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【がんと向き合う⑤】コロナ禍、家族が消えた病院は

充実の「緩和ケア」に悩みも、2人部屋「隣人」との交流

隈元信一 ジャーナリスト

患者本位、病院の総合的な対応

 私は昨年(2021年)8月31日、東京都大田区の大森赤十字病院に入院し、9月9日に同じ大田区内の東邦大学医療センター大森病院に転院した。10月21日に退院するまで、52日間の入院生活を送ったことになる。

 入院は、学生時代に胆石で2週間くらい経験して以来だった。朝日新聞の連載記事「読むクリニック」の取材で全国各地の病院を訪ね歩いていたころからでも、35年くらい過ぎている。「病院も昔とはずいぶん変わったなあ」というのが、正直な感想だ。

 変化のほとんどは、良い方向を向いているといっていい。何より、病院側が患者とその家族のことを最優先に考えようとしてくれていることが伝わってくる。

 診療科の横の連携も、とても良くなった。私は泌尿器科で入院したのだが、長く寝ていてお尻のあたりに褥瘡(じょくそう・とこずれ)ができると皮膚科の医師がベッド脇まで来てくれるし、リハビリのことは整形外科医や理学療法士が面倒を見てくれる。痛み緩和のために放射線を照射するとき、放射線科のチームにいかにお世話になったかはすでに触れた通りだ。

 今回は東邦大学医療センター大森病院に絞って、がん病棟の入院生活の変化、特に新型コロナウイルスが猛威を振るい始めてからの変化について報告したい。

拡大東邦大学医療センター大森病院=東京都大田区
 最もありがたかったのは、緩和ケアチームの存在だ。

 平日はほぼ毎日、ベッド脇まで来て「お変わりないですか?」「困ったことはありませんか?」と、まるで御用聞きのように問いかけてくれる。研修医や医学生らを含めて大勢でやってくるから、最初は驚いた。転院2日目の9月10日の日記には「緩和ケアチーム来。とにかく大勢で来て、いろいろ聞かれて疲れた」と書いている。疲れはしても、ありがたいことに変わりはない。

 緩和ケアというと、末期医療と同じだと思っている人が多いかもしれない。ホスピスを連想する方もおられよう。しかし、それは間違いだ。がんで入院すると、すぐに緩和ケアのチームがやってくることを、私も今回初めて知った。「痛みやつらいことは我慢しないで相談しましょう」。緩和ケア科を紹介するパンフレットの表紙には、そう書いてある。「緩和ケアとは」の説明はこんなふうだ。

 「がんなどの病気に伴う痛みや息苦しさなどのからだのつらさ、不安などの気持ちのつらさを和らげ、患者さんやご家族がより豊かな人生を送るよう支えていくケアです。病気の進み具合にかかわらず、いつでも緩和ケアを受けることができます」

 緩和ケアチームには、各科の医師・看護師のほか、薬剤師、管理栄養士、理学療法士、歯科衛生士、臨床心理士、ソーシャルワーカーら、様々な専門職のメンバーが集っている。

 例えば緩和ケアチームの回診のときに私が「夜、眠れません」と訴えると「誘眠剤を使いますか?」と提案してくる。「はい」と答えると、主治医を通して薬が処方される。

 昨年9月「余命3カ月から半年」と宣告されたジャーナリストの連載【がんと向き合う】。これまでの回は以下でお読みいただけます。
①病は不意打ちでやってきた
②激痛に耐えながら受けた余命宣告
③「がんばれ」は「がんを張り倒せ」だ
④「普通」ではないがん、治療の選択肢は少なく

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筆者

隈元信一

隈元信一(くまもと・しんいち) ジャーナリスト

1953年鹿児島県種子島生まれ。79年から朝日新聞記者。前橋・青森支局、東京本社学芸部、高麗大学(韓国)客員副教授などを経て、論説委員、編集委員。2015年青森県むつ支局長となり17年退社。日本を含むアジア文化・メディアを主なテーマに取材執筆してきた。取材班代表を務めた連載「原発とメディア」で13年科学ジャーナリスト大賞。著書に『永六輔』 (平凡社新書)、『探訪 ローカル番組の作り手たち』(はる書房)。共著に『原発とメディア2──3.11責任のありか』『歴史は生きている──東アジアの近現代がわかる10のテーマ』(以上、朝日新聞出版)、『放送十五講』(学文社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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