は国際オリンピック委員会(IOC)の会長就任直後、東京五輪のスポンサー目当てで「電通詣」に来日したほどだ6。まさに東京五輪は「電通五輪」の様相を呈していた7

 また、国内の新聞社やテレビ局はその広告代理店としての電通との関係も深い。その関係の深さから新聞社やテレビ局が電通の不祥事に切り込めない、切り込まない「電通タブー」が存在するとも指摘されている8,9,10。だが高橋氏の逮捕を機に、新聞社の高橋氏と電通に対する態度ががらりと変わった。高橋氏の東京五輪のカネにまつわる疑惑報道が堰を切って、これでもかのように溢れかえったのである。

東京五輪大会組織委員会元理事・高橋治之容疑者東京五輪大会組織委員会元理事・高橋治之容疑者

 東京五輪を巡っては大会組織委と朝日新聞社、読売新聞東京本社、毎日新聞社、日本経済新聞社の新聞社4社11はオフィシャルパートナーというスポンサー契約を結んだ(産業経済新聞社、北海道新聞社もオフィシャルサポーター契約を締結)12,13,14。すなわち、これら五輪スポンサー新聞4社は東京五輪のマーケティングを一手に率いた電通とは利害を共にする一蓮托生の関係にあったのである。

 スポンサー契約から1週間後の朝日新聞の紙面には、以下のような読者からの懸念の声が掲載されている。

僧侶 豊岳澄明(岡山県 60)
 
 朝日新聞社、日本経済新聞社、毎日新聞社、読売新聞東京本社の4社が、2020年東京オリンピック・パラリンピックの大会スポンサーである「オフィシャルパートナー」契約を結んだというニュースに衝撃を受けた。4社は主催者側に立って、大会のPR担当を務めるということにならざるを得ないのではないか。
 当初は環境に配慮した経済的な大会と言いながら、やたらとお金のかかる新国立競技場建設などの実情を後で知らされ、国民の多くがあぜんとした。エンブレムの白紙撤回と同様に、予想もできないような問題が今後も発生するのではないか。大会に向けた建設ラッシュで建築資材が高騰し、東北の復興を妨げているのではないか。こうした疑問を感じている人は少なくないと思う。
 東京五輪をめぐる様々な問題の追及や議論をリードしてもらわなければならない新聞社が、オフィシャルパートナーとは。朝日新聞は「報道の面では公正な視点を貫きます」としているが、スポンサーになること自体、すでに公正な立場ではないと思う。今後の報道を厳しく注視したい。

2016年01月29日付 大阪本社版朝刊「声」欄

 大会組織委は公金で運営されたスポーツ界の公権力であった。これを独立した立場から監視し、その内実を広くあまねく報じるのが報道メディアの使命である。大会組織委との利害関係が五輪スポンサー新聞社の筆を鈍らせる結果に陥ったことはなかったのか。

 2022年8月末時点までに明るみに出た東京五輪にまつわる高橋氏の疑惑と事件は大きく分けて2点ある。報道メディアでは通常、逮捕、あるいは起訴を境にしてその前を「疑惑」、その後を「事件」と表記する。

 一つはフランス検察当局が捜査を進める東京五輪招致段階での買収疑惑(以下、五輪招致疑惑)である15,16。そしてもう一つが東京地検特捜部の捜査による東京五輪スポンサー選定疑惑・事件である17,18,19,20。稿では高橋氏の逮捕前を「五輪スポンサー選定疑惑」、逮捕後を「五輪スポンサー選定事件」と表記する。いずれも現時点(2022年8月末現在)で捜査が現在進行形である。本稿ではこれらに焦点を当てたい。

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五輪疑惑は、世界規模の政治経済事件の一環

 前者の五輪招致疑惑は資金の流れや関与した人物といった内容からすると、単なるスポーツ事件というより、世界規模の政治経済事件として捉えるべきである。これを検証するために、本稿では過去の類似する国際的な政治経済事件の2件を比較対象とした。

 この共通項はタックス・ヘイブン(租税回避地)、マネー・ロンダリング(資金洗浄)、実態が不明あるいは無いペーパー・カンパニー、の3項目である。これらは特別目的会社(SPV)や匿名投資組合など導管体が一般的だが、後述するシンガポールのBT社やスイスのISL社やAMS社も含まれる。これらに加え、賄賂の実態とフェア・マーケット・バリュー(市場公正価値)という点に着目したい。

 一つ目の比較対象は1991年に発覚したパキスタンのBank of Credit and Commerce International(以下、BCCI)を舞台にした史上最大の国際政治経済犯罪と言われたBCCI事件である。租税回避地のルクセンブルグに本拠を置くBCCIという銀行そのものを犯罪組織に変容させ、米国中央情報局(CIA)が組織的な資金洗浄を繰り返し、世界各地の非合法組織などに資金提供をしていた21

 後述するが、BCCIは銀行というよりもその存在自体が犯罪であった。BCCI事件は租税回避地での資金洗浄による国際犯罪が初めて世界的に問われたケースである。ここで用いられた手法が複雑怪奇で、国際的な政治経済犯罪においての報道メディアの取材報道体制の課題が浮き彫りになった。

 2つ目が2016年に発覚したパナマ文書事件である。パナマ文書は租税回避地での会社設立に携わる中米パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」が作成した業務用のファイルで、顧客とのやりとりや登記関連の申請書類など1150万点が含まれた。この文書を南ドイツ新聞が入手した。

 1997年に発足し、米国の首都ワシントンD.C.に本拠を置く国際調査報道ジャーナリスト連合 (ICIJ)がこの文書に関する報道で、世界の政治家や富裕層、大企業が租税回避地を利用して租税を逃れている実態を暴く調査報道を重ねてきた。国内でも共同通信や朝日新聞、NHKなどもICIJを通じてパナマ文書の分析と取材を実施した22,23。これも租税回避地での資金洗浄という点でBCCI事件と類似する構図があった。

