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五輪汚職のもう一輪「IOC委員買収疑惑」に及び腰だった日本のメディア〈第2回〉

「時計」で結ばれた高橋治之氏と謎のコンサルタントの「糸」

小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

五輪買収疑惑を追及した英仏メディアとFACTA

 五輪スポンサー新聞社各紙は2022年9月16日、東京地検特捜部が「五輪汚職事件」で大会組織委員会副会長だった竹田恒和・日本オリンピック委員会(JOC)前会長を任意で事情聴取したと報じた1。大会スポンサーの選定をめぐって受託収賄容疑で逮捕した組織委元理事・高橋治之容疑者について、理事就任の経緯や職務を確認するためとされた。この事件で東京地検特捜部は、五輪スポンサーで竹田氏が社外取締役を務めるパーク24社の家宅捜索をした2

 竹田氏の事情聴取に関していずれの記事も「パーク24」という五輪スポンサーのみに焦点を当てていることに、筆者は違和感を抱いた。この「五輪汚職事件」は大きく分けて二つある。

 一つがこの「五輪スポンサー選定事件」である。そしてもう一つが、東京五輪招致時の国際オリンピック委員会(IOC)委員の買収をめぐる「五輪買収疑惑」である。竹田氏は2019年にフランス検察当局からこの疑惑への捜査を受け、IOC委員を辞任した3。その後も、JOC会長と大会組織委副会長を退任する大きな事件へと発展した。

 2016年から2020年にかけて、この疑惑に高橋氏も深く関わっていたことが欧州で大きく報じられた。フランス検察当局や欧州の報道メディアは色めき立った。これで五輪招致をめぐる度重なる不正買収事件に終止符を打てると。

 ここで注目すべきが、英ガーディアン紙、仏ルモンド紙、英ロイター通信、そして国内の月刊誌「FACTA」の調査報道であった4,5,6。買収に関わる極秘文書を独自に入手し、これら報道メディアが協働して調査をし、その詳細を大きく報じた。

 五輪大会そのものを買収したとなれば、事件としてはスポンサー選定事件よりも、この五輪買収疑惑のほうがニュース価値は大きい。東京五輪そのもの意義が問われるからだ。だが、フランス検察当局から捜査協力を受けた東京地検の動きは鈍かった。これにもまして、なんとも歯切れが悪かったのが五輪スポンサー新聞を含めた国内の大手マスコミ報道であった。

 この事件での欧州メディアとFACTAが協働した調査報道は、腐敗した公権力の悪事を暴露した、大いに賞賛されるべきジャーナリストらの仕事だった。パナマ文書事件の報道でピュリツァー賞を受賞した国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)の調査報道に匹敵する7

記者会見して疑惑を否定する竹田恒和JOC会長(当時)=2018年1月 記者会見して疑惑を否定する竹田恒和JOC会長(当時)=2018年1月

 だが、電通との深い関係からか、国内大手マスコミはこれら一連の調査報道をほとんど無視した。しかも五輪スポンサー選定事件報道とは異なり、五輪招致疑惑では焦点が定まらず、電通と高橋氏の存在をひた隠しにするかのように報じた8。結局、竹田氏の辞任・退任劇でこの事件報道は立ち消えとなった。すべてが闇に葬られたような、決まりの悪い結末を迎えたのである。

 この事件は2022年9月現在でもフランス検察当局が東京地検から協力を得て捜査中である。今回の竹田氏への任意聴取は、東京地検特捜部のリベンジ戦とも映る。五輪スポンサー選定事件が拡大する中、五輪買収疑惑に焦点を当てる国内報道メディアはほとんどない。五輪スポンサー選定事件よりもスケールが大きく、しかも内容が複雑である。わかりやすく無邪気な贈収賄が繰り返される五輪スポンサー選定事件とは趣を異にする、不可解で不気味な事件なのである。

 今回はこの五輪買収疑惑について触れていきたい。

連載第1回はこちら

 ちなみに、五輪スポンサー新聞社はなぜ、五輪スポンサー選定事件を「五輪汚職事件」と表記するのだろうか。文字数の問題なのか、わかりやすさが重要なのか。あえて「スポンサー」の文字を伏せ、自社への問題の焦点化を避けている疑問を抱かざるを得ない。

 なぜなら、五輪スポンサー新聞社と大会組織委とのスポンサー契約内容がナゾに包まれているからだ。大会組織委は高い透明性が求められる公益財団法人である9。いみじくも公器を公言する新聞社が、取材対象である大会組織委と利害関係を結んだならば、その情報を開示し、説明責任を果たすのが筋である10,11

