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障害者って働けないと思ってませんか!?

日本でも“障害者経営者”の後押しを

恩田聖敬 株式会社まんまる笑店 代表取締役社長

 35歳でJリーグFC岐阜の社長を務めるなど、恵まれた人生を送ってきた恩田聖敬さんは、ALSを発症したことによって視野や価値観や人生観が途方もなくひろがったといいます。恩田さんの連載「健常者+ALS患者の視座から社会を見たら」の3回目です。
 さまざまな体験を共有する場となることが、論座のシンカ(進化や深化)のひとつの方向性ではないかと考えています。読者のみなさまも、お互いの体験を共有しながら、ともに論じあいませんか。ご感想やご要望がありましたら、info-ronza@asahi.com までメールをお送りください。お待ちしています。

 「Nothing About us without us(我々のことを我々抜きで勝手に決めるな)」

 のっけから少々過激な表現ですが、これは2006年に国際連合で採択された『障害者権利条約』のスローガンです。スローガンの通り障害当事者の視点から作られたのが特徴的です。日本も国内法を整備して2014年に批准しました。つまりは障害者の基本的人権を世界のみならず、日本も認めたということです。その中で就労に関する記載があります。

第27条 仕事と雇用
 障害のある人の、仕事への権利を認め、あらゆる形態の雇用にかかる全ての事項に関して障害を理由とする差別を禁止する。障害のある人が、他の者と平等に公正で好ましい条件で雇用されるよう、差別や職場いじめから保護し、苦情に関する法的救済について保障する。さらに特に雇用されることが困難な人のためその個性や能力に応じて独自の自営業を営むことや、独自の起業家精神をも促進すること。公的部門において障害のある人を雇用すること。合理的配慮が障害のある人に提供されること。障害のある人が奴隷の状態や隷属状態に置かれないこと及び、他の者と平等に強制労働から保護されることを保証する。

 *要約をWikipediaから引用。全文は外務省のHPを参照 

 つまりは障害者の働く権利は国際的に保証されているのです。けれども日本はどうでしょう?

オランダ語で「我々のことを我々抜きで勝手に決めるな」という看板を掲げる車いすの女性=2020年3月8日、オランダ・アムステルダム/Shutterstock.com

FC岐阜社長を退任した理由の背景

 私はALSの進行によってFC岐阜社長退任を余儀なくされました。この時の絶望感は人生で一番と言っても過言ではありませんでした。FC岐阜社長という仕事は私にとってまさしく「天職」でした。私はALSに天職を奪われたのです。しかし私の人生は続きます。よって何とか仕事を続ける道を模索します。

 私の経済面を心配して県内企業から名誉職での採用のお話も幾つもありました。とてもありがたいお話ではあったのですが全て断りました。私のビジネスパーソンとしてのプライドだったのだと思います。私は思い切り不完全燃焼状態でした。退任の記者会見で「やり残したことはありますか?」の問いに、私は「やり残したことしかありません」と答えています。当時37歳、本当に仕事に対して未練しかなかったのです。

FC岐阜の社長を辞任した当時の筆者=2015年11月23日、岐阜市の長良川競技場

 ここでみなさんがご存知ないであろう制度の問題点について述べます。日本には労働者(雇用される側)が障害を持つ場合には、さまざまな公的支援制度があります。法定雇用率なども障害者が雇用されやすくする制度です。

 一方で障害者が経営者(社長・取締役など)の場合には、これらの公的支援制度はことごとく対象外となります。よってFC岐阜社長の時も公的支援は全く受けられず、私専属の補佐スタッフを会社の持ち出しで雇う必要がありました。もし私が労働者なら補佐スタッフの給与の一部が支給される給付金制度があります。私の退任の背景には、こういった会社(FC岐阜)に経済的負荷をかけているという負い目もありました。

 つまり日本においては「障害者経営者」を後押しする制度がないのです。私見ですが、そもそも「障害者経営者」の存在を全く想定していないように思えてなりません。しかし先に紹介した障害者権利条約には、起業家精神を促進するとあります。果たしてこの現状はあるべき姿なのでしょうか?

 話を戻します。FC岐阜社長退任後考え抜いて、まずブログ、Facebook、Twitterを始めました(のちにYouTubeチャンネルも開設)。私は元来新しい技術に興味がない昭和人間です。人生においてポケベル、PHSは持たず、就職活動のために24歳でようやく携帯電話を持ったような人間です。2016年当時さすがにスマホになってましたが、せいぜいゲームくらいでSNSには無縁でした。おそらくALSになっていなければ今も無縁です(笑)。

 SNSを始めたのは社会と繋がりたい一心からでした。仕事を辞めれば外出機会が減るのは明白でした。家に居ながらもALSになっても私は私であると示したかったのです。FC岐阜サポーターやスポンサー様とも繋がりを持ち続けたかったのです。そして起業準備にかかります。

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