見えない「制度的差別」と「文化的差別」をどう乗り越えるか
本当の障害者雇用の姿とは~大学の場合
三谷雅純 大学教員、霊長類学・人類学の研究者、障害当事者
差別が温存される理由~「制度的」「文化的」差別

NPO法人「ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ」が催した、視覚障害者とふれ合うオンライン授業。障害者の雇用確保という側面もある=2021年3月26日、佐賀県基山町宮浦
ここまで書いてみて、やはり、わたしは不思議でなりません。なぜ教育現場にはパターナリズム(父権主義)が根強く残っているのでしょうか。
「子どもに対して、あるいは若者に対して強い立場にいる教員が、弱い立場にいる子どもや若者を保護する」というのがパターナリズムです。少し聞いただけでは当たり前だという気がしてしまいます。一方は今から成長していく子どもであったり精神的に未熟な若者です。一方はそれなりに人生経験を積んだ教員です。保護するのが当然かもしれないという思いは自然な感覚でしょう。しかし、それでもなぜ教育現場にパターナリズムが存在するのかには疑問が残ります。
ヒューライツ大阪という組織が発行している「国際人権ひろば」という雑誌があります。主要な記事はウェブでも配信されています。その2021年11月号に、上智大学で文化心理学を教える出口真紀子さんが「マジョリティ側が陥りやすい『多様性』の罠」という文章を発表しています。
出口さんは「マイノリティへの差別が人権侵害の問題であるとか、マイノリティが経験する差別は制度・構造・歴史に基づいたものであるといった視点が限りなく少ない」と書いています。また「差別の問題を『情緒』や『気持ち』の問題として捉えることしかできない薄っぺらな想像力は、日本社会全体の問題であろう」ともお書きです。これだけでは何もことかよく分からない方が多いと思います。出口さんの文章に沿って解説を試みます。
まず心理学では「差別」という行為を三種類に分けるのだそうです。
一つは「直接的差別」です。これは一番分かりやすい差別です。例えば人種や民族、宗教や性的指向といった人の属性で、その人を脅迫したり、暴力を振るったりすることです。ヘイト・クライムとか憎悪犯罪と呼ばれているものが典型です。この直接的差別は子どもにも分かりやすく、教育現場でも「してはいけない悪いこと」として教えています。ですから、日本で教育を受けた多くの人は、差別を直接的差別と同一視しています。
二つ目は「制度的差別」
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