パナマ文書の日本関連会社の書類。同文書でグローバル企業らの「課税逃れ」が暴かれたことも、新ルールの議論を加速させる一因となった。 パナマ文書の日本関連会社の書類。同文書でグローバル企業らの「課税逃れ」が暴かれたことも、新ルールの議論を加速させる一因となった。

 BCCI事件や2001年の米エネルギー大手エンロン社の巨額不正会計事件からの反省もあり、一部の報道メディアでデータを丹念に解析していく調査報道の実効性を証明した事件でもあった。BCCI事件の解明は各国の捜査当局が主体であったが、パナマ文書事件では報道メディアの積極的な関与があった。

 以下ではまず五輪招致疑惑について、中心人物の国際陸上競技連盟(IAAF)の故ラミーヌ・ディアク前会長と大会組織委の高橋治之元理事の関わりについて紹介する。そのうえで1998年長野五輪招致、2016年東京五輪招致、そして2020年東京五輪招致それぞれでの不正疑惑の概要を示す。

 東京都は2016年と2020年の夏季五輪それぞれの大会招致をした。この2つの招致活動の混同を避けるため、2006年11月に発足した五輪招致委員会(会長:石原慎太郎都知事、2006年-2009年24)を「2016五輪招致委」、2011年11月、再度の夏季五輪大会招致のために設立された五輪招致委員会(会長:石原慎太郎都知事、理事長:竹田恆和JOC会長、2011年〜2014年25)を「2020五輪招致委」と表記する。

 これらを参考にしつつ、BCCI事件とパナマ文書事件に関する五輪スポンサー新聞4社の報道実績を比較対象としながら、東京五輪招致疑惑の報道実績を検討する。さらに、五輪スポンサー新聞4社が五輪疑惑渦中の高橋治之氏をどう伝えてきたのか検証していきたい。

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五輪買収疑惑の焦点、ラミーヌ・ディアク氏と高橋治之氏

 東京五輪招致疑惑は根深い。この疑惑の焦点がディアク前会長と大会組織委の高橋治之元理事の2人である。セネガル出身のディアク氏は1999年11月から2015年10月までIAAF会長を務めた。また、1999年から2013年までIOC委員を務め、退任後はIOC名誉会員となった。2007年秋には世界陸上大阪大会開催など日本でのスポーツ発展に貢献したとして、日本政府から旭日大綬章を叙勲した26

 だが、ディアク氏の経歴には資金洗浄や贈収賄といった汚職事件が常にまとわりついた。IAAF会長とIOC委員就任以前の1993年にはIAAFのマーケティング契約をめぐって租税回避地スイスにあったインターナショナル・スポーツ・アンド・レジャー(ISL)社から賄賂を受け取っていた。これが後に発覚し、ディアク氏は2011年にIOCから警告処分を受けた27

 ISL社は電通と大手スポーツメーカー、アディダスの元会長が1982年、スイスに設立した合弁会社でIOCやIAAF、国際サッカー連盟(FIFA)のマーケティングや放送権で利権を握った。だが、これらの取引で多くの不正事件を繰り返し、2001年に経営破綻した。ただし、IOCがマーケティングの独自路線に踏み切り、電通は1995年にISL社の株式を手放した28

 電通側でこのISL社の事業を率いていたのが高橋氏である29。高橋氏は電通やISL社を通じて多くの世界的なスポーツ・イベントに携わってきた。同様に2020五輪招致委の「スペシャル・アドバイザー」として、同委の別働隊のような役割で大きな役割を果たしていたのが高橋氏であった30

 ディアク氏はIOCから処分を受けた2011年にも、資金洗浄がからんだ汚職事件を引き起こした。ロシア代表選手のドーピング問題にからみディアク氏はその隠蔽の見返りに100万ユーロ以上の賄賂を受け取った。2015年にフランス捜査当局の捜査でこの問題が発覚し、IOC名誉会員を辞任した31

 後に詳述するが、この汚職事件と同時期の2011年に2020五輪招致委が設立された。そこでは高橋氏は2020五輪招致委から約9億円もの資金を得て、ディアク氏に対して腕時計など贈り物や接待など、裏方での招致活動をしていた32

 設立から2年後の2013年に、2020五輪招致委からディアク氏と関係のある租税回避地シンガポールにあるブラック・タイディングス(BT)社に2億3000万円の資金が流れた33。この会社とその経営者はディアク氏とも電通の関係会社ともつながりがあった34。このように五輪招致疑惑には常にディアク氏と高橋氏の陰が見え隠れしていたのである。

東京2020組織委員会の理事会に出席し、森喜朗会長(当時・右)から声をかけられる高橋治之容疑者=2015年9月28日、東京都港区東京2020組織委員会の理事会に出席し、森喜朗会長(当時・右)から声をかけられる高橋治之容疑者=2015年9月28日、東京都港区

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長野五輪招致委でも2016年招致委でも帳簿消失

 東京五輪招致疑惑は1998年に開かれた長野冬季五輪からの伏線があった。長野五輪のマーケティングやスポンサー集めは東京五輪と同様、電通が担っていた35。1993年12月、3年間で約19億5000万円を費やした長野五輪招致委員会の帳簿消失事件が発覚した36。翌1994年3月には、この招致委による約3億円に及ぶ贈賄疑惑が取り沙汰された37。だが、結局のところ長野五輪招致をめぐる問題は迷宮入りした。この経験が2016年五輪招致で活かされず、同じ過ちが繰り返されたのである。

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