Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【9】
2022年11月28日
この連載「Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー」では、第1回「西村博之とジム・ワトキンスの2ちゃんねる骨肉の争い/上」と第2回「西村博之とジム・ワトキンスの2ちゃんねる骨肉の争い/下」で、西村博之(ひろゆき)氏が敗北したジム・ワトキンス氏との裁判、通称「2ちゃんねる乗っ取り裁判」について書いたが、実は両氏には、最高裁で決着がついたこの裁判とは別にもうひとつ争っている裁判がある。その裁判にはこの二人の関係を極めてよく知る人物が登場する。
2ちゃんねると西村氏を考えるうえで、重要な証人になるであろうこの人物に会うため、私は北海道に飛んだ。
その男の名前は、「FOX」という。
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Qアノンの出自を明らかにするために、札幌は外すことができない。Qアノンの正体は何かを探る米国のビデオ・オン・デマンド・サービス「HBO MAX」のドキュメンタリー番組『Qアノンの正体 / Q: INTO THE STORM』(カレン・ホーバック監督)は、日本でも放送されて話題を呼んだが、ここでもやはり札幌が重要な舞台になっている。
このドキュメンタリーによれば、Qアノンとは、すでに触れてきたジム・ワトキンス氏の息子であるロン・ワトキンス氏ではないかということだ。札幌からマニラ、そしてアメリカと追いかけ、最終的にはアメリカ連邦議事堂のあの襲撃事件の現場にたどりつくという流れになっている。それは、これまでの本連載で書いてきたとおりである。
カレン・ホーバック氏は、ロン・ワトキンス氏、日本の2ちゃんねるの影響を強く受け、その関係者によって運営されている匿名掲示板8kun(8chan)に密着取材し、情況証拠を積み上げていく。最終的には、ロン氏の不用意なひとことが決め手になって、ロン氏がQアノンの匿名投稿者である「名無しのQ(Q Anoymous)」ではないかと思わせる結末となっている。
ただ、私は個人的にはロン・ワトキンス=「名無しのQ」説には賛成し切れないところがある。この「ロン・ワトキンス犯人説」は、朝日新聞の藤原学思記者も『Qを追う 陰謀論集団の正体』(朝日新聞出版)で踏襲しているが、本当にそうなのだろうか。
ドキュメンタリーに話を戻す。
これを見て不思議なのは、ロン・ワトキンス氏がどうして札幌に在住しているのかということが、ほとんど説明されていない点だ。
なぜロン・ワトキンス氏が札幌にいるのか、答えは簡単である。2ちゃんねるは、開設以来、そして西村氏が保有する商標権の問題で「5ちゃんねる」と改名された現在も、実質的に札幌で運営されていたからである。
私は札幌を訪ねて、ドキュメンタリーで取り上げられた場所をひとつひとつ確認していった。ロン・ワトキンス氏の札幌郊外の自宅も何度か訪ねてみた。玄関のチャイムを押してみるが、反応はない。日をあらためて何度か行ってみたが、同様だった。庭には、犬が一匹いた。ということは、誰かが住んでいるのは間違いないのにも関わらずである。
その半年後に、毎日新聞が接触に成功しているが、コメントは得られなかったようだ(参照)。
ロン氏が札幌にいるのは、2ちゃんねる(現「5ちゃんねる」)のビジネスを監視するためだと、フィリピンのマニラでワトキンス親子と共に匿名掲示板8kunを運営していたフレデリック・ブレンナン氏は証言する。「日本人は信用できない」と公言していたジム氏が、マニラを拠点とする自身の代わりに送り込んだのが、ロン氏だということだ。
ロン氏の自宅からほど近いところに、札幌の有名な温泉街がある。さらにそこから先にも有名な露天風呂がある。ジム氏と中尾嘉宏氏(中尾氏については後半で詳述する)、そして西村氏は、2ちゃんねるのサーバー代金を支払う取り決めを「温泉で日本酒を呑みながら決めた」という。きっとその温泉とはそこであろう。
