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何故私はここまで強くALSに立ち向かえるのか?

私を変えた人たちとその出会い

恩田聖敬 株式会社まんまる笑店 代表取締役社長

 35歳でJリーグFC岐阜の社長を務めるなど、恵まれた人生を送ってきた恩田聖敬さんは、ALSを発症したことによって視野や価値観や人生観が途方もなくひろがったといいます。恩田さんの連載「健常者+ALS患者の視座から社会を見たら」の4回目です。
 さまざまな体験を共有する場となることが、論座のシンカ(進化や深化)のひとつの方向性ではないかと考えています。読者のみなさまも、お互いの体験を共有しながら、ともに論じあいませんか。ご感想やご要望がありましたら、info-ronza@asahi.com までメールをお送りください。お待ちしています。

 私が他人から一番よく聞かれる質問は「あなたはどうしてそんなに強いの?」です。ですが、私自身自分が強いとは全く思っていません。私は何も特別ではありません。しかしリクエストは非常に多いので、今回は周りが感じる私の「強さ」について掘り下げて言葉にする試みに挑戦します。よろしくお願い致します。

 まず、私に影響を与えた人について考えてみます。

父に教わった「自分の軸」の大切さ

 私の根底の価値観を形作ったのは間違いなく父の教えです。人は謙虚でなければならない、人様に迷惑をかけるな、好きな仕事を選べる人間になれ、などの生き方をとにかく叩き込まれました。父は自分の生き様に誇りを持っています。田舎の長男に生まれ家を継ぐ宿命を受け入れた身だからこそ、次男に生まれた私には自由に生きる力を身につけて欲しかったのだと思います。

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 また「よそはよそ! うちはうち!」や「時代は変わっても真実は一つ!」が父の口癖でした。そういった社会に流されない絶対的な信念を持つ父を間近で見て育ったことで、自分の軸を持つことの大切さは物心ついた時点で実感していたと思います。後に私は、おそらく父の想像を超える自由な人生を歩むことになります。そして好きな仕事を選ぶために努力は惜しみませんでした。

 第1回で書いた私の波瀾万丈に見える人生は、「よそはよそ!うちはうち!」の体現でした。社会的価値基準よりとにかく自分の価値観優先で生きてきました。また明らかに昭和気質なのも間違いなく父の影響です。実際には時代の変化に伴い真実は一つではなくなりましたが、そのあたりは父も変化を理解しているようです(笑)。

 もう一つ、私は父に褒められた記憶がありません。近年は褒めて伸ばす教育が主流だと思いますが、私はひたすら父に「まだまだやな!」と言われ続けました。これは私の反骨精神すなわち負けず嫌い気質を育むことにつながりました。現在に至るまで勝負事は絶対勝ちにこだわります。また父に褒められないことで現状に満足する感覚がなかったのも幸運だったと思います。現状に満足しないということは、更なる高みに向かって努力出来るということです。よって私は褒められ慣れてません。褒められると気恥ずかしくなります。強いと言われてもそんな風に思えません。これが私の大きな思考メカニズムです。未だ父は「越えるべき壁」です。

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