〈障害者〉と創る未来の景色を読んで
「論座」ということばに思い浮かべるのは、いろりを囲んで座り、語りあい、論じあう光景です。ゆったりと時間が流れるその場には、相手を「論破する」「言い負かす」ような論じ方は似合いません。互いの言葉に耳を傾け、相手を知ろう、なにがしかのことを学ぼうとする。そんな建設的な議論の場を、論座でもつくっていけたらと考えています。
そのための試みとして、論座で公開した論考に対する反響のうち、編集部員が心を動かされた文章や優れた論を、ご本人の了解を得たうえでご紹介しています。
こちらは、三谷雅純さんの連載「〈障害者〉と創る未来の景色」に対して、二階こうじさん(ペンネーム)が寄せてくださったものです。三谷さんの応答もあわせてご紹介しています。
読者のみなさまも、論の座に座り、論じあいませんか。info-ronza@asahi.com にメールでいただければ幸いです。(論座編集部)
二階こうじ(ペ ンネーム) 元大学教員。退職後縁があって、南半球の比較的福祉が行き届き障害者が暮らしやすい国に移住。
「〈障害者〉と創る未来の景色」を読ませていただきました。脳機能障害を起こされてから、いろいろ難儀をされていることと存じます。それにもかかわらず、活路を見出されている姿勢に感服いたします。
ところで、私の長男は現在22歳ですが3歳ですでに自閉症と診断され、現在に至っています。自閉症なのでコミュニケーションに障害あるうえ、知能も3-4才程度のままです。
私は年金生活者であり、細君が昼勤務しているため、週に何日かは終日この知的障害者と付き合っています。自分で考え決定することに問題があるため、結局一日中つきあうことになります。
それでも息子の場合は、きかんしゃトーマスなどの絵を数時間もかけて描いたり、子供番組を数時間かけてみているので、その時は目が離せます。(ユーチューブに、好きな単語を入力しそれを見ることができます)。他にできることを増やすため、最近は芝刈りを教えています。何とか庭の真ん中だけは刈ることができるようになりました。これでも我が息子は世話の焼けないほうで、知能の高いいわゆる高機能自閉症者は、社会にも出てゆく際に、そこで様々な障害にぶつかります。他の人と溶け込めずいさかいを起こすこともしばしばです。
私と息子のことはこのくらいにして、ここで一つ注目してほしいのは、障害者の中でも知的障害者は、はじめに書いたように程度の差こそあれ自分で考え決定することに問題があることです。人間活動の根底のところに問題があり、時には身体障害者からも見下されることもあります。しかし、一方では、どちらも社会的に厄介者とみられがちなことです。これはまさしくナチスの世界です。ナチスはユダヤ人だけでなく、身体・精神障害者を多数、抹殺したことが知られています(注1)。
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