 まずはこの五輪招致疑惑のあらましを紹介したい。ここで着目したいのがタックスヘイブン(租税回避地)、マネーロンダリング(資金洗浄)、そしてペーパーカンパニーの3つの用語だ。これらの怪しげな単語を見た瞬間、誰もが背徳的な犯罪のにおいを嗅ぎ分けることができよう。

得体の知れないタン氏とBT社、背後に電通の影

 五輪招致疑惑の発端は2020五輪招致委設立から約2年たった2013年5月とされる。疑惑の舞台となったのが「五輪招致コンサルタント」のタン・トンハン氏が経営していたシンガポールの「ブラック・タイディングズ(BT)」社であった。シンガポールは租税回避地として知られ、世界的な金融業がアジア圏の拠点を構える。タン氏は国際陸上競技連盟のラミン・ディアク前会長の息子パパマッサタ・ディアク氏と関係が深いとされる。

 ロシア代表陸上選手団のドーピング問題を巡って資金洗浄と贈収賄の疑惑が持ち上がり、ディアク氏は2015年、国際オリンピック委員会(IOC)名誉委員の辞任に追い込まれた12。息子のパパマッサタ氏もリオデジャネイロ五輪招致にからむ収賄容疑でフランス検察当局が起訴した。

 贈賄側のリオ五輪組織委会長のカルロス・ヌズマン氏は2021年11月に、ブラジルの裁判所から禁錮30年の判決を受けている13。五輪招致をめぐる不正は後を絶たない。国内大手マスコミの権力監視が機能していないためか、東京五輪の招致でもそれが繰り返されてしまったのである。

 ディアク親子との関係が指摘されるタン氏の五輪招致コンサルタントとしての実態はナゾに包まれている。シンガポールの音楽学校の事務員だったタン氏は2006年に同地でBT社を設立した。この事務所はシンガポールの老朽化した公営住宅の一室にあった14。こんな風景がまさにペーパーカンパニーの実態を如実に示す。

報道陣に囲まれて法廷へ入るラミン・ディアク被告(中央)= 2020年1月13日 、パリの軽罪裁判所、疋田多揚撮影  報道陣に囲まれて法廷へ入るラミン・ディアク被告(中央)= 2020年1月13日 、パリの軽罪裁判所、疋田多揚撮影

 タン氏は2008年に北京に渡り、北京五輪開催時にアフリカ諸国を紹介するパビリオン運営に関わったとされる15。五輪大会期間中、開催地には五輪招致などを目的にした各国の接待施設が開設され、そこでは五輪貴族たちが毎晩のように贅を尽くしたきらびやかかパーティーを開き、その舞台裏で人知れず密談が交わされる。

 この接待施設がタン氏の本格的な五輪ビジネスへの入り口となった。当時タン氏は電通グループが出資するスイスのスポーツ・マーケティング会社、アスレティックス・マネジメント・アンド・サービシズ(AMS)社とコンサルタント契約を結び、国際陸連の会合には定期的に出席していたようだ16

 2001年、電通が出資し不正を繰り返していたスイスのインターナショナル・スポーツ・アンド・レジャー(ISL)社が破綻した。この直後にその実質的な継承企業としてAMS社が設立された17。そして2019年、フランス検察当局が東京五輪招致疑惑でAMS社を捜索したのである18。つまり、この五輪招致疑惑は電通が密接に関係しているのだ。

 タン氏の五輪招致コンサルタントとしての実績について不明だったため、2020五輪招致委は電通の役員に照会を求めた。電通がタン氏の実力にお墨付きを与えたため、招致委はBT社とコンサルティング契約を結んだ19。この件について電通は朝日新聞の取材に対して「ロビイストとしての実績はある、という事実を伝えたまで」と回答した20

 タン氏の素性について筆者の同僚である五輪専門誌「ATR」のエド・フーラ編集長(当時)は毎日新聞へのコラムの中で「(五輪)招致コンサルタントは数多くいるが、タン氏は何もコメントを発しておらず謎に包まれている。筆者も東京都が開催都市に決まった2013年9月のIOC総会を取材したが、タン氏の名前は聞いたこともなかった。それにもかかわらず(招致委は)しっかり地位を築いた招致コンサルタントに遜色のない報酬を支払っている21」と疑問を呈した。

 筆者もフーラ氏に直接、タン氏について問い合わせた。フーラ氏は

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