西郷南海子(さいごうみなこ) 教育学者
1987年生まれ。日本学術振興会特別研究員(PD)。神奈川県鎌倉市育ち、京都市在住。京都大学に通いながら3人の子どもを出産し、博士号(教育学)を取得。現在、地元の公立小学校のPTA会長4期目。単著に『デューイと「生活としての芸術」―戦間期アメリカの教育哲学と実践』(京都大学学術出版会)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
一方的に禁止するのではなく、対話を
アニメ「ドラえもん」を見ていると、羨ましい気持ちになるシーンがある。それは、キャラクターの集合場所が、「空き地」であるということだ。草の生えた空き地に、土管が何本か積まれており、そこに登ったり、寄りかかったりしながら、キャラクターは時間をつぶしている。
アニメの放送開始が1973年(日本テレビ系列)であるということを勘案すると、当時はこのような光景が街のあちこちにあったのだろう。今日でも空き地はあったとしても、「◯◯建設」の予定地で、ロープが張られ、入ろうという気持ちにさえならない。おそらく、当時は子どもグループごとに、異なる空き地を利用していたのではないかと想像する。
ところが、現在日本では空き地が増加しているという。
この図からは、少子高齢化にともない、土地や建物の管理ができなくなり、「空き地」「原野」として放置されている状況が浮かび上がってくる。いわゆる「地方」ではこの状態が加速している。もちろん、ボール遊び問題という摩擦が生じているエリアと、空き地増加エリアが単純に一致するわけではないが、今後の地域社会で工夫しがいのあるテーマだろう。
かつて子どもたちが、遊び場として明示されない場所で遊ぶことが可能だった時代から、公園への「囲い込み」が進み、さらには公園からの「追い出し」が始まっているのが現在である。次に、日本における公園のデータについて見てみよう。
図2を見る限り、一人当たりの都市公園面積は平成22年ごろまでは順調に伸びている ものの、それ以降は頭打ちとなっている。近年の急激な少子化を加味すると、子ども一人当たりの都市公園面積が増えている可能性もある。先述の空き地の増加と合わせて、可能性を探ってみたいデータである。
一方、国内のデータだけでなく、国際比較も重要な指標だ。
この図3で明らかだが、東京23区は一人当たりの公園面積が、外国の有名都市と比べても圧倒的に少ない。筆者は都市計画の専門家ではないので言明を避けるが、これは 東京という都市の設計にあらかじめ公園が組み込まれていなかったのではないかとの印象を受ける。
たとえばニューヨーク中心部の多くを占めるセントラルパークは、歩いていて疲れるほどの広さである。広すぎて、ボールを蹴っていて叱られるというシチュエーションが存在しない。またセントラルパークで、芝生に寝っ転がる人々の姿からは、わたしたちのレクリエーションには自然が欠かせないことを思い起こさせてくれる。公園は、子どもの狭義の「発達」のためだけでなく、大人のゆとりのある生活にも欠かせないものなのである。