Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【10】
2022年12月05日
この連載「Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー」ではこれまで、西村博之(ひろゆき)氏がジム・ワトキンス氏と争って敗れた裁判、通称「2ちゃんねる乗っ取り裁判」について書いたが(参照:第1回「西村博之とジム・ワトキンスの2ちゃんねる骨肉の争い/上」、第2回「西村博之とジム・ワトキンスの2ちゃんねる骨肉の争い/下」)、実は両氏にはこの裁判とは別にもうひとつ争っている裁判がある。その裁判には、この二人の関係を極めてよく知るある人物が登場する。
2ちゃんねるに深く関わり、西村氏を2ちゃんねるとの関係を考えるうえで重要な証人になるであろうこの人物、「FOX」こと中尾嘉宏氏を探して北海道に飛んだ私は、札幌郊外のマンションでついに中尾氏と面会することができた。
西村氏とジム・ワトキンスとの裁判やジム氏との関係などに関する質問にはぐらかしながら答える中尾氏は、「アメリカではQアノンというムーブメントと騒動が起きていて、ジム氏の息子のロン・ワトキンス氏がその正体だと言われている。少なくとも密接に関わっていることは間違いなそうだが……」にも、「Qアノンなど今、初めて聞いた」とにべもなかった。
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ただ、ロン氏については、子供の時からよく知っている、と懐かしそうに話してくれた。
「いたずらっ子だったし、愛嬌(あいきょう)のある子供だった。いつだか空港の荷物検査で、大人の列に後ろから近づいて、『バン!』と大きな爆発する音を真似したら、そいつらがひっくりかえらんばかりに驚いてね。あの時は面白かった」。この頃のロン氏に、おそらく西村氏も会っているのだろう。
一方で、当時、札幌にいると思われたロン氏の行方に関しては、知らないの一点張り。私が把握していたロン氏の自宅の所在地の名前を出しても、答えは変わらない。そんなことはないはずだが……
話題を変えた。
2ちゃんねるはかつて、大規模な家宅捜査を受けたことがある(前述)。その際に中尾氏の会社も対象となった。この時、他に家宅捜査を受けたのは、未来検索ブラジル社と西村氏の自宅だけ。中尾氏がいかに密接に2ちゃんねるの運営に携わってきたかがうかがえる。「ありゃ大変だったよ」と、この件については、面白おかしく語ってくれた。
家宅捜査の原因となった2ちゃんねるの削除対応と、それを巡って西村氏が数々の裁判で敗訴してきたことについて、中尾氏の関わり合いを聞くと、削除業務には中尾氏は関わっていないとのことだった。もっぱらボランティアがやっていることで、その業務は西村氏の直轄だったようだ。しかし、こうも言った。
「だからオレは言ったんだ。消してほしいっていうのだから、消してやればいいんだって。なにを(西村氏が)強情になっていたのか、オレにはさっぱりわからんよ」
私も同意見である。中尾氏が家宅捜査された原因となったのも、警察からの麻薬取引の削除依頼を無視したことから始まる。依頼の無視が麻薬取引をほう助するものとみなされたからだ。削除してほしいという要望に、多くのサイトがそうするように素直に対応していれば、西村氏の数十億円にのぼるという賠償命令もなかったことだろう。
とはいえ、西村氏の2ちゃんねるはそうした非合法性とアングラさが売りだった。とすれば、ひとつのマーケティングと考えることもできるだろう。それについて中尾氏は次のように語った。
「それ(削除しないこと)をアドバンテージだと思ったんだよな。消してほしい人がいるなら消せばいい。でもそんなのに従うような人間じゃないんだよな。
私はそれ(削除業務)は担当ではなかったから口はださなかった。それなのに家宅捜査とかあって、巻き込まれてさ(笑)。そんなところに2ちゃんねるのアドバンテージはないんだよ、それは違うだろうと、いつも思っていたよ。サイトの優位性というのは、ユーザーが使ってどれだけ便利かというところなんだよ」
2ちゃんねるの「被害者無視の投稿削除方針」は、今でいう炎上商法だった。どれだけアングラであるか。それが売りだったのである。そして、裁判の判決すらも無視して、賠償金を踏み倒す無法ぶりが、初期のネットユーザーの思惑に一致した。いわばネット空間の海賊たちのユートピアを、西村氏はつくりあげたのだ。
前回「苦境に陥った2ちゃんねるのひろゆき氏に手を差し伸べた『FOX』という男」に登場した、2ちゃんねるの開発事情に詳しい古川健介氏(ハンドルネームは「けんすう」)の証言をもう少し引用してみよう。
