メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

司法の公正を疑わせる〈裁判官・検事〉の交流人事

裁判長が行政訴訟「被告」トップへ、直ちに廃止を求める

児玉晃一 弁護士

裁判長が「被告側」責任者へ

 もし、サッカーの試合中、ハーフタイムに主審が相手チームの監督に就任してしまったらどうだろう。馬鹿馬鹿しくて試合など続行できない。小説で、こんな展開を考えたら、担当編集者に一言、「あり得ない」と却下されるだろう。

 だが、現実の世界でこのようなことが起きてしまった。正に事実は小説より奇なりである。

 2022年9月1日付で、前日まで国や地方公共団体相手の訴訟(行政訴訟)を専門的に担当する東京地裁民事2部の部総括判事(裁判長)であった春名茂氏が、法務省訟務局長に就任したのである。

拡大法務省の入る庁舎(左)と東京地裁・東京高裁の建物=いずれも東京都千代田区
 訟務局長職は、行政訟務事務に係る国の責任者である。前日まで行政事件の裁判長だった人物を、翌日からは、同じ行政事件について、被告である国側の責任者に就かせた、仰天人事が行われたのであった。

 草サッカーであれば、馬鹿馬鹿しいといって試合を投げ出しても良いかもしれないが、行政訴訟は原告の人生がかかった裁判であることも少なくない。

 筆者の担当している事件で言えば、本国に帰国したら殺されてしまうかもしれない難民不認定を争う裁判だったり、日本で生まれ育って15年以上もたつ子どもが親に在留資格がなかったが故に親と一緒に一度も行ったことがない国籍のある国への送還を命じられるような事件である。他には、原発設置許可の取消を争うなど、多くの住民の生活に多大な影響を及ぼすような訴訟が、行政部では審理されている。草サッカーのように投げ出すわけにはいかない、一大事なのである。

 過去にも、東京地方裁判所行政部の部総括判事が訟務局長になった例は2件ある。2009年まで東京地裁民事3部部総括判事だった定塚誠氏が2015年4月に、2016年9月まで同じ東京地裁民事3部部総括判事だった舘内比佐志氏が別の部の部総括判事を経て10か月後に2017年7月に、それぞれ訟務局長に就任したことはあった。

 定塚誠氏は、2015年に国が当時の翁長雄志沖縄県知事を相手取って起こした辺野古埋め立て代執行訴訟で、国側の代理人として訟務局長自ら福岡高裁那覇支部に出廷し、訴訟活動を行った。訟務局長自身が法廷に立つのは極めて異例である。

 そして、同訴訟を担当した多見谷寿郎裁判長と定塚誠氏の関係について、国会でも、

 「定塚訟務局長と多見谷裁判長は、平成6年7月から7年3月までの8か月、共に、東京地裁判事補として、さらに26年4月から8月までの4か月、東京高裁判事として過ごしています」

 「辺野古訴訟は、監督安倍総理、脚本定塚訟務局長、主演多見谷裁判長、助演蛭川判事というキャスティングで行われたお芝居だったのではないでしょうか」(2017年1月25日参議院本会議における風間直樹議員の質問)

と指摘され、司法の公正さに疑問が投げかけられていた。


筆者

児玉晃一

児玉晃一(こだま・こういち) 弁護士

1966年生まれ。早稲田大学卒業。1994年弁護士登録。2009年からマイルストーン総合法律事務所(渋谷区代々木上原所在)代表弁護士。1995年から入管収容問題、難民問題に取り組む。移民政策学会元共同代表、元事務局長。2014年からは”全件収容主義と闘う弁護士の会 「ハマースミスの誓い」”代表。2021年春の通常国会衆議院法務委員会では改定入管法に反対の立場で参考人として意見を述べた。著書・論文に『難民判例集』(2004年 現代人文社)、『「全件収容主義」は誤りである』(2009年 『移民政策研究』創刊号)、「恣意的拘禁と入管収容」(法学セミナー 2020年2月号 2020 日本評論社)などがある。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

児玉晃一の記事

もっと見る