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【がんと向き合う①】病は不意打ちでやってきた

「余命宣告」を受けてから1年、闘病の記録

隈元信一 ジャーナリスト

 ジャーナリストの隈元信一さんが自身のがん闘病をつづる連載を始めます。題して「死を見つめる」。ドキリとする言葉ですが、朝日新聞の家庭面記者だった1980年代に手掛けた医療の連載記事と同じタイトルです。いきなりの余命宣告をどのように受け止め、そこからどう病と向き合ってきたか。どんな情報を集め、医療や介護関係者と話し合いながら、納得のいく治療を選んできたか。そして、できる限り自分らしい生活を続けてゆくにはーー。一人の患者として、報道記者として、考え続ける日々を記録します。

始まりは排尿時の痛み、「またか」と油断した

 2人に1人が、がんになる時代。そう聞いても、自分だけは大丈夫と考えてしまいがちだ。ほかならぬ私がそうだった。70歳に近くなっても、全く無防備だった。

 ところが昨夏、たちの悪い末期がんを告知され、「3カ月から半年」の命と診断された。約50日間の入院から介護施設を経て、現在は在宅ケアのサービスを受けながら自宅で闘病生活を続けている。告知から1年が過ぎ、ようやく手記を書く心の余裕ができた。

 コロナ禍のさなか、がん治療の最前線で起きていることや自分自身の思いなどを報告したい。

拡大筆者・隈元信一近影
 まずは、この1年くらいをざっくりと振り返ってみよう。

 最初に体の異変に気づいたのは、2021年3月のことだ。

 尿意を催し、トイレに頻繁に行くようになり、排尿時に痛みを感じるようになった。「また石かな」。これまでに何度も胆石や尿路結石にかかった経験がある私はそう思い、自宅に近い泌尿器科のクリニックを訪ねた。

 診断は「前立腺炎」だった。薬をもらい、それがなくなると通院を重ねた。

 夏に入って、腰に激痛が走るようになった。結石の痛みとはどうも違う。

 血中の腫瘍マーカーの値も高い。がんの疑いが一気に浮上した。紹介状を書いてもらって、私が住んでいる東京都大田区内にある大森赤十字病院ヘ。8月20日から1泊2日の検査入院、MRIや前立腺の細胞をとって調べる生検を受けた。

 結果は、がん以外の何物でもなかった。前立腺がんだけならまだ良かったが、普通の腺がんとは違う神経内分泌がんとの混合がんで、すでに全身の骨や肺などに転移していた。


筆者

隈元信一

隈元信一(くまもと・しんいち) ジャーナリスト

1953年鹿児島県種子島生まれ。79年から朝日新聞記者。前橋・青森支局、東京本社学芸部、高麗大学(韓国)客員副教授などを経て、論説委員、編集委員。2015年青森県むつ支局長となり17年退社。日本を含むアジア文化・メディアを主なテーマに取材執筆してきた。取材班代表を務めた連載「原発とメディア」で13年科学ジャーナリスト大賞。著書に『永六輔』 (平凡社新書)、『探訪 ローカル番組の作り手たち』(はる書房)。共著に『原発とメディア2──3.11責任のありか』『歴史は生きている──東アジアの近現代がわかる10のテーマ』(以上、朝日新聞出版)、『放送十五講』(学文社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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