2022年09月26日
9月10日、元2ちゃんねるの管理人であるひろゆき氏が次のようなツイートをした。
人の葬式に行かない人は、黙って行かなければいいだけです。
「行きません」とわざわざ言う必要はないと思います。
遺族と参列者に失礼です。
葬式に行かない人に「行くべきだ」という人は野暮です。
弔意を表す、表さない、表し方は、個人の自由です。
強制されたものは本心からの弔意ではないです。
このツイートは、「欠席」に丸をつけた国葬の案内状の写真をSNS等にアップして国葬反対をアピールしている一部の野党議員の姿勢を批判したものと考えられる。
ツイッターの後半部分には「弔意を表す、表さない、表し方は、個人の自由」とは書いてある。だが、前半部分で「行きません」と表明しているのは批判しているのだから、行かないと意思表示することだけは「個人の自由」ではないということらしい。ずいぶんと狭量な「自由」である。
この意見はネットでも、野党に批判的な人たちの賛同を集めて注目されているようだ。
ところで、ひろゆき氏に言いたいことがある。
「なんだろう、個人の葬式と公的な国葬をごちゃ混ぜにするの、やめてもらっていいですか?」
まず、これはハッキリと指摘しておかなければならないが、ひろゆき氏の言う「人の葬式」、つまり安倍元首相個人の葬儀は7月12日に東京都港区の増上寺ですでに執り行われている。
確かに、この葬儀に反対したり、案内状が来ているのにわざわざ「行きません」などとSNS等でアピールしたとしたら、ひろゆき氏の言うとおり「遺族と参列者に失礼」だと僕も思う。
だが、安倍元首相の国葬は「人の葬式」ではない。国が執り行う「公的なイベント」である。
オリンピックの実施に反対したり、見ないと宣言する人がいても、決して「オリンピック選手に失礼」にはあたらないのと同様に、国葬に賛成しないから、参加しないからといって誰かに失礼などということはないのである。
様々な世論調査で、国葬には反対意見の方が多いという結果が出ているとおり、今回の国葬の意義は決して国民に浸透していない。また野党議員の多くが反対するのも、国会での承認も無く、法的根拠がないからという理由があるからだ。
国葬に賛成する人のなかには、そのような当たり前の批判を真正面から受け止められないために、国葬をさも「安倍氏個人の葬儀」であるかのようにごまかし、筋違いのイチャモンをつけている人がいるとしか思えない。
安倍元首相がテロ行為により亡くなって以降、安倍氏を「公人」ではなく「亡くなった私人」として扱うような意見が散見されるようになった。
例えば、お笑いコンビ「笑い飯」の哲夫氏は、8月にABEMAの番組に出演した際に「安倍さんが亡くなられてからまだ四十九日も経っていないのに、安倍さんのことを批判するのは、日本人の所業には思えない」と発言した。
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