実は、2ちゃんねるは無料サーバーを転々と渡り歩く“ゲリラサイト”から、中尾氏の地元である札幌を拠点にして、インフラとビジネススキームを整備した。これは西村氏の発言だけを追ってきた人たちには見えにくい事実だ。
参照:「西村博之とジム・ワトキンスの2ちゃんねる骨肉の争い/上」、「西村博之とジム・ワトキンスの2ちゃんねる骨肉の争い/下」
札幌の中心街、官公庁や北海道大学のキャンパスがならぶエリアに、2ちゃんねるビジネスを支えてきたオフィスのひとつがある。訪れてみると、ビルの郵便受けのひとつには2ちゃんねる(現「5ちゃんねる」)と関係があると思しき会社の名前が、テプラでいくつも貼られている。
官公庁街なので、すぐ隣のブロックに法務局があった。その会社名をメモして、そのまま横断歩道を渡って法務局で登記簿を入手すると、やはり役員名簿には5ちゃんねる関係者が並んでいた。
2ちゃんねるは、ジム・ワトキンス氏が「乗っ取り」をして、商標上の理由から「5ちゃんねる」となった。その後、2ちゃんねるを長らく支えてきた関係者も分裂状態になった。西村氏のシンパで、ジム・ワトキンス氏とビジネス上の利害が薄い人たちは、追放された西村が立ち上げた、2ちゃんねるの投稿データをそのまま反映させる、いわばミラーサイト「2ch.sc」に活路を見出いだそうとした。
しかし、これは全くうまくいかなかった。肝心のユーザーが、西村博之氏の2ch.scに付いていかなかったからだ。連載で以前に触れたが、西村氏はそれまで「2ちゃんねるは譲渡した」と公言していた。にもかかわらず、突如、2ちゃんねるがジム氏によって乗っ取られたと、所有権を主張しだしたことに不信感を抱いたからである。
同時に、2ちゃんねるファンは、西村氏が所得隠しと訴訟リスク回避のためにシンガポールにペーパーカンパニーをつくり、2ちゃんねるを譲渡したかのように見せかけているという囁かれていた疑惑が事実だったことを知ったのである。
そしてユーザーは西村氏を見放した。根強かった2ちゃんねるファン、「2ちゃんねらー」らが、ついに西村氏を見限ったのだ。
この時、それ以外の2ちゃんねるビジネスに密接な利害関係がある人たちは、おおよそジム・ワトキンス氏の側についたが、この人脈が札幌に集中していた。先述した中尾嘉宏氏もその一人だった。
振り返ってみよう。2ちゃんねるは1999年に開設してからすぐアングラサイトとしてメジャーになった。日に日に激増するトラフィックに音を上げ出した西村氏は、サーバーを維持するために、様々な手口を使って急場をしのいでいた。
そのやり方がまた西村氏らしい。いわく、「当時存在した世界中のcgiが設置出来るサイトに前もってアカウントを作っておいて、止められたら移動」していたと。要するに、サーバーがアクセス数過多で次々と利用停止になるため、サイトが止められたら他に移管するという“遊牧民”のようなことを繰り返してきたのである。もちろん、無料のサイトである。西村氏本人は自慢げに語っているが、このようなアングラサイトの出自が自慢するようなことかどうか、なんともはやである(参照)。
当然ながら、これは長くは続かなかった。さらに、個人情報を掲載して削除されることがない当時の2ちゃんねるは、サーバー会社からも目をつけられ、取引停止にもなることがあったという。
その西村氏に手を差し伸べたのが中尾氏だった。2000年1月のことである。
当時、札幌でホスティングサービスを仕事にしていた中尾氏は、2ちゃんねるユーザーの一人だった。サーバーを次々と渡り歩いた末に行き詰まった西村氏はある日、「いいサーバー会社はないか」と2ちゃんねるに投稿した。中尾氏はそれを読んだ。
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