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ネット空間の海賊のユートピアをつくったひろゆき氏の厚顔無恥な「才覚」

Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【10】

清義明 ルポライター

非合法性とアングラさを売りにする炎上商法

 とはいえ、西村氏の2ちゃんねるはそうした非合法性とアングラさが売りだった。とすれば、ひとつのマーケティングと考えることもできるだろう。それについて中尾氏は次のように語った。

「それ(削除しないこと)をアドバンテージだと思ったんだよな。消してほしい人がいるなら消せばいい。でもそんなのに従うような人間じゃないんだよな。
 私はそれ(削除業務)は担当ではなかったから口はださなかった。それなのに家宅捜査とかあって、巻き込まれてさ(笑)。そんなところに2ちゃんねるのアドバンテージはないんだよ、それは違うだろうと、いつも思っていたよ。サイトの優位性というのは、ユーザーが使ってどれだけ便利かというところなんだよ」

 2ちゃんねるの「被害者無視の投稿削除方針」は、今でいう炎上商法だった。どれだけアングラであるか。それが売りだったのである。そして、裁判の判決すらも無視して、賠償金を踏み倒す無法ぶりが、初期のネットユーザーの思惑に一致した。いわばネット空間の海賊たちのユートピアを、西村氏はつくりあげたのだ。

拡大「2ちゃんねる」を管理・運営する西村博之さん=2006年7月7日

厚顔無恥なことを笑ってやりきる

 前回「苦境に陥った2ちゃんねるのひろゆき氏に手を差し伸べた『FOX』という男」に登場した、2ちゃんねるの開発事情に詳しい古川健介氏(ハンドルネームは「けんすう」)の証言をもう少し引用してみよう。

「(西村氏が)スクリプトを書いたかどうかはあまり本質ではなくて・・・。というのも、2chみたいな匿名のスレッドフロート式掲示板、「Perlを学ぼう」みたいな本を一冊読むだけでも当時作れる水準なんですよね。

なので、プログラムを書いたかどうかは結構どうでもいい。2000年初頭くらいには、100以上の巨大匿名掲示板群があり、システムもさほど違いがなかったんですね。

で、2chだけがなぜ突出し続けたかというと、『人が人を呼ぶ』という状態に持っていったというのと、運用の巧みさです。

ひろゆきさんは2chの方針、運用において、ものすごい才覚を発揮してました。

(中略)2chの運営の何が優位だったかというと「極端なところでバランスを取る」選択ができたから。

あなたは死ねと言われますが、死ねという権利もあります、というところでバランスをとってたんですね。

まともな掲示板運営者だと、なかなかこれができない。『よい運営をしよう』となるので、不快な情報や、問題のある投稿は削除しようとしちゃう。

しかし、それだと削除の判断が、中央集権になってしまうんですね。2chみたいに極端なところでバランスをとる『だいたいの発言がOK』になってしまうので、削除の対応が簡単になるので、削除人というボランティアシステムで回るのです。
管理リスクとして『訴えられまくる』というのがあるけど、それを許容できる個人はほとんどいない」(参照

 西村氏が技術的にさほどのレベルにないというのは、訴訟相手のジム・ワトキンスに「技術知識は時代遅れでついていけなかった」に言われているほか、けんすう氏の発言でも裏付けられる。しかし、2ちゃんねるが時代を席巻したのは、西村氏の才覚によるものと古川氏はいう。

 だが、その「才覚」とは何かといえば、「だいたいの発言がOK」という、いわば無法地帯をつくることだった。そして西村氏は、その法的リスクの裏をかいた。つまり、所得を隠せば賠償金をいくら請求されても関係がない。逃げ切れたものが勝ちということだ。

 こんなことは他の人にはできない。こんな厚顔無恥なことを笑ってやりきれる人はいない。これが2ちゃんねるのアドバンテージであり、コア・コンピタンスだったわけである。なんともな話である。

「ニコニコ動画」との関係

 西村氏につけられる肩書に「ニコニコ動画創設者」というのがある。この肩書で、あたかも西村氏が開発に携わったかのように世間では受け取られているが、実際は開発にはほとんど関わっていない。動画投稿コンテンツの画面に字幕投稿を表示するというニコニコ動画のコンセプトは、もともとユビキタスエンターテインメント社の布留川英一氏がアイディアを持ち込み、ドワンゴに在籍していた天才プログラマーと呼ばれた戀塚昭彦氏がプロトタイプをつくりあげた企画である。

 当時、西村氏の盟友だった竹中直純氏が、国産の検索エンジンをつくるとして立ち上げた未来検索ブラジルは、2ちゃんねるビジネスのフロント企業となっていたが、この会社が携帯サイトビジネスで躍進していたドワンゴ社に、国産検索エンジン企画の共同開発をもちかけた。その頃に、検索エンジンの仕事とは別に、逆にドワンゴから持ちかけられたのが、すでにプロトタイプが出来上がっていた「ニコニコ動画」である。

 戀塚氏は、ニコニコ動画の開発経緯について数多くの場所で語っているが、そこには西村博之氏の名前はほとんど出てこない。出てきても、こんなエピソードだ。

 「『2ちゃんねるから(ニコニコ動画に)人を集めたい』ということで,ひろゆきと打ち合わせをした。正式サービス名は『ニワンゴビデオ』にするはずだったが,当初は様子見のために,隠してやることにした。だからひろゆきが命名した『ニコニコ動画(仮)』の『(仮)』は,本当に仮のつもりだった」(戀塚氏)。(参照

 ドワンゴ社は、いわば広告宣伝役として、また2ちゃんねるの莫大なユーザーを引き連れてくるというマーケティング的なメリットを考えて、西村氏がつくりあげたとブランディングしたのである。初期のニコニコ動画は、著作権がグレーなところもあったため、海賊サイトともいえる2ちゃんねるのオーナーだった西村氏にピッタリだった。これが、西村氏の肩書についている「ニコニコ動画創設者」の実際のところである。

 西村氏の著作にならっていえば、まさに「1%の努力」である。その後、西村氏は運営面で意見が対立し、さらには前述のとおり脱税や麻薬幇助事件で家宅捜査などをうけるなかで、詰め腹を切らされるように、ドワンゴ社と共同出資した会社、ニワンゴの取締役を辞任することになった。

拡大2013年参院選で各政党の「ネット第一声」が公開されたニコニコ動画の画面= 2013年7月4日


筆者

清義明

清義明(せい・よしあき) ルポライター

1967年生まれ。株式会社オン・ザ・コーナー代表取締役CEO。著書『サッカーと愛国』(イースト・プレス)でミズノスポーツライター賞優秀賞、サッカー本大賞優秀作品受賞。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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