逮捕後に実名切り替え パナマ文書事件とは対照的な対応
2022年11月08日
前回は朝日新聞社、読売新聞社東京本社、毎日新聞社、日本経済新聞社の五輪スポンサー新聞4社の過去の国際的な政治経済事件の報道傾向について量的な調査を含めて検討してきた。
租税回避地での資金洗浄犯罪の淵源となった1991年の国際商業信用銀行(BCCI)事件がきっかけに、国内外の報道メディアが国際的な金融事件に対する独自調査報道の体制を整えていった。また2016年に発覚した租税回避地を舞台とした各国の政財界要人の不正蓄財を暴いたパナマ文書事件では、世界各地に散在するジャーナリストや専門家の有志が協働してこの問題に取り組む調査報道のスタイルを確立していった。
同様に、2020年夏季五輪大会の招致をめぐって、国際オリンピック委員会(IOC)委員の買収疑惑でも英ガーディアン紙や仏ルモンド紙と国内月刊誌『FACTA』が協働し国際的な調査報道を実現した。この五輪招致疑惑を含め、国内外の報道メディアは捜査当局からの捜査情報といった質的な調査報道と大量のデータを収集解析する量的な調査報道をかけ合わせて国際的な政治経済事件に関わることが可能になった。
また、BCCI事件とパナマ文書事件ではジャーナリズム倫理の基本である実名報道が徹底された。報道記事の正確性と信頼性を担保することに加え、権力の暴走を未然に防ぎ、市民社会に警笛を鳴らす「社会の木鐸」という文脈での「疑わしきを白日の下にさらす」実名報道は、報道メディアに対する社会的要請である。BCCI事件とパナマ文書事件では、五輪スポンサー新聞社を含めて国内報道メディアはこの実名報道の原則を貫徹した。
2021年夏に開催された東京五輪のスポンサー選定をめぐり、東京地検特捜部は2022年8月17日、東京五輪大会組織委員会(大会組織委)の元理事の高橋治之氏を受託収賄容疑で逮捕した。
2022年10月末時点までに明るみに出た東京五輪にまつわる高橋氏の問題は大きく分けて2点ある。一つが先に述べた東京五輪スポンサー選定の疑惑・事件である1,2,3,4。もう一つが、フランス検察当局が捜査を進める東京五輪招致段階での買収疑惑(以下、五輪招致疑惑)である5,6。いずれも現時点(2022年10月末現在)で現在進行形だが、国際的な政治経済事件が後者の五輪招致疑惑である。報道メディアでは通常、逮捕、あるいは起訴を境にしてその前を「疑惑」、その後を「事件」と表記する。このため、本稿では高橋氏の逮捕前を「五輪スポンサー選定疑惑」、逮捕後を「五輪スポンサー選定事件」と表記する。
そこで今回は五輪スポンサー新聞4社の五輪招致疑惑に関する実名報道の傾向を定量的に検証する。
このため、新聞社ぞれぞれの記事アーカイブを利用して、「高橋治之」というキーワード検索を実施した。検索対象は各新聞社本紙の朝刊と夕刊に掲載された記事の見出しと本文、検索期間は記事アーカイブ開始時から高橋氏逮捕翌日の2022年8月18日までとした。ここで、各新聞社の大会組織委との利害関係と取材報道の主体性に着目し、各新聞社の五輪スポンサー契約終了時点と大会組織委の解散時点、そして高橋氏逮捕時点に焦点を当てた。
五輪スポンサー新聞4社のスポンサー契約終了は2021年12月31日、大会組織委が解散したのは2022年6月30日、そして高橋氏逮捕は2022年8月17日である7,8。これらに焦点を当てて、調査期間を以下に設定した。
まず、五輪スポンサー新聞4社と大会組織委とのスポンサー契約以前(2016年1月21日までを第1期、スポンサー契約期間中(2016年1月22日〜21年12月31日)を第2期、スポンサー契約終了後から大会組織委解散まで(2022年1月1日〜2022年6月30日)を第3期、大会組織委解散後から高橋氏逮捕当日まで(2022年7月1日〜2022年8月17日)を第4期、高橋氏逮捕翌日(2022年8月18日)を第5期とした。
第1期では五輪スポンサー新聞4社と大会組織委が直接的な利害関係はなかった。また、五輪招致疑惑や五輪スポンサー事件が発覚前の期間である。第2期は大会組織委との間に利害関係があるため、スポンサー新聞4社は大会組織委を批判しにくい時期だと考えられる。第3期をスポンサー契約終了時から大会組織委の解散時までとしたのは、契約終了後であっても間接的な利害関係が残存する可能性があるためである。第2期と同様、スポンサー新聞4社は大会組織委を批判しにくい時期だと考えられる。
第4期は大会組織委解散後である。この時期は取材対象である大会組織委自体が消滅しており、その内部文書の廃棄・隠蔽の可能性があり取材が困難になる。同時に、スポンサー新聞4社にとっては利害関係があった大会組織委が存在しないため、大会組織委への批判もしやすくなる。
第5期は高橋氏逮捕翌日のみに設定した。これは、松本サリン事件報道など過去の事例からすると、逮捕を境に容疑者がスケープゴートにされ、真偽定かでない情報も含めた集団的過熱報道に陥り、大量の記事が出稿されやすいためである。本稿ではこれ以降の期間の出稿量について調査対象外としたものの、一見しただけでも実際に大量の記事が出稿されている。
「高橋治之」を検索した結果、朝日新聞は合計36本、読売新聞は合計38本、毎日新聞は合計40本、そして日経新聞は合計37本、4紙合計で151本であった(表1)。
このうち、第1期の記事出稿数と全体との割合は朝日新聞が計6本で16.7%、読売新聞は計6本で15.8%、毎日新聞が計2本で5.0%、日経新聞が計2本で5.4%、そして4紙合計が16本で10.6%であった。これらの主な記事は高橋氏の母親の死亡告知と、高橋氏の大会組織委理事就任に関する内容であった。
また、第1期は五輪招致疑惑や東京五輪スポンサー選定疑惑は発生していたがその発覚前である。これら五輪招致疑惑と五輪スポンサー選定疑惑に関連した高橋氏の実名入り記事はいずれの新聞にもなかった。
同様に第2期では、朝日新聞が計9本で25.0%、読売新聞が計6本で15.8%、毎日新聞が計12本で30.0%、日経新聞が計6本で16.2%、そして4紙合計が33本で21.9%であった。
この期間の高橋氏の主な実名報道は2020年夏に開催予定だった東京五輪の延期問題についてであった。2020年3月10日付けの米ウォールストリート・ジャーナル紙が東京五輪延期の可能性について高橋氏のインタビュー記事を掲載したのをきっかけに、五輪スポンサー新聞4社を含め国内報道メディア各社がこれを追う記事を相次いで掲載したのである。
また、この期間中の2020年3月30日、五輪招致疑惑について他の国内外の報道メディアに先駆けて英ロイター通信が高橋氏の実名報道に踏み切った。この記事では
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