Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【11】
2022年12月12日
前回の第10回「ネット空間の海賊のユートピアをつくったひろゆき氏の厚顔無恥な「才覚」」で、4chanについて取材を進めていた私が、西村博之(ひろゆき)氏とジム・ワトキンス氏との2ちゃんねるを巡る裁判の第2ラウンドのことを知ったというところまで書いた。今回は、そこから話を始めよう。
「2ちゃんねる乗っ取り裁判」と呼ばれる、2ちゃんねるの所有権を明らかにする裁判に、西村博之(ひろゆき)氏が敗訴したことについては、この連載ですでに語ってきた(参照:第1回「西村博之とジム・ワトキンスの2ちゃんねる骨肉の争い/上」、第2回「西村博之とジム・ワトキンスの2ちゃんねる骨肉の争い/下」)。だが、もうひとつの裁判が進行していることについては、これまで書いていなかった。
2ちゃんねるの商標侵害裁判である。
これは、ジム・ワトキンス氏による2ちゃんねる乗っ取り(2014)以降、西村博之氏が所有する「2ちゃんねる」の商標を侵害していたことによる損害賠償請求だ。ジム・ワトキンス氏は2ちゃんねるを掌握した後、「5ちゃんねる」と名称を変更したが、それまでの間の損害賠償1億7500万円と、ドメイン名の使用を中止するまで月額500万円を請求された。
(「2ちゃんねる」の商標権については、これらの二つの裁判に先立ち、西村氏の所有するものと別の裁判によって早い段階で認められている。この前哨戦ともいえる、ジム氏と西村氏の裁判があるため、三度目の裁判ということにもなる。)
2020年の一審判決では、ジム・ワトキンス氏側が「2ちゃんねる」の名称を使うことを禁ずる判決が出て、それ以外の損害賠償請求は退けられた。この連載で書いてきたように、ジム・ワトキンス氏はすでに、2017年にサイト名称を西村氏が商標権を所有する「2ちゃんねる」から「5ちゃんねる」に変更していた(公式の見解では別名称ではなく、新たに2ちゃんねるとは関係がない5ちゃんねるというサイトを立ち上げたことになっている)。
2ちゃんねるの名称を禁じられるという判決は、そもそも先行する商標権裁判によって西村氏の権利が認められているため、ジム・ワトキンス氏にとっては想定内であり、損害賠償請求が棄却されたことを考えれば、西村氏の実質敗訴といえる。しかし、西村氏は判決直後に控訴し、これが現在も係争中なのである。
この東京高裁での裁判では、当時の2ちゃんねる関係者の様々な証言が出てきている。双方ともに背に腹は代えられないのであろう。裁判記録を読むと、2ちゃんねるの運営実態について、西村氏側とジム・ワトキンス氏側がそれぞれ赤裸々な運営実態を明らかにしている。2ちゃんねるを実際に所有していたのは誰であるかを、裁判の趣旨にあわせて明らかにしなければならないからだ。商標権裁判はまさしく、2ちゃんねる乗っ取り事件裁判の“第二ラウンド”になっている。
裁判では、今までひたすら隠し続けてきた西村氏の個人会社東京プラスが、実質的に2ちゃんねるの売上収入の窓口となっていたことを自ら明らかにしていた。2ちゃんねるを手放したとうそぶいていたことが全くの虚言であることを、自ら告白したわけである。
そのほかにも、当時の2ちゃんねる関係者が実名で裁判で証言しているなど、たいへん興味深い裁判なのだが、なかでも私が驚いたのは、あの「FOX」こと中尾嘉宏氏が証人として陳述書を提出していることだ。
私はその陳述書の実物を裁判記録から読むことができた。代筆なのは間違いないだろう。面会したときに目の当たりにした病状で、このような理路整然とした説明ができるとは私には思えなかったからだ。誰かが何時間もかけて聞き取りをしたのだろう。札幌の中尾氏のオフィスで会ったS氏が書いたのかもしれない。私のメールにS氏から返事がなかったのは、おそらくそのためだったのだろう。
最悪の体調をおしても、中尾氏はジム側の人間として、せいいっぱいの姿勢を示そうとしたのであろう。陳述書の最後に自筆の署名があるのだが、その字も震えて乱れていたことが、病状の深刻さを物語っていた。
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なぜ、ここまでして中尾氏は突然証言を始めたか。その理由は、この裁判のなかで西村博之氏が、これまで何度も繰り返された事情聴取や、国税局などへの申し開きに際しておこなってきた、2ちゃんねると西村氏本人は全く関係がないという説明とまったく真逆の弁明をしているからだ。2ちゃんねるの運営については、自分が掌握して指導していたと、ここになって臆面もなく言い出したのである。
この連載で見てきたとおり、西村氏はずっと、自分が2ちゃんねるでは何もしていないと公言してきた。未来検索ブラジルが国家賠償請求をしたときにも、未来検索ブラジルの主張は、2ちゃんねるの運営に西村氏は全く関わっていないというものであった。「2ちゃんねるのひとたちはウソしかいわない」という言葉が、またもや脳裏をよぎる。
この裁判で西村氏は、自分の他の2ちゃんねるに関わってきた人たちは単なる「ボランティア」であり、それは中尾氏も同様であるという旨の主張を展開した。西村氏は、2ちゃんねるを実質運営してきたのは自分であり、その他の人はジム・ワトキンス氏も単にサーバー業者にすぎず、中尾氏はたくさんいたボランティアの一人だったと主張した。これに反論するべく中尾氏が証言したのである。
