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【反響】私に国外移住を決意させた「正直、迷惑」~教員はどうか温かく迎え入れて

〈障害者〉と創る未来の景色を読んで

二階こうじ 元大学教員

 「論座」ということばに思い浮かべるのは、いろりを囲んで座り、語りあい、論じあう光景です。ゆったりと時間が流れるその場には、相手を「論破する」「言い負かす」ような論じ方は似合いません。互いの言葉に耳を傾け、相手を知ろう、なにがしかのことを学ぼうとする。そんな建設的な議論の場を、論座でもつくっていけたらと考えています。
 そのための試みとして、論座で公開した論考に対する反響のうち、編集部員が心を動かされた文章や優れた論を、ご本人の了解を得たうえでご紹介しています。
 こちらは、三谷雅純さんの連載「〈障害者〉と創る未来の景色」に対して、二階こうじさん(ペンネーム)が寄せてくださったものです。三谷さんの応答もあわせてご紹介しています。
 読者のみなさまも、論の座に座り、論じあいませんか。info-ronza@asahi.com にメールでいただければ幸いです。

(論座編集部)

あなたも論の座に

 二階こうじ(ペ ンネーム) 元大学教員。退職後縁があって、南半球の比較的福祉が行き届き障害者が暮らしやすい国に移住。

 「〈障害者〉と創る未来の景色」を読ませていただきました。脳機能障害を起こされてから、いろいろ難儀をされていることと存じます。それにもかかわらず、活路を見出されている姿勢に感服いたします。

 ところで、私の長男は現在22歳ですが3歳ですでに自閉症と診断され、現在に至っています。自閉症なのでコミュニケーションに障害あるうえ、知能も3-4才程度のままです。

国連の「世界自閉症啓発デー」にあわせ、青くライトアップされた駅前通りを歩く参加者たち=2019年4月2日、苫小牧市
 私は年金生活者であり、細君が昼勤務しているため、週に何日かは終日この知的障害者と付き合っています。自分で考え決定することに問題があるため、結局一日中つきあうことになります。

 それでも息子の場合は、きかんしゃトーマスなどの絵を数時間もかけて描いたり、子供番組を数時間かけてみているので、その時は目が離せます。(ユーチューブに、好きな単語を入力しそれを見ることができます)。他にできることを増やすため、最近は芝刈りを教えています。何とか庭の真ん中だけは刈ることができるようになりました。これでも我が息子は世話の焼けないほうで、知能の高いいわゆる高機能自閉症者は、社会にも出てゆく際に、そこで様々な障害にぶつかります。他の人と溶け込めずいさかいを起こすこともしばしばです。

 私と息子のことはこのくらいにして、ここで一つ注目してほしいのは、障害者の中でも知的障害者は、はじめに書いたように程度の差こそあれ自分で考え決定することに問題があることです。人間活動の根底のところに問題があり、時には身体障害者からも見下されることもあります。しかし、一方では、どちらも社会的に厄介者とみられがちなことです。これはまさしくナチスの世界です。ナチスはユダヤ人だけでなく、身体・精神障害者を多数、抹殺したことが知られています(注1)

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「父親の会」で聞いた教員の言葉、父親のつぶやき

 ここでエピソードを一つ。私たちがまだ日本にいた時、障害児の父親の会というものに参加していました。障害者を子供に持つ家庭は、両親が協力して子供の世話をする必要があるにも関わらす、ご存知かもしれませんが実は離婚率がかなり高いようです。その原因は多くは父親にあるようです。あるいは役に立たない夫が妻にあきれられて、離婚に至ることもあるようです。そのようなことをいくらかでも防ぐためもあり、知的障害者の父親の会というのが組織されています。

 ある時その会合で、ある父親の報告が胸を痛めました。その人の子供は、中程度の知的障害児で、確かに教室でも静かにはしていなかったと想像できるのですが、父親が担任教師に、普段ご迷惑をおかけしますとあいさつというか謝罪をしたとろ、「正直いって、迷惑をこうむっています」(ママ)という返事が返ってきたそうです。

