赤木智弘(あかぎ・ともひろ) フリーライター
1975年生まれ。著書に『若者を見殺しにする国』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』、共著書に『下流中年』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
まず、これはハッキリと指摘しておかなければならないが、ひろゆき氏の言う「人の葬式」、つまり安倍元首相個人の葬儀は7月12日に東京都港区の増上寺ですでに執り行われている。
確かに、この葬儀に反対したり、案内状が来ているのにわざわざ「行きません」などとSNS等でアピールしたとしたら、ひろゆき氏の言うとおり「遺族と参列者に失礼」だと僕も思う。
だが、安倍元首相の国葬は「人の葬式」ではない。国が執り行う「公的なイベント」である。
オリンピックの実施に反対したり、見ないと宣言する人がいても、決して「オリンピック選手に失礼」にはあたらないのと同様に、国葬に賛成しないから、参加しないからといって誰かに失礼などということはないのである。
様々な世論調査で、国葬には反対意見の方が多いという結果が出ているとおり、今回の国葬の意義は決して国民に浸透していない。また野党議員の多くが反対するのも、国会での承認も無く、法的根拠がないからという理由があるからだ。
国葬に賛成する人のなかには、そのような当たり前の批判を真正面から受け止められないために、国葬をさも「安倍氏個人の葬儀」であるかのようにごまかし、筋違いのイチャモンをつけている人がいるとしか思えない。
安倍元首相がテロ行為により亡くなって以降、安倍氏を「公人」ではなく「亡くなった私人」として扱うような意見が散見されるようになった。
例えば、お笑いコンビ「笑い飯」の哲夫氏は、8月にABEMAの番組に出演した際に「安倍さんが亡くなられてからまだ四十九日も経っていないのに、安倍さんのことを批判するのは、日本人の所業には思えない」と発言した。