当時の2ちゃんねるのコアユーザーならば、中尾氏(とジム・ワトキンス氏)がどれだけ2ちゃんねるのサーバー業務やサイト運営に関与してきたかを、誰もが知っているはずだ。
ジム・ワトキンス氏を擁護するつもりはサラサラないが、サーバー提供とバーターで広告出稿するところか始まり、サーバーのみらならず運営面でも強い関わりをもっていたのは間違いない。「共同ビジネスだった」とジム氏が主張するのもそのとおりであろう。2ちゃんねるの課金システムの保守運用をしてたのも、中尾氏の会社である。
「この世の誰よりも熱心に2ちゃんねるにかかわってきた」。中尾氏は陳述書のなかでそう証言している。
例えば、2ちゃんねるのコアプログラムであるread.cgiを、初期の段階でPerlからC言語につくり換えたのも中尾氏である。それを主張する中尾氏の陳述に対して、裁判のなかでは西村氏は、C言語への変換など「ツールを使えば誰でもできる」と反論している。
しかし、中尾氏は再度提出された陳述書で、西村氏の技術力では、私たちがどのようなプログラミングをしていたかなど理解できていないと反論し、かつて西村氏が「プログラムのバグは放っておけば治る」と言い放ったことを明かしている。「人間の風邪ではあるまいし」と、当時の2ちゃんねるの技術関係者は皆とあきれたそうだ。これが西村氏のいうところの『1%の努力』なのであろう。
西村氏は当時の対談では、続いて次のようにも言っている。
「(普通のホスティングでは面倒みてくれないところまで中尾氏が手をかけているという発言に対して) うん。だから普通のホスティングでやろうとすると、もうちょっとサーバー台数をならべないと、とてもじゃないけれどサーバーは落ちるだろうね。(略)だからそのへんはお互いのメリットが共通しているのがあってまわっている」
2ちゃんねるは、ジム・ワトキンス氏(と、中尾氏の会社)との共同ビジネスであったというのが、ジム・ワトキンス側の裁判での主張だが、これは客観的にみても正しいし、これは過去に西村氏本人が言ってきたことでもあるのだ。西村氏はこんなことを自分で言ってきたことをすっかり忘れてしまっているのだろう。プロバイダ責任制限法がなかったから裁判に負けてきた、と事実関係をまったく忘れてしまっているのと同様である。
ところで、その当時、ネットユーザーが力をあわせて成し遂げた“美談”とされてきた「2ちゃんねる8月危機」というのがある。2001年、アクセス数の増大にサーバーがおいつけず、2ちゃんねるが閉鎖するのではないかという風評が流れたときのことだ。実際、西村氏もあきらめモードになったという趣旨の発言をそこかしこでしている。
これを見かねた「UNIX板」の2ちゃんねるユーザーが、共同作業でプログラムに手をいれて、転送量を減らして2ちゃんねる閉鎖の危機を救ったというのが、“美談”の中身だ。しかし、実情はそれとはかなり違う。
中尾氏は裁判記録のなかで「8月危機」を「伝説的な話」と切って捨て、「インターネットで語られている逸話には事実と異なる部分が多数あります」と言っている。
実際は、アクセス数の増大により、今まで広告とバーターで無料で提供してきたジム=中尾の両氏が、これ以上続けるならば金銭的な見返りがなければ不可能と、自らサーバーを落としていったというのが正解なのだ。実態は2ちゃんねるのボランティアによる匿名の人々による共同作業が2ちゃんねるを救ったなどという“美談”などではなく、ジム=中尾氏による反乱というのが実情だ。
ネット発の美談は信用するべからず。私はいつもそう警戒しているが、この“美談”もまたそうだったということである。
当時の2ちゃんねるは無料サーバーを利用し、アクセス数増大や法的な問題で追い出されると、次の無料サーバーに渡り歩くというのを繰り返していた。そこに、中尾氏がジムと協業していたホスティングサービスを提供し、バーターで広告を掲載するという条件を得る。ちなみに、後に2ちゃんねる併設のアダルト掲示板の権利も得ている。
とはいえ、その広告バーターという条件も、激増するアクセスには追いつかず、ジム氏と中尾氏はサーバーの提供をこれ以上できないと判断。サーバーを少しずつ落とし撤退をはじめていく。
ここにはビジネス的な駆け引きもあったはずだ。サーバー代を払わなければサイトを落す。世界有数のトラフィク数を誇るほど巨大化した2ちゃんねるは、もはやフリーのサーバーが受け入れるレベルではなくなっていた。こうして2ちゃんねるを収益化し、サーバー費用を捻出するということについて両者で協議がはじまる。
そのために2ちゃんねるは、当時ではめずらしいともいえるサブスクリプションモデルの収益化を開始する。これまで2ちゃんねるのプログラム改良をてがけてきた工藤亮氏(当時の2ちゃんねるでのハンドルネームは「ドルバッキー」と思われる)が、専用ブラウザによる課金システムを開発、中尾氏がクレジット決済の課金部分を担当した。これが広告収入とならび2ちゃんねるの収益源となったのである。
この専用ブラウザのユーザーサポートは、中尾氏の会社であるZ社が担当し、クレジット決済の部分はジム氏が経営するNTテクノロジー社が担当した。開発者の工藤氏には専用ブラウザの課金売上の約3%がロイヤリティ収入として支払われることになったとのことだ。
ところが皮肉なことに、西村氏の危機を救うはずだった、この専用ブラウザが2ちゃんねるの乗っ取りと西村氏の2ちゃんねる追放のきっかけとなる。
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