 この教師は教育熱心でクラスの父母には評判はいいということでしたが、何のことはないクラスの平均点をあげるのに熱心なだけだと私は思いました。なにが「正直」というものか! この父親は気丈な人で黙って聞いていただけでしたが、もし気弱な(母)親なら、泣いてしまったことだろうと思い、聞いていて胸が張り裂ける思いでした。こんな教師には免職運動を起こすべきだと思いましたが、世の中はそうはうまくゆかず、かえって当の自閉児が圧迫を受けるだけなのだろうと思い直しました。

 実はこのことが、わたしをして家族で国外に移住する決心をさせたのです。逃げ出したといわれればそうですが、少なくともその点に関してはいまは正解だと思っています。

 父親の会の中で、つぶやかれたことの一つに、「子供より先に死ねない」というのがあります。確かに身につまされる言葉です。しかしそうかといって、一家心中を企てる親はそれほど多くはいないでしょう(注2)。むしろそんなつぶやきの前に、することをしています。

 私の身内に、重度自閉症者と自閉症傾向者の二人の息子を抱えた86歳の母親がいます。彼女は、重度自閉症者を施設に入れ、自閉症傾向者には、その後の後見人を依頼し、わずかの財産もそれを管理する障害者関連の弁護士を選定依頼するなど、できることすべての用意に、独り言をつぶやく時間がないというのが現実です。その姿勢に励まされました。

障害者の交流会で触れたほほえましい光景、仲間意識

 もう一つの話は、障害者の交流会です。今私のいる地域には、知的および身体障害者の交流ボーリング同好会(週1回1時間)があります。そのうち3分の1ぐらいは、知的かつ身体障害者です。

自閉症の画家、衣笠泰介さんの手描き友禅作品が展示されたギャラリー=2014年11月12日、京都市上京区
 ほほえましいのは、身体障害者が知的障害者の面倒をよく見て、いろいろな指示をすることです。身体障害者の中にはボールも自分では持ち上げることができないものもいるのですが、それを身体的には健常な軽度知的障害者が手助けすることもあります。障害の種類は違っても、障害者としての仲間意識はあるようです。どちらの障害者もこの会に参加している間、明るい顔をしているように私には感じられます。これに健常者との交流が加われば、さらに良いのでしょうが。

 わたしのこの報告は、単なる近況報告ですが、唯一お願いしておきたいことは、もうお察しのこととおもいますが、知的障害者は考えるということに欠陥があり、厄介なことも多いのですが、どうか切り捨てたり、あきらめられたりすることなく、温かく迎え入れるような環境を考えてほしいということです。とくに養護の教員にそのように期待します。

自閉症の息子さんを育てておられるお父さん、二階こうじさんへ

「〈知的障害という才能〉を活かした社会の創造」も、本気で考えてみます

 【三谷雅純さんの応答】

 どうやって〈障害者〉と非〈障害者〉が、それぞれの立場を生かした社会を創っていくのかと考えるのが、わたしの研究者としての役割だと考えていますが、「知的障害者は考えるということに欠陥があり、厄介なことも多いのですが、どうか切り捨てたり、あきらめられたりすることなく、温かく迎え入れるような環境を考えてほしいということです」という言葉、わたしは素直に、自分は知的障害者への思いが足らなかったと認めます。〈知的障害という才能〉を活かした社会の創造は考えてきませんでした。

 わたしは今まで、聴覚失認者と注意喚起のチャイム(アラーム)の関係の実験をやってきました。それは病気や事故で脳の損傷を受け高次脳機能障害を発症した人が中心ですが、自閉症で重い知的障害のある人にも手伝ってもらいました。それなのに、実験が終わったら知らん顔では怒られてしまって当然です。これからは「〈知的障害という才能〉を活かした社会の創造」も、本気で考えてみます。

三谷雅純さん。インドネシアのスマトラ島南岸で撮影(三谷さん提供)
 このような反省の上で、わたしが気付いたことを4点、申しあげます。

 1点目は息子さんの世話をお父様がされていることです。

 【反響】の中に、「障害者を子供に持つ家庭は、両親が協力して子供の世話をする必要があるにも関わらす、ご存知かもしれませんが実は離婚率がかなり高いようです。その原因は多くは父親にあるようです。あるいは役に立たない夫が妻にあきれられて、離婚に至ることもあるようです」とされていました。日本社会では性別役割分業の考え方が、今でも優勢です。二階さんは(1)奥様が仕事を持たれていること、(2)ご自身は、すでに定年を迎えられたこと、(3)ご自身が決して息子さんの世話を嫌がっているふうには思えないこと、というような条件がありますが、二階さんの態度は立派です。わたしは交通事故にあった高次脳機能障害のある青年とその保護者のグループとの付き合いがあります。多くの当事者は知的障害がありますが、付いて来る「保護者」はたいてい母親です。父親は影が薄いのです。