「(西村氏が)スクリプトを書いたかどうかはあまり本質ではなくて・・・。というのも、2chみたいな匿名のスレッドフロート式掲示板、「Perlを学ぼう」みたいな本を一冊読むだけでも当時作れる水準なんですよね。
なので、プログラムを書いたかどうかは結構どうでもいい。2000年初頭くらいには、100以上の巨大匿名掲示板群があり、システムもさほど違いがなかったんですね。
で、2chだけがなぜ突出し続けたかというと、『人が人を呼ぶ』という状態に持っていったというのと、運用の巧みさです。
ひろゆきさんは2chの方針、運用において、ものすごい才覚を発揮してました。
(中略)2chの運営の何が優位だったかというと「極端なところでバランスを取る」選択ができたから。
あなたは死ねと言われますが、死ねという権利もあります、というところでバランスをとってたんですね。
まともな掲示板運営者だと、なかなかこれができない。『よい運営をしよう』となるので、不快な情報や、問題のある投稿は削除しようとしちゃう。
しかし、それだと削除の判断が、中央集権になってしまうんですね。2chみたいに極端なところでバランスをとる『だいたいの発言がOK』になってしまうので、削除の対応が簡単になるので、削除人というボランティアシステムで回るのです。
管理リスクとして『訴えられまくる』というのがあるけど、それを許容できる個人はほとんどいない」(参照)
西村氏が技術的にさほどのレベルにないというのは、訴訟相手のジム・ワトキンスに「技術知識は時代遅れでついていけなかった」に言われているほか、けんすう氏の発言でも裏付けられる。しかし、2ちゃんねるが時代を席巻したのは、西村氏の才覚によるものと古川氏はいう。
だが、その「才覚」とは何かといえば、「だいたいの発言がOK」という、いわば無法地帯をつくることだった。そして西村氏は、その法的リスクの裏をかいた。つまり、所得を隠せば賠償金をいくら請求されても関係がない。逃げ切れたものが勝ちということだ。
こんなことは他の人にはできない。こんな厚顔無恥なことを笑ってやりきれる人はいない。これが2ちゃんねるのアドバンテージであり、コア・コンピタンスだったわけである。なんともな話である。
西村氏につけられる肩書に「ニコニコ動画創設者」というのがある。この肩書で、あたかも西村氏が開発に携わったかのように世間では受け取られているが、実際は開発にはほとんど関わっていない。動画投稿コンテンツの画面に字幕投稿を表示するというニコニコ動画のコンセプトは、もともとユビキタスエンターテインメント社の布留川英一氏がアイディアを持ち込み、ドワンゴに在籍していた天才プログラマーと呼ばれた戀塚昭彦氏がプロトタイプをつくりあげた企画である。
当時、西村氏の盟友だった竹中直純氏が、国産の検索エンジンをつくるとして立ち上げた未来検索ブラジルは、2ちゃんねるビジネスのフロント企業となっていたが、この会社が携帯サイトビジネスで躍進していたドワンゴ社に、国産検索エンジン企画の共同開発をもちかけた。その頃に、検索エンジンの仕事とは別に、逆にドワンゴから持ちかけられたのが、すでにプロトタイプが出来上がっていた「ニコニコ動画」である。
戀塚氏は、ニコニコ動画の開発経緯について数多くの場所で語っているが、そこには西村博之氏の名前はほとんど出てこない。出てきても、こんなエピソードだ。
「『2ちゃんねるから(ニコニコ動画に)人を集めたい』ということで,ひろゆきと打ち合わせをした。正式サービス名は『ニワンゴビデオ』にするはずだったが,当初は様子見のために,隠してやることにした。だからひろゆきが命名した『ニコニコ動画(仮)』の『(仮)』は,本当に仮のつもりだった」(戀塚氏)。(参照)
ドワンゴ社は、いわば広告宣伝役として、また2ちゃんねるの莫大なユーザーを引き連れてくるというマーケティング的なメリットを考えて、西村氏がつくりあげたとブランディングしたのである。初期のニコニコ動画は、著作権がグレーなところもあったため、海賊サイトともいえる2ちゃんねるのオーナーだった西村氏にピッタリだった。これが、西村氏の肩書についている「ニコニコ動画創設者」の実際のところである。
西村氏の著作にならっていえば、まさに「1%の努力」である。その後、西村氏は運営面で意見が対立し、さらには前述のとおり脱税や麻薬幇助事件で家宅捜査などをうけるなかで、詰め腹を切らされるように、ドワンゴ社と共同出資した会社、ニワンゴの取締役を辞任することになった。
話を中尾氏に戻そう。私は、北海道大学出身というネット情報は本当かと聞いた。北大出身は正しいとのこと。北大の縁から札幌の2ちゃんねる人脈のビジネスが始まったのだろう。中尾氏の周辺には、北海道で小さな会社を経営する一匹狼のような人物が多い。
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