 2点目は親と子どものライフ・ステージのずれのことです。

 普通、親は子どもよりも先に寿命が尽きてしまいます。二階さんは定年を迎えられたとお書きです。奥様はお元気なのでしょうが、人は誰しも死を迎えます。二階さんが参加されていた「障害児の父親の会」で「子供より先に死ねない」という言葉が身につまされたとお書きですが、同時に「重度自閉症者を施設に入れ、自閉症傾向者には、その後の後見人を依頼し、わずかの財産もそれを管理する障害者関連の弁護士を選定依頼するなど、できることすべての用意」をされた親族がいることもお書きです。移住された先でも後見人の制度があるのでしょう。利用できる制度は、最大限、有効に利用されることを望みます。先の高次脳機能障害のある青年とその保護者のグループでは、高齢になった母親が子どものまま成長が止まった当事者を世話しているのですが、皆さん、この子を残して死を迎えねばならないことを、真剣に心配していらっしゃいます。

 3点目は二階さんの負担が、ご自分で思うよりも大きくなっているのではないかという心配です。

 実態はどうあれ、日本でも障害者を「施設から地域へ」というのがトレンドになっていますが、日本の場合、「施設から地域へ」戻す理由は経済的な問題の解決が先にあって、理屈は後からくっつけたような気がします。それにもまして「地域」とは言うものの、実態は負担を「家族」に負わせる場合が多いのではないでしょうか。なぜこんなふうに感じるかというと、ボランティアなどの助けを借りて障害者が一人暮らしできる地域もあるにはありますが、「施設から地域へ」のかけ声が聞こえ始めたときから、「地域」の主体となる多くのコミュニティの受け入れ体制は、整備が遅れたままに見えるからです。二階さんは、ご自身の負担を過度に大きなものとは感じておられないのですか? それなら良いのかもしれませんが、過度な負担は、結局、他のご家族にのし掛かってきます。

 4点目は息子さんの兄弟姉妹のことです。

 息子さんが成人されたということは、兄弟姉妹がもしいらっしゃったら、十分に大きくなっているでしょう。これは2点目や3点目のことと関連することですが、兄弟姉妹が息子さんの存在を気にかけるあまり、ご自分の人生を自由に思い描けなくなるのではと気にかかります。基本的にご家族の中の問題なのですが、これは日本に住む多くの障害者とその家族の問題でもあります。

 比較的、福祉が行き届き、障害者が暮らしやすい国であったとしても、国内にはさまざまな問題を抱えているものです。今でも先住民の問題があり、移民の問題もあるでしょう。第一、障害者はさまざまな「障害者独自の文化」を主張してきました――例えば視覚障害者は目に頼らない独自の文化、聴覚障害者は耳に頼らない独自の文化というふうにです。その中でどうあることが人権を尊重し、本当の意味で平等を実現した社会なのかを、二階さんが移住された地域の皆さんはいまだに試行錯誤をしているように、わたしには見えています。

 その中で、二階さんが書いて下さった「身体障害者の中にはボールも自分では持ち上げることができないものもいるのですが、それを身体的には健常な軽度知的障害者が手助けすることもあります。障害の種類は違っても、障害者としての仲間意識はあるようです」という人と人との触れ合い、最初に書いた「〈知的障害という才能〉を活かした社会の創造」を考える上でのヒントを与えて下さったような気がします。

 どうぞ息子さんとご自身のために、そしてご家族のために、より良い方策を見出して下さい。お願いします。

論座では、こちらの記事のような【反響】をふくめ、関連する様々な記事を公開しています。ぜひお読みください。
【二階こうじさんの反響の注】
(1):例えばT4作戦 https://ja.wikipedia.org/wiki/T4作戦
(2):子供の障害が原因と思われるもの22例/333例 多いと思う人もいるかもしれません。 https://luke.repo.nii